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第4話

 頭を射られたはずのハーミットの姿がいつの間にか消えていた。


 最初に気付いたのは秋蘭だった。すぐに警戒すよう二人に声を掛けようとしたが遅かった。


 突如、夏目の背後から現れたハーミットがその手に短剣を握り今にも夏目を刺し殺そうとしていたのだ。


 夏目は杖を横薙ぎしようとするが、いつの間にか影が縄のように伸長し、身体ごと杖をがんじがらめにされて動きを封じられていた。


 秋蘭、冬香の二人は反射的に夏目の下へ向かおうとするが、足元からまるで地獄の針山のように何本もの影の槍が現れ行く手を阻まれる。


 二人が必死に叫ぶも虚しく、ハーミットは何も言わず、吠えもせず、ただ静かに短剣を夏目の頭部目掛けて振り下ろす。


 夏目の脳裏に姉妹たちの笑顔が浮かびあがる。そして、今は亡き母親、次いで綾斗を引き取ってくれた父親。小学生の頃、七人でピクニックに出掛けた楽しい思う出、病に伏した母親の葬式、ありとあらゆる記憶が濁流のように流れていく。これが走馬灯なのか、と思った時、夏目は口を開いた。


「お父様!」


 今際の言葉がこれか、と思いつつ夏目は両目をシャッターのように固く閉ざした。


 しかし、その瞬間が一向に来ない。それどころか生々しい音が耳元で鳴り響く。加えて頬に粘液のようなものが付着し、思わず目を開けてしまった。そこには先ほどまで転移魔法による副作用によって気絶していた綾斗が刀を振り切った姿で立っていた。


 そう。転移魔法酔いから覚めた綾斗は、夏目に向かって振り下ろされた短剣をハーミットの腕ごと斬り飛ばしていたのだ。


 流石のハーミットも右腕の肘から先を切り飛ばされたことで悶絶し膝をつく。


「谷坂さん!」

「こいつらには人間の心臓みたいにコアがある。その位置はそれぞれで、それを破壊しない限り封印することが出来ない。そして、こいつの場合は人間で言う心臓だ!」


 綾斗は一瞬の内にハーミットの懐に入り込み、刀を深々と心臓に突き刺す。


 はずだった。


 ハーミットもただではやられまいと後方に飛び退きながら綾斗の突きを躱しつつ、自身の影を地面に這わせた状態で綾斗を囲うように枝分かれさせる。


 三人はそこから行われる攻撃を容易に想像できた。


 そう。三人は。


 綾斗は先ほどまで転移魔法酔いで完全に気絶していた。その証拠に口元に涎の跡が残っている。少年はそれを拭うことも忘れ夏目の危機を救ったのだ。


☆☆☆☆☆☆


 綾斗が目を覚まして最初に見た光景は、驚愕を越え最早冷静にならざるを得ない状況だった。


 夏目の影から音もなく現れたハーミットが短剣をこれまた静かに振り下ろし額に突き刺そうとしていたのだ。


 口元がねばねばしていたが、そんなことはどうでもいい。


 今できる最短最速で夏目を助けられる方法。それは、


「――『錬成始動オープン・ワークス』――ッ!」


 失ったはずの心臓が躍動するのを感じる。


 綾斗の心臓。今はタロットの魔獣と同じ莫大で強大な魔力を生成するだけのコア。


 綾斗が取り込んだタロットの能力。それはあらゆる武器を錬成できる魔法。本来の錬成魔法は魔法陣の上に素材となるものを用意しなければならない。しかし、綾斗のタロットは自身の知識に加えて錬成するものの材質を解析し、足りないものは想像するだけで錬成を可能にするのだ。


 綾斗は脳裏に最速で錬成できるものを思い浮かべる。いや、思い浮かべるより先に綾斗の中のタロットが自動的に『刀』を生成していた。少年は得物を握るや目つきが鋭くなり、自分でも驚いてしまうほど見事な軌跡を描いてハーミットの右腕の肘から先を斬り飛ばしていた。そのまま流れるようにハーミットの心臓部・コアを穿とうとしたが後方に飛び退き避けられてしまった。それどころか自身を囲うようにハーミットの影が枝分かれしているではないか。


「やばッ!」

――影から何が出る? 本体は目の前にいる。分身でもする気なのか?


 綾斗は思考を巡らせるがもう遅い。少年を囲った影からいくつもの黒い槍が下方のいたる角度から同時に伸長される。咄嗟に跳躍しようにも身体は突きの動作をしているため、重心が全て前にいっているせいで出来ない。


「――『魔力防壁』――展開ッ!」


 夏目が杖を綾斗に向け魔法を唱えるや少年の足元に魔法陣が展開され、ドーム状の魔力防壁を生成する。


 直後、鼓膜が破れるのではないかと思うほどの甲高い音が河川敷に響き渡る。


 危機を脱した綾斗はドーム内で呼吸を整えドームの内側で新たな武器を錬成する。


 刀はすでに刃こぼれを起こし、ひび割れていて使い物にならない。


「所詮はまがい物ってことか」


 綾斗は刀を魔力の塵に変え、左手に弓を錬成する。


「前の学校で弓道部の助っ人に行っててよかったあ」


 すぐに矢を錬成し弦につがえる。


 ドームを覆いつくすほどの影の槍は今もドームを破壊し綾斗の息の根を止めるため凄まじい勢いで突き続けている。それでも少年は冷静に黒い槍の隙間からハーミットの心臓部に狙いを定める。


「これで……終わりだッ!」


 次の瞬間、魔力防壁が黒い槍の攻撃に耐えられず砕けてしまう。


 同時に綾斗はとどめの一矢を射る。


 これを外せば確実に串刺しにされる。


 今際の際だからか矢の速度が遅く感じる。


 それでも黒い槍が自身を貫く前に届くことは分かっている。


 黒い槍の矛先が綾斗に肉薄する。しかし、目前と言うべきか眼球との距離が数ミリというところで影の動きが止まった。


 綾斗が放った矢は見事心臓部を穿ちコアを破壊した。その証拠にハーミットの身体が内側から崩れ落ち、塵となって風に流されていった。ハーミットが操っていた影も瞬く間に消失し、全て無かったかのように辺りが静寂に包まれる。すると綾斗の目の前にカードが出現する。


 綾斗は忌々し気にそれを掴み取る。


「隠者のカード。ハーミット封印完了」


 そっと呟くように言うと綾斗はハーミットのカードを夏目に手渡し深々と頭を下げる。


「気絶してごめん! 次はちゃんとするから!」


 必死に弁明する綾斗の口元にはやはり涎の跡がくっきり残っていた。


 夏目はそんななんとも締まらない姿に呆気に取られ困惑を露わにするほかなかった。


「お疲れ様、綾斗くん!」

「大丈夫、アヤト?」


 オレンジ髪の秋蘭と紫髪の冬香が駆け寄ってくる。


 激しい攻防ではあったが、一瞬の出来事だったため気が抜けて綾斗は尻もちをついてしまった。


「やっぱり戦いって怖いな。最後の矢なんてあの影が届くより先に射れるかヒヤヒヤしたぞ」

「ヒヤヒヤしたのはこちらの方です、谷坂さん。その……怪我とかはしていませんか?」


 綾斗は青髪の夏目に問われて答えようとするが、そこでようやく美少女たちの頭髪の色が変わっていることに気付く。


「なんで青くなってるんだ、冬香」

「違う。青は夏目」

「あ、ごめん、秋蘭」

「違う。秋蘭はオレンジ。もしかしてわざと?」

「ご、ごめん……」


 紫髪の冬香がどうでもよさそうに言うと頭髪が元のライトグレーに戻る。他の二人も同色に戻り今度こそ見分けがつかなくなってしまった。


『ちょっと私のこと忘れてないわよね!』


 突然、頭に直接響く声が聞こえた。


 綾斗は慌てて振り返るがそこには誰もいない。しかし、困惑している少年を他所に三人は「忘れてないよ」と言って微笑んでいる。


 本当に先ほどまで命懸けの戦いをしていたとは思えないほど平和な時間が訪れていた。


 そうだ。本当に始まったのだ。


 タロット戦争が。


 少年は意を決したように魔獣のコアとなってしまった自身の心臓を、胸を押さえるのだった。

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