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第8話

 体育館は普段綾斗たちが使う教室のある普通棟と理科室や音楽室がある特別棟の間に位置している。およその広さは市民体育館の十倍近くあり、更衣室もそこにある。そのため、出遅れた綾斗と男子生徒は今にも遅刻しそうなのだ。


 単純な距離としては普通の学校の三階から階段を下り、そこからさらに二百メートルほど離れた場所にある。


「ここから飛び降りた方が早そうだけど流石に無理か」

「貧乏人はそんなことを平然とするのか」

「んな訳ねェよ」


 二人は廊下を駆けながら体育館へ向かう。しかし、このままでは確実に遅刻してしまう。


 綾斗はふと窓の外を見る。そこには二人とほとんど一緒に教室から出たはずの冬香が体育館に入ろうとしている姿があった。おそらく魔法を使ったのだろうが、馬鹿正直に走って向かっている少年はむっとした表情になる。


「うわーズルいことするなー」

「何がだ!」

「ああ、こっちの話。ところでさ。なんで俺のこと待ってたんだ?」

「別に待ってねェし。出遅れただけだし!」


 これがいわゆるツンデレというやつか、と綾斗は思いながらも本当に遅刻してしまいそうで焦りを覚え始める。場所が分からなかったと言えば許されるだろうが、それは綾斗だけであって一緒にいる男子生徒は強いお叱りを受けることになる。特に常盤桜花学園は例え名門の家柄であっても気品や礼節に反した行動をすればそれなりのペナルティを与えている。一つの遅刻でいったいどこまで責められるのか分からない。


 綾斗は走る足を止め窓から身を乗り出す。直ぐ近くには雨水を流すためのパイプと無駄に洗練された装飾品がある。


 間に合わせるには方法は一つしかない。


「本当は駄目だけど。――『錬成始動オープン・ワークス』――」


 静かに魔法名を呟くと綾斗は右手に魔力を集めロープを作り出す。


「ねえ、ちょっと! ロープあったからこれでターザンスイングしたら間に合うんじゃないか」

「ば、馬鹿野郎! そんなことして落ちたら死んじまうぞ!」


 男子生徒の正論に綾斗は苦笑するが、それでも早く来るように促す。


「お、俺、高い所苦手なんだ」

「ハハッ! さっき机を蹴ったお返しということで」


 綾斗は満面の笑みで応えると手慣れた手つきでロープをパイプに括り付ける。そして男子生徒が途中で落ちないようにロープで綾斗自身に括り付け固定する。そのまま合図も無く男子生徒を左手で抱えて飛び出す。


「ぎィやああああああああああああああああああああああああ!」


 強面な男子生徒が涙を浮かべながら見事で盛大な悲鳴が学園中に響き渡った。


 二人はロープに身を委ね綺麗な弧を描いて宙を舞う。風が全身をあおり、耳には風鳴り音が響いてくる。


 綾斗は地面に着地する直前、両足に踏ん張りを利かせ着地の衝撃を緩和しつつ勢いを殺せるようにする。左側では抱えている男子生徒の悲鳴のせいですでに耳鳴りが始まっているが、普通の学校の三階の高さから飛び降りたとなれば仕方がない。


 地面が近づくにつれて緊張が走る。


 瞬間、地面を擦り削る音が辺りに響き渡る。


 綾斗は冷や汗をかきながらも着地を難なく成功させ、何食わぬ顔でロープを消滅させる。男子生徒の様子はというと放心状態なだけで無事なようだった。少年はすぐに動けなくなった男子生徒を背負い更衣室に向かって駆け出す。


 そこで先に到着していた冬香と鉢合わせてしまった。


 勢いが勢いなだけにぶつかりそうになるが、寸でのところで急制動を掛けることができた。


「無茶したね」


 冬香は言って右手を銃の形にする。


「ちょっ! 何する気――ッ!」


 綾斗が言い終える前に冬香は指先から紫色に輝く魔力弾を撃った。それは綾斗ではなく、背負われている男子生徒の脳天に直撃する。貫通はしていないようだが衝撃で男子生徒は綾斗に背負われながら目を覚ました。


「あれ? 確か廊下いたようなって、なんだこの状況!」

「俺が知りたいよ!」


 と綾斗は言いつつも薄々気づいていた。


 おそらく男子生徒の記憶の一部を消したのだろう。


――魔法ってなんて便利なんだ。


 綾斗がそんなことを思っていると、冬香に促され少しの余裕の下、更衣室で着替えることができた。


☆☆☆☆☆☆


 転入してきて初めての体育は体力測定だった。


 そこで綾斗は、体育は二年三組と四組と五組の三クラス合同で行うことを初めて知った。二年のクラスは五組まであるため一組と二組だけ別なのだろう。


 しかし、今回に限っては体力測定のため全学年全クラスが合同で行うことになっている。それでもまだ余裕がある体育館の広さに庶民である綾斗は唖然となる。だが、そんな広さも虚しく隅に集まる光景はとても寂しいものを感じさせた。


 綾斗が一人そわそわしていると整列した生徒の前に担当教員が出てくる。綾斗のイメージとしては、体育の教員なのだから厳つい顔で岩のような筋肉を身に纏っている屈強な男性教員かと思っていた。そんな期待もすぐに裏切られ現れたのは爽やかな長身イケメンだった。


 綾斗でもつい見入ってしまうほどの長身イケメン教員は拡声器を構える。


「それではこれより全学年全クラス合同による体力測定を行います」


 イケメンの口から発せられた声は艶やかで話の内容よりもその声に聴覚を通して魅了されてしまう。


 健全な男子高校生である綾斗ですら危うく惚れそうになっていた。


「皆、怪我をしないように十分に注意すること。また、例年通り各学年上位十名には今学期学食無料券と男女別総合上位三名にはトロフィーを進呈します」


 常盤桜花学園高等部は年度初めと年度終わりに体力測定を行っている。そして、好成績を残した者には長身イケメン教員が言ったような景品が与えられる。それも一般的な学校に通う生徒なら喜ぶ話なのだろうが、ここに通う生徒のほとんどは上流階級の家庭を持っているため対した反応を見せていない。


 また、いくらお金持ちと言っても身体能力は一般市民の大差ないため、受賞もしくは景品をもらう者はだいたい決まっている。そのため生徒達は淡々と種目をこなすだけになっている。ただ一人の生徒を除いては。


 少年は静かに闘志を燃やしていた。


 購買部のホットドッグと焼きそばパンは確かに気になる。されど学食となると話は別である。常盤桜花学園の学食は一流シェフが作っているため、綾斗の知る学食とはほど遠い物が用意されている。綾斗もその学食にあり付きたいところだが、伏見家から月に五万円もの大金をお小遣いとして貰うことになっている。梨乃と合わせれば月に十万というお小遣いを貰っている。しかし、それでも全て食費や趣味、貯金に当てているため無駄遣いができない。


 唯一の救いは学費や光熱費等は伏見家が払ってくれているということだ。


「説明は以上です。種目や細かい諸注意は今から配布する個人用紙に記載されています。それを参照して下さい」


 長身イケメン教員は各クラスの担任に指示を出して個人用紙を配布させる。


「時間の目安としては六時限目終了時刻を目処でお願いします。それでは各自始めて下さい」


 長身イケメン教員の合図と共に生徒たちが一斉に動き出す。


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