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第6話

 ハーミットを封印した日の翌朝。


 谷坂綾斗はうなされながら起きる羽目になった。昨晩は迷宮の間という伏見邸の対魔法使い用の防犯システムによって散々な目にあってしまった。さらに自宅は伏見邸ではなく、谷坂家のため疲労のあまり下着姿で眠ってしまっていた。そのせいで心配になった梨乃から軽蔑の目を向けられてしまった。


 おまけに朝食もいつもは一緒にリビングで食べるのに強制的に別の場所で済ますように言いつけられた。


 散々な朝を迎えた綾斗はまだ制服が届かないため、以前通っていた学校の制服に腕を通す。昨日、タロットカードのハーミットとの戦闘のせいで至る所の糸がほつれ、払っても落ちない汚れが目立っていた。ゆえにいよいよ一般市民である綾斗が以前通っていた学校の印象がより貧乏になってしまう。


 加えて始業式を終えたことで本日は夕方まで授業があり、部活見学もしなければいけない。このことから本当にさぼりたくなってしまっていた。


 しかし、真面目な綾斗は大きく溜息をついて家を出る。ちなみに登校もいつもは梨乃と一緒なのだが先に行ってしまっていた。


 登校路は昨日の今日で完璧に覚えた。


 しかし、校門を前にして綾斗の足が止まる。


「綾斗くん、おはよう!」


 聞き覚えのある声が背後から聞こえた。綾斗が振り返るよりも速く少しはねたライトグレーの髪を肩まで伸ばした女子生徒が目の前に現れる。


「ああ、えっと……夏目? いや、新葉……違う。えっと春菜! 春菜おはよう!」

「残念。秋蘭でした! まだまだですね、綾斗くん!」

「まだまだって昨日会ったばかりだろ」

「アハハ。そうでしたね。それより昨晩は大変でしたね」


 綾斗は満面の笑みで言う秋蘭をまるで瞳の色と同じで太陽みたいな奴だな、と思い頭を抱える。そうだ。そのせいで今朝は災厄の始まりだったのだ。


「まあな。でも、あの迷宮のお陰でフールの使い方が分かったから良いけど。でも……」

「でも?」


 綾斗は今朝の出来事を話す。


 すると秋蘭は今にも泣き出しそうな顔になり綾斗の両手を掴む。


「ごめんね! 私その時、えっと……冬香と一緒になって梨乃ちゃんが疲れて寝ちゃうまで、その……ゲームに付き合っちゃって! ホントにごめん!」

「待て。俺が迷宮で散々な目に遭っていたのにお前ら助けずに遊んでたのか?」

「……あ」


 秋蘭はわざとらしく口笛を吹こうとするが全く鳴っていない。挙句の果てには踵を返して昇降口まで走り去ってしまった。


「秋蘭、冬香、覚えてろよ」

「私に何か用?」

「ぅわっ⁉」


 ライトグレーの短髪を両サイドだけ肩の辺りまで伸ばした秋蘭、いや、冬香が突然背後から現れ、綾斗は驚きの余り飛び退いてしまう。


「と、冬香だよな?」


 綾斗は訝し気な表情を浮かべながら言う。


「そうだけど。何か用?」

「昨晩は梨乃、妹の面倒見てくれて助かった。その、ありがとうな」

「良いよ。梨乃ちゃん、ゲーム上手いんだね。久々に本気出した」


 俺を助けずに遊んでたのか、と綾斗は言いたかったはずだが、それよりも先に愛しい妹に楽しい時間を与えてくれたことに感謝していた。


「教室行かないの?」

「あ、行きます」


 綾斗は冬香に促されるままに登校していた。その頃にはぼろぼろになってしまった制服を気に掛けなくなっていた。


☆☆☆☆☆☆


 時間は昨晩に遡る。


 綾斗は何の疑いもなく通路を進み、客間の前に辿り着き扉を開けた。ただそれだけのはずが、扉を開けた直後に吸い込まれるように引き寄せられてしまった。その勢いは足に踏ん張りを利かせればなんとかなるレベルではなく、身体が文字通り浮いてしまうほどだった。


 綾斗は抵抗虚しく伏見邸の対魔法使い防犯システム『迷宮の間』に入ってしまうのだった。


 どこまでも続く真っ白な空間。振り返ってもそこに扉はなく、走っても壁に辿り着く、もしくは見えることはなく、疲れる前に座り込んでいた。


「どうなってるんだ。ったく、出口はどこだよ」


 周りを見渡すがやはり白一択の景色しか広がっていない。おそらく魔法を使って部屋を広くしているのだろうが、いくらなんでも広すぎる。夏目がいれば転移魔法で出られるのだろうがこの場にはいない。


 タロットの魔法しか使えない綾斗にとってこの状況はすこぶる悪い。


「使ってみるか」


 綾斗は右手を突き出し、コアから生み出された莫大な魔力を掌に集中させる。



「行くぞ、フール。俺に力を貸せ! ――『錬成始動オープン・ワークス』――ッ!」


 右手に集まった魔力の塊が赤黒く発光し瞬く間に抜き身の刀を錬成する。


 綾斗はそれを掴み勢いよく振り下ろす。


 しかし、何も起こらない。


 それから二十分近く何度も振り下ろし、横薙ぎし続けるが全く手応えを感じない。ただ虚しく空を切るだけで焦りと苛立ちが募るばかりだ。加えて心なしか呼吸がしづらくなっている気がする。おそらく、この場の空間自体はそこまで広くはなく、魔法によって空間と空間を繋げているだけなのだろう。そして、酸素も入室した際に綾斗と一緒に入った分だけだ、と綾斗は推察する。


「んー。やっぱり対魔法用の武器じゃないと意味なさそうだな」


 綾斗は面倒臭そうに言うと刀が光の粒子となって消え去る。


「これならどうだ!」


 今度は両手を突き出し、全身にみなぎる魔力を集中させる。


☆☆☆☆☆☆


 迷宮の間の様子は専用の魔法を使うことで映像として会議室にある大型ディスプレイに映し出すことが出来る。


 伏見康臣と春菜、夏目、そして新葉はディスプレイを通して綾斗の様子を観察していた。秋蘭と冬香は綾斗がいつ出られるか分からないため梨乃に気付かれないように客間へ行って相手をしに行った。


 四人は観察に集中する。綾斗が迷宮の間に入ってすぐに走り出した時はやはり素人なのだと思った。しかし、魔法で作られた空間だと気付き、愚者のタロットカード『フール』の魔法を使ったところで康臣は歓喜の声を上げていた。


 普通の人間であれば延々と走り続け最後には諦めてしまう。だが、綾斗はすぐにフールを発動させたことから少なくとも魔法に対しての免疫を持ち始めているのが分かる。


「これがフールの魔法」


 新葉が呟く。


「あらゆる武器を複製し操ることができる。もちろんそれは魔導具も同様だ。しかし、今彼が持っている刀はただの刀だ。あれではどうあがいても脱出することはできない。春菜くんのような魔法がなければ不可能だろう」

「んー。谷坂くんにそんな芸当が出来るとは思えないけどね」

「ああ。彼はフールの魔法以外は使えない」

「え? じゃあ、本当に出れないじゃん。助けに行った方が良くない?」

「その必要はない。すでに彼は気付き始めているはずだ。フールの魔法の使い方を」


 康臣の言葉を受けた春菜は不安を残しながらもディスプレイを見やる。


 すでに空間に入って三十分近く経つ。その内の二十分間はひたすら刀を振り続けていた。その苦しさ、辛さを同じ刀剣使いとして春菜はよく知っている。だからこそ助けたい思いが今にも飛び出しそうになる。


「春菜、大丈夫ですよ。どうやら谷坂さんも春菜と同じような魔法効果を持つ魔導具を知っているみたいですから」


 ライトグレーのポニーテールが特徴的な夏目が微笑みながら言う。


 次の瞬間、綾斗が両手を突き出し赤黒い稲妻が迸る。それは河川敷で見た『錬成魔法』とは明らかに違う錬成反応に、大丈夫と言った夏目も不安の表情を浮かべる。そして、時を待たずして意外な物が錬成された。それは夏目も予想していない物だった。


 その時、綾斗が口にした魔法名を夏目は復唱する。


「――『贋作鋳造カウンターフェイト』――いったいどんな魔法ですか? 聞いたことありませんよ。それにあの武器はもしかして……」

「あれがフールの真の力だ」


康臣がそう呟くと綾斗が動き出した。


☆☆☆☆☆☆


 綾斗は記憶を辿りながら魔法効果を帯びた武器を探り出す。しかし、フールを宿してまだ一ヶ月しか経っていない綾斗にとって魔法効果を帯びた武器は指で数えるほどしか分からない。それでも作り出さなければこの真っ白な空間からは出られない。


 やるしかないのだ。


 その時、脳裏に雷の如き衝撃が走る。


「見つけた! ――『贋作鋳造カウンターフェイト』――ッ!」


 綾斗の両手に莫大で強大な魔力が集まり赤黒い稲妻となって顕現される。されどそれは武器にあらず。その稲妻は瞬く間に形を変え、収束していき綾斗の新たな武器へと変貌する。


 左手には弓道部が扱う弓。右手には新葉がハーミットを射抜くために放った魔力の矢がそれぞれ生成された。


 綾斗は手慣れた手つきで矢をつがえ狙い定める。


 狙うのは空間と空間を繋ぐ歪み。


 空気が薄くなってきたのか、呼吸をするのもつらくなってくる。それでも少年は短く呼吸を整え、冷静に狙いを定め迷いなく射る。


 その矢は綾斗から五メートルほど離れた辺りから姿を消した。と思いきや背後から現れるが、綾斗はそちらには目もくれず、首を逸らして躱し、再び新葉の矢を生成しつがえる。


「そこだ!」


 鋭い目つきでただ一点を見つめ矢を射る。今度は綾斗から五メートルほど離れた所で姿が消えるのではなく、何かに突き刺さったのか矢が半分以上刺さった状態で止まっている。いや、浮いているといった方が正しいのか。


 数秒してから真っ白な空間が崩壊し、気付いた頃には扉の前に立っていた。


 綾斗は見事自力で迷宮の間から脱出することができたが、今後も同じ目に合うかもしれないという不安しかなかった。そして、翌日、学校生活でも扉を開ける度に迷宮の間がちらつきソワソワしてしまうようになったのは言うまでもない。

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