第一武道場を後にした綾斗と秋蘭はそのまま隣にある体育館に行き、バスケ部、バレー部、卓球部を見学した。そこには伏見姉妹がいないこともあり、スムーズに部の説明を聞くことができた。そして、次に向かうのは第二武道場。体育館の隣にある常盤桜花学園の二つ目の武道場である。そう。体育館はなぜか二つの武道場に挟まれる形で建設されているのだ。
綾斗は気になりその理由を聞くが、相手が悪かった。
秋蘭は目を泳がせながら口をぱくぱくさせてついには答えることができなかった。
そんなことをしている内にあっという間に柔道部の見学を終え、空手部が使用している一室の前に立つ。
途端に秋蘭がそわそわし始め綾斗は訝し気な視線を送る。
「どうした?」
「実は、私も助っ人で色んな部にお呼ばれされている身で。最初に入った部が空手部なんですよ」
「つまり気まずいと?」
「いや、そういう訳じゃなくて……私も、その、綾斗くんと戦いたいというか……なんと言うか……春菜だけずるいと言うか……」
「分かったから、取り敢えず入ろうぜ」
綾斗は言って空手部が使用している武道室の襖を開ける。
「こんにちは! 皆さん、お疲れ様です!」
「こ、こんにちは」
秋蘭が満面の笑みで挨拶をし、綾斗も釣られてお辞儀をする。
「あ、秋蘭ちゃん! 来てくれたんだ!」
「へーこれが噂のイケメン転校生かあ。制服越しでもなかなか筋が良さそう」
道着を着た二人の女子生徒が綾斗と秋蘭に駆け寄ってくる。
「そんで? ただ見学させる気はないんでしょ?」
「え、バレました?」
「やっぱりね。転校生くん……えっと谷坂くんだよね? 貸し出し用の道着があるから着替えておいで」
綾斗は勝手に話が進んでいくせいで目が点になる。
そして、いつの間にか道着に着替えた秋蘭と女子生徒に無理矢理着替
えさせられそうになった綾斗が向き合う。剣道部と違って空手部は男子と女子で別れて部活動を行っている。そして女子空手部にも剣道部と同様に絶対の掟がある。それは、
「武舞台に入る者は何人たりとも道着を着ること」
秋蘭はドヤ顔で仁王立ちしながら言う。
綾斗はげんなりした様子で着慣れない道着の裾を摘まむ。
「あの女子たち、なんであんなノリノリだったんだ? 危うく本当に着替えさせられるところだったぞ」
「そりゃあルックス良し、スポーツ万能、妹思いの優しいお兄ちゃんって言うモテ要素ばかりですもん。それに女の子は年上好きが多いんです。妹扱いしてくれる綾斗くんはまさに王子様ってことですよ」
「王子様ねえ。柄じゃないけど」
言い終えてから綾斗は構える。
対する秋蘭も春菜との攻防を見たことでいつもは見せない対魔獣用の構えを取る。重心を深く落とし、それに合わせて両足を肩幅よりもやや広く開く。左腕は突き出し拳を固く握り締め、右腕は力を込められるように脇を締めて掌底を打つ形を取っている。
そんな彼女のあまりにも攻撃的な構えに綾斗は呆気に取られてしまう。
女子生徒の前で本気を出すことはないだろうが、綾斗も本気にならざるを得ない状況に陥りそうで冷汗が出てくる。
一人の女子生徒が二人の間に入り右腕を上げる。
「始め!」
合図と共に秋蘭の姿が消える。
――下ッ!
綾斗は反射的に両腕を交差させる。
瞬間、懐に深く切り込んだ秋蘭が力を込めた渾身の掌底を綾斗の腹部に打ち込む。しかし、それは交差された両腕に防がれた。
だが、その破壊力は凄まじかった。綾斗が両足に踏ん張りを利かせていなければ、防御は破れ、腹部に深々と掌底を打ち込まれて畳に伏していただろう。
綾斗は予想を遥かに上回る秋蘭のスピードとパワーに思わず顔を歪める。ここで距離を取ろうとしても貼りついたように追い回され、連撃を食らうのが目に見えている。
――ならば前進あるのみだ。
秋蘭もまた最速の初撃を防がれたことで同じ考えに至ったらしく前進する。鼻先がぶつかる寸前の距離まで顔が近くなり、互いに右腕を出し、上腕と上腕がぶつかり合う。まるでハンマーで木材を叩いたような衝撃音が道場に響く。さらに空気が弾け、その反動で二人は後方に吹っ飛ぶ。
互いに両足の親指に力を込め、反動に真っ向から挑み、すさまじい加速とともに二人は同時に右拳を突き出す。
綾斗は自身の頬を掠めた秋蘭の右拳を目で追う。
秋蘭は空いた左手を綾斗の右腕に添える。その時、確かな殺気とともに綾斗の身体が宙を舞った。
「やばっ!」
空中で姿勢を立て直した綾斗は上手く着地する。しかし、そこに着地することを予測していた秋蘭は先回りし、拳を最小限の動きで振りかぶる。
綾斗は咄嗟にしゃがみ込み身体を駒のように回転させながら足払いをする。それを秋蘭は後方に飛び退くことで躱した。と思えば、着地直後に綾斗に突っ込むように跳躍し、瞬く間に身体を回転させ回し蹴りを放つ。流石の綾斗も危険と判断し、防御の姿勢を取るが、回し蹴りを放ったはずの秋蘭がなぜか綾斗の懐まで潜り込んでいた。
――この局面でフェイントだと!
綾斗は驚愕した。しゃがみ込んでいるはず綾斗の懐に入り込む秋蘭。直後、畳に上半身がこすれるのではないかと思うほど体勢を低くした状態で放たれる少女の正拳突き。
「チェックメイト!」
秋蘭は勝利を確信し、迷わず右の正拳突きを少年の空いた腹部に打ち込む。
はずだった。
「確かこんな感じだっけ?」
気付けば秋蘭は武道場の天井を見ていた。
「あ、あれ?」
秋蘭は何が起きたか分からないでいた。
綾斗も綾斗で上手くいくと思っていなかったらしく額の汗を拭い安堵の息をもらしていた。
少年は肉薄する美少女の正拳突きに自身の左手を添え力の向きをコントロールし、右手で美少女の襟を掴み勢いそのまま自身の身体を回転させて畳に打ち付けたのだ。柔道の背負い投げにも似たその技は、先ほど秋蘭が綾斗に掛けた技だ。それを綾斗はそっくりそのまま返したのだ。
秋蘭は腰を摩りながら立ち上がる。未だに何が起きたか気付いていないのか、綾斗の顔をジッと見つめる。
「俺の勝ちだな、秋蘭」
「……っかい」
「ん?」
綾斗は嫌な予感がした。
この局面で秋蘭が言いそうな言葉は一つしかない。
「もう一回! 今のは油断しただけです! もう一回、もう一回、もう一回!」
綾斗は秋蘭が大の負けず嫌いだということを思い出した。
「駄目だ。他の部も見たいんだからまた今度な」
そのまま逃げるように綾斗は更衣室に行き制服に着替えた。
秋蘭は逃げられてしまったことで顎が外れんばかりに口を開けるが、その場にはもう綾斗はいなかった。
☆☆☆☆☆☆
秋蘭は渋々制服に着替えたのだが、やはり納得がいかないようで悔しそうな顔をしながらジッと綾斗の顔を見つめている。
そのせいか綾斗は少し距離を取りながら隣を歩く。
しかし、秋蘭は逃がさないとばかりにぴったりと隣を歩く。
第二武道場を後にした二人は近くにある弓道場に向かった。
弓道場までの道のりで秋蘭は延々と悔しそうな視線を送り続けていた。
綾斗はげんなりした様子でなんとかこの場を逃げ切るためにとある話題を振る。
「タロット戦争だっけ? どうして秋蘭は参加しようと思ったんだ?」
「え、私ですか? そうですね。強いて言うならタロットのせいで誰かが傷つくのを見たくないからですかね? 正直、私が使える魔法は限られているので。だから……皆の足を引っ張らないようにするのが精一杯ですけど」
「あれだけ動けるのにか?」
「はい。そう言う綾斗くんもあれだけ動けるのに魔法のこと何も知らないなんて嘘みたいです。それに春菜が言っていましたけど、本当は双剣使いってどういうことですか?」
見事に秋蘭は先ほど負けたことを忘れて綾斗への疑問を問い掛ける。
「昔何かの漫画かアニメで双剣使いが主人公のやつがあったんだ。その主人公と父さんが言うヒーロー像が一致して、それ以来双剣に興味を持った。けど、その主人公は双剣と弓をメインに使っているだけであって、どんな武器でも相応に使えてた。勿論、徒手空拳も。だから俺にはこれって言う武器はないんだ」
「なるほど。だから春菜に負けちゃったんですね」
「ああ。一つの物を極めた奴に勝てる訳無いからな。ん? 今のは失言だったな」
綾斗はまたしても嫌な予感がした。そっと秋蘭の表情を伺う。
嫌な予感は的中していた。
秋蘭は負けたことを思い出したのか、再び悔しそうに綾斗の顔を睨み付ける。
なんで睨むんだよ、と綾斗は言いたくなった。だが、秋蘭が話を逸らされたことに気付いたからだとすぐに気付き、めんどくさそうに大きく溜め息をつく。
「勝ちにこだわり過ぎだろ」
「だって勝ちたかったんですもん」
やれやれと言った面持ちで綾斗は歩を進める。
次の瞬間、胸の奥がざわめき、存在しないはずの心臓が躍動し、早鐘を打ち始める。この感覚が意味するものを綾斗は知っている。彼の両親の仇が作り出した魔導具『タロットカード』が魔獣化し目覚めたのだ。
二人は互いの顔を見合う。
「これ、中等部の方だよ」
「……っ⁉」
綾斗は目を見開き、踵を返し中等部のある方角へ大きく跳躍する。身体能力を完全開放した綾斗の跳躍は一っ跳びで高等部の普通校舎の屋上に辿り着く。そこで少年は不可解なことに気付いた。
学園中の全ての生徒がその場で気絶しているのだ。おそらく、武道場にいた生徒も気絶しているのだろう。二つの武道場から血相をかいて出てくる春菜と秋蘭の姿が見えた。弓道場からもライトグレーの髪を腰の辺りまで伸ばした美少女――
その原因たる魔獣は中等部の校庭のど真ん中に立っている。姿形はハーミットの魔獣化と酷似している。
黒いフード付きローブを被り、四肢は灰色の包帯で覆われているが、間違いなく人の形をしている。加えて右手には先端に宝玉を備えた身の丈ほどある杖を握っている。
綾斗はまるで魔女を彷彿とさせる姿に不気味なものを感じた。
「あいつか……梨乃、無事でいてくれ」
『リノちゃんなら大丈夫だよ、アヤト』
突然、頭に直接声が響いた。
「その声、夏目か!」
『冬香だよ。まあ、夏目の魔法を使って話してるけど。リノちゃんはさっきまで私と新作のゲームを一緒にしてたから大丈夫』
「そうか、って待て。一緒にゲームって……梨乃は伏見邸にいるのか?」
『帰りが一緒になった。話の流れで一緒にゲームをすることになって今も執事さんとゲームしてる』
それを聞いた綾斗は梨乃の無事を知り、そっと胸を撫で下ろす。ようやく落ち着きを取り戻した少年は再び跳躍し、一気に中等部の校庭に大きく土煙を上げて着地する。その土煙は内側から鋭い音とともに弾け飛び、少年の手には二本の剣が握られていた。