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第2話

 谷坂綾斗が新たに通うことになった学校。そこは庶民が到底通うことができない場所だった。超金持ち学校であり常盤市ときわし随一の名門校でもある学園。その名も私立常盤桜花学園高等部しりつときわおうかがくえんこうとうぶ。隣接する中等部からエスカレーター式で進学する者がほとんどであり、高等部から入学する者の方が少ない。学園に通う生徒のほとんどの家庭が上流階級の身分を持つ。学校の規模は常盤市の十分の一と広く、ヘリで登校する生徒も少なくない。


 そんな学校に転校してしまった綾斗は困惑と同時に緊張のあまり机に突っ伏していた。以前まで常盤市にある一般的な公立高校に通っていた身として、いつも凄いな、としか思っていなかった場所に通っているのが不思議でならない。


 始業式が始まるまでまだ時間がある。


 その間教室で待機することになった生徒たちは、この春から同じクラスになった友達と和気あいあいと話し、新たなグループを作り始めている。そんな彼等彼女等の視線の先にはこの場で明らかに違う制服を着ている少年がいる。ただの好奇心ではあるが、やはり校風が富豪や財閥の御曹子が通う学校でもあるため、何人かの女子生徒は「何か聞こうよ」と小声で話している。


 しかし、流石はお嬢様たちと言ったところか。小声にしては大き過ぎるため全て綾斗に聞こえている。


 綾斗は逃げたい気持ちを胸に窓の外を見る。雲一つないどこまでも続く青空が広がっている。だがそんな景色を見たところで何かが変わる訳もなく、地面との高さを目視で計る。二年四組の教室は二階にあり、普通の校舎だと三階の高さに相当する。よって窓から飛び降りるという選択肢はそれだけで常人ではないことを知らせてしまうためできない。


 少年が重い溜息をつくと背後から女子生徒たちに声を掛けられた。


「谷坂くんてどこの学校から来たの?」

「谷坂って財閥あったっけ? 知ってる?」

「私知らない」

「でもここに転入してくるんだからかなりの名門のはずじゃない?」


 勝手に話が進むとはこのことを言うのだろう。


 綾斗は大きく溜息をついてから応える。


「俺、普通の家だけど。ここには諸事情で冬香、あ、伏見さんのお父さんに入れてもらって……なんかごめんね」


 綾斗は軽く微笑んでから冬香に助け船とばかりに視線を送る。しかし、当の本人は携帯ゲーム機でゲームをしていて綾斗の視線には全く気付いていない。


 そもそも学校にゲーム持ってきて良いのか、と聞いてみたいところだが、もしかすると庶民の学校だけがゲームを禁止しているのかもしれない。そんなことを綾斗が考えている内に一人の女子生徒が思いもよらない言葉を口にする。


「もしかして冬香さんの許嫁とか?」

「はっ⁉」


 綾斗は女子生徒が放った言葉で驚きの余り勢いよく立ち上がってしまった。そして、先ほどまでゲームをしていたはずの冬香がいつの間にか綾斗の隣に立っていた。


 冬香は寝ぼけたような顔をしているが、他の女子生徒たちが後退るほどの殺気を放っている。そこでふと綾斗は何かに気付き、冬香の瞳を食い入るように見つめる。


「伏見さんの瞳って淡い紫色で綺麗だね」

「死ね」


 生々しい音が教室に響き渡る。


 冬香の拳が綾斗の腹に打ち込まれたのだ。しかし、冬香もまた何かに気付いたのか後ろに飛び退き綾斗から距離を取り、打ち込んだ拳の感触を確かめながら再び綾斗に向き直る。


 二人の険悪な雰囲気に先ほどまで騒がしかった教室内が一気に静まり返る。それを察した綾斗は苦笑いしながら口を開ける。


「び、びっくりしたぁ。結構力強いんだね、伏見さん」

「ご、ごめん。男の子にあんなこと言われたことなかったから。ホントごめん。あとややこしいから冬香で良いよ……アヤト」


 そのまま冬香は自分の席に戻っていった。と言っても綾斗の席から斜め前の席のため、綾斗だけでなくクラスの全員の視線が冬香に集まってしまう。加えてよく見てみると耳まで真っ赤になっていた。


「ああ、えっと……聞きたいことって確か前の学校がどこかだよね?」


 綾斗は悟った。


 冬香があまり目立ちたくないタイプの人間なのだと。


 それから綾斗はできる限り自分に注目がいくように質問に答え続けた。その結果、成績並みの上、スポーツ万能、付き合った彼女無し、妹思いの優しいお兄ちゃんという人気を集めること間違い無しのレッテルを貼られるのだった。


☆☆☆☆☆☆


 始業式を終えた綾斗は足早に教室から出ようとした。まさにその時だった。


「綾斗くーん! 部活見学に行きましょう!」


 教室から出た直後の綾斗にまるで抱きつくのではないかと言わんばかりの勢いでもう一人の冬香――ライトグレーの頭髪を肩まで伸ばした美少女が飛び掛かってくる。


 綾斗は目の前の冬香が冬香ではないことを確認するや、誰なのか本気で悩み始める。すでに冬香を怒らせてしまっているため、これ以上伏見姉妹と仲違いすれば引き取る話が無くなってしまうかもしれない。そんな事態にならないように綾斗は真剣に目の前の冬香が誰なのか考える。


「あ、私秋蘭あきらっていいます。五つ子の中では三女になります。以後、お見知りおきよってね。そう言えばさっき名乗ってませんでしたもんね。すいません、綾斗くん」


「ほう。伏見秋蘭ね。よろしく」


 綾斗は食い入るように秋蘭の顔の細部や髪型、肌の色を見るがあるものを覗いては全く同じなためつい「すげー」と声が漏れてしまう。


「もしかして私たちのことを見分けようとしてますね。残念ながら私たちを見分けるのは結構大変なんですよ。だから間違えても気にしないでくださいね」

「それは嫌だ。誰だって間違えられるのは嫌だろ? それに冬香と違うところ分かったし、次は間違えない」

「もしかして瞳の色と髪型が違うところですか?」

「え、ばれた……?」

「それでも分からないのが五つ子の凄いところなんですよ」


 秋蘭は微笑みながら言うと綾斗の手を引く。


「さあ、早く部活見学に行きましょう!」

「ちょっと待った。妹に連絡したいんだけど」

「どうぞどうぞ」


 綾斗は妹――谷坂たにさか梨乃りのに二、三分ほど電話で話してから名残惜しそうに一言二言交わして通話を切った。重い溜息をついたのち再び秋蘭に向き直ると、そこには冬香と秋蘭が横並びに立っていた。遠目で見ても近くで見ても瓜二つなのがよく分かる。


 二人は綾斗が電話を終えたことに気付き、目を輝かせながら勢いよく問い掛ける。


 綾斗がそんな二人の仕草に嫌な予感がしたのは言うまでもない。


「綾斗くんって英国の王子って本当ですか?」

「アヤト、ゲーセンの覇者ってホント?」


 この二人は何を言っているんだ、と言いたげな表情を浮かべる綾斗に対して二人は質問の答えが気になりどんどんにじり寄ってくる。


 その時綾斗が気付いたのは、少しはねた短髪に瞳が黄色い活発系女子が秋蘭だ。そして、秋蘭と同じく短髪ではあるがこめかみの辺りを肩まで伸ばした髪型に瞳が紫色でヘッドホンを携えた静めの少女が冬香だ。


 綾斗は二人の違いに気付けたことが嬉しかったのか、微笑みながら質問に答える。


「残念ながらそれはただの噂だ。まだ転入して三時間くらいしか経っていないのにもうそんな噂が流れてるのか」

「それは綾斗くんのルックスが良いからじゃないですか?」


 綾斗は訝し気な視線を送るが、秋蘭は無視して、再び綾斗の手を引っ張り今にも駆け出そうとする。


「まずは我らが長女、春菜はるなが入部している剣道部に行きましょう!」


 と一人盛り上がる秋蘭を他所に綾斗は胸の奥がざわめくのを感じた。


 秋蘭に手を引っ張られているからではない。町のどこかで不穏な気配が歪に広がり行動を始めたのを感じ取ったのだ。最初はぼやけていた気配が段々と鮮明になっていくのと同時に胸のざわめきも躍動し、そこにあるはずのない綾斗の心臓が早鐘を打ち始める。


 次の瞬間、秋蘭が手を引くのを止めた。綾斗の異変に気付いたらしく心配そうに綾斗を見つめるが、綾斗はあらぬ方向を見ていた。その先に不穏で歪な気配を放っている者がいるからだ。


 綾斗はざわめく胸を抑えながらも、その正体に気付いていた。

不穏で歪な気配。それは綾斗の無くなった心臓の代わりになっているものと同質のものだ。少年は人外染みた感覚に戸惑いながらも二人に視線を送る。


「二人はどうしてお父さんが俺達を引き取ったのか聞いてるのか?」


 二人は眉をひそめながら首を横に振る。


「俺は君達がタロット戦争に参加していることを知ってる。そして、俺の身体の中には……」


 綾斗が言いかけたところで背後から聞き覚えのある声に呼び止められた。振り返るとそこにはライトグレーの長髪をポニーテールで結んだ髪型に瞳が青色の冬香がいた。


「谷坂さん、あなたは確か魔法が使えないのでしたね。私が転移魔法でお送りしますので準備が出来ましたら言って下さい」


 と言ってポニーテールの冬香――夏目なつめはどこから取り出したのか腰の辺りまである杖を廊下に突き立てる。するとそれを中心に漫画でよく見るような青白く輝く魔法陣が足元に展開される。


「ちょっと待ってよ、夏目! どうして綾斗くんがタロット戦争のことを……」

「話は後でします。正直私も許容範囲外の話なのでお父様にじっくり聞きたいところですが、今は目の前のタロットに集中しましょう。秋蘭、冬香、そして谷坂さん良いですか?」


 ぼうっと突っ立っている綾斗に夏目が促す。


「ああ。俺は準備するものがないから大丈夫」


 綾斗は今も躍動する心臓があった場所に手を置く。


 四人は魔法陣の上に立ち、綾斗は緊張した面持ちで唾を呑む。


「行きます!」


 激しい発光とともに視界が真っ白に染まる。


 目を開ければそこは町に数多くある河川敷の一つだった。

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