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第1話

 その日は突然訪れた。


 当時高校一年生だった谷坂たにさか綾斗あやとは、あと数週間もすれば新たな年度を迎え、また違った仲間と一年を共に過ごし心に残るような思い出を作るのだろうと思っていた。しかし、次年度を迎える前に誰が言い出したのか、家族で今年度最後の思い出を作ることになり、とある町へ旅行に出掛けることになった。


 旅先ではご当地グルメや景色を満喫して家族水入らずの時間を謳歌する。


 はずだった。


 何かの焦げた臭いが鼻孔を擽る。頬を撫でる風は生温かく時々冷たくなったかと思えば瞬時に高温となり顔を背けたくなる。綾斗は頭から血を流して気を失っている当時小学六年生だった妹――谷坂たにさか梨乃りのを抱えて立ち尽くしていた。


 目の前に広がる光景は正に地獄そのものだった。町一つが吹き飛んだ訳ではない。規模を小さくして町の一角が消滅した訳でもない。ただ綾斗にとっては地獄そのものだった。


 突然だった。


 何の前触れもなく先程まで谷坂家が乗っていた車が凄まじい衝撃に襲われ轟音と共に横転し天地がひっくり返る。続けざまに耳には鉄と地面がこすれ合う甲高い音と火花が飛び散る小さな炸裂音が叩き込まれる。車に乗っている者たちが我に返るよりも早く車の下部から激しい炎が立ち昇る。近くにいた大人たちが「ガソリンに引火するぞ!」と怒鳴るように言うが、スマホをかざしている者達は物珍しい物を見るかのような表情を浮かべて写真撮影や動画を撮っていた。


 綾斗と梨乃のことを撮影する者もいた。しかし、今の少年にそれを気にする余裕が無かった。


 最愛の妹が血を流して少年の胸の中で意識を失っている。自身の手には赤黒い液体がべっとりと付着し、生温かい感触を無慈悲にも伝えてくる。


 車にはまだ父と母がいる。


 たまたま後部座席に座っていた二人はシートベルトをしていなかったため、車が横転するほどの衝撃を受けた時に車外に吹っ飛ばされていた。ゆえに助かった。無傷ではないもののそれで命が救われた。不幸中の幸いとも言えるだろう。


 少年は願った。


 誰か助けてくれ、と。テレビや漫画に出てくるヒーローはいないのか、と。


「と、父さ……か、か、母さ……り、梨乃……」


 家族の名前を呼ぶ声がか細く吐き出されるが次の瞬間、車が爆発、四散した。


☆☆☆☆☆☆


 嫌なことを思い出してしまった。


 高校二年生になった少年・谷坂綾斗は両親を失う事故に合い、妹の梨乃と共に転校することとなった。


 綾斗は新しく通う学校を前にどこか嫌気がさしていた。周りの生徒と明らかに違う制服に身を包み、見慣れない顔だからだろうか集まる視線に恐怖すら感じた。


「どうしてこんなことになったんだ」


 転校が決まったのは事故が起きて一週間後のことだった。身寄りがない綾斗と梨乃を快く引き取ってくれた人物は、面識もなければ親同士に何かしらの関係があった訳でもない全くの赤の他人だったのだ。加えて綾斗や梨乃には想像もつかないような金持ちでもあったため怪しさすら感じた。それでも背に腹は代えられない二人は了承することにした。


 それからの流れは早かった。富豪の養子になるということもあり、二人もそれに見合う学校に通うこととなった。あまりにも早過ぎる決定に二人とも混乱し戸惑いを隠せないでいた。特に綾斗は制服が間に合わなかったせいで半分憂鬱気味に家を出る羽目になった。


「駄目だ。これ以上進みたくない」


 綾斗がげんなりした様子で振り返ると追い打ちを掛けるように視線が突き刺さる。


 綾斗と梨乃を引き取った人物とは今後の生活や転入手続きなどをするために何度か会っていた。そこから悪い人物ではないことは分かったが、やはり無理な物は無理だ。


 綾斗は大きく溜め息をついて俯く。すると不意に視界が暗くなった。誰かが正面に立っているのか視界に影が重なったのだ。


 顔を上げるとそこには日光を浴びるひまわりのような笑顔を浮かべた美少女が立っていた。日本人ではないのか肩まで伸ばした頭髪の色がライトグレーでつい見入ってしまう。


「あの! もしかして困ってらっしゃいますか? 困ってらっしゃいますよね! もしよければお助けしましょうか!」


 綾斗はひまわりさんから発せられたとてつもなく元気な声に呆気に取られてしまうが、首を振って思考を巡らせる。ところが首を振ったせいで、助けはいらない、と思わせてしまったらしく、ひまわりさんは小さく会釈をして昇降口へと行ってしまった。


 綾斗はしまったとばかりに目を見開き駆け出す。


――助けて欲しいです! 少しでも話せる相手が欲しいです! とっても恐いです!


 心の中の叫びがあわや漏れ出んばかりの勢いでつづられる。


 あれだけ跨ぐのを嫌がっていた新たな学校の敷居も今では駆け抜けている。そして、昇降口に入るや否や先程のひまわりさん、いや、女子生徒を見つけ靴を乱雑に脱ぎ、手に持って駆け寄る。


「ごめん! 実は困ってて、二年四組の下駄箱と教室教えて欲しんだけど!」


 綾斗が必死になって言うあまり、ライトグレーの長髪を腰の辺りまで伸ばした女子生徒は困惑した表情を浮かべる。


「多分、あんた人違いしてるわよ。今回は許してあげるけど。て言うか制服違うし、もしかして不法侵入? いや、確か今日転校生がくるってパパが言ってたような……」


 女子生徒は顎に手を当て考え込むや綾斗を一瞥して続ける。


「まあ良いわ。二年四組の下駄箱ならあそこよ。クラスごとに札が上に置いてあるから早く置いて来なさい。ここで待っててあげるから」

「ありがとう!」


 綾斗は待たせてはいけないと思いまた駆け出す。


 女子生徒の言う通り下駄箱の上にはクラスが分かるように札が置いてあった。転校生である綾斗は必然的に出席番号が最後なため靴はすぐに入れることができた。上履きも制服が間に合わなかったお詫びとして引き取り人から貰っていた。だが、それとは別に下駄箱の作りが明らかに以前の学校の物と違い過ぎることに絶句してしまう。


 綾斗はすぐに履き替え顔を上げると、そこには先ほど待っていると言っていた女子生徒が立っていた。見た所同じクラスなのか上履きを取り出すところだった。


「あれ? もしかして来てくれたの?」

「……」

「ん? さっきまでヘッドホンしてなかったような……」


 ジッと綾斗が見つめていると、ライトグレーの短髪を両サイドだけ肩の辺りまで伸ばした女子生徒が視線に気付いたのかヘッドホンを外して訝し気な視線を向ける。


「誰?」

「え? ああ。そう言えばまだ名乗って無かったっけ。俺は谷坂綾斗。君は?」

伏見ふしみ冬香とうか。私に何か用? 見たところここの生徒じゃなさそうだけど」


 つい先ほどは転校生と言い当てていたのに、と綾斗は思いながら眉をひそめ応える。


「俺、転校生でさ。二年四組の教室教えて欲しんだけど」

「ああ、確かトトが今日来るって言ってた気がする。分かった。じゃあついて来て」


 女子生徒は踵を返して歩き始める。綾斗も後を追うようについて行く。先ほど待っていると言っていた場所とは正反対の方向に進んでいるのでやはり迎えにきてくれたのだろうと思い綾斗は心の中で感謝をする。


 しかし、綾斗は考える。校門前と先ほどと今とで随分と雰囲気が違う気がする。本人に直接訊くのも失礼になってしまうため聞けないが、それでも引っ掛かるところがある。だが、今はそんなことを気にしていられる余裕はない。


 以前の学校とは廊下の作りと下駄箱の作りが違い過ぎるためつい見入ってしまう。なぜ下駄箱に金の鯱を飾り、きめ細やかな装飾があるのだろうか。なぜ廊下に赤い絨毯が敷いてあるのだろうか。そもそも校舎の大きさが異常だ。一階の天井までの高さがおそらく以前の学校の二階分はあるだろう。電灯も綾斗が知っている蛍光灯が剥き出しになっている物ではない。小型のシャンデリアが等間隔でぶら下がっている。


――前の学校と比べては駄目だ。


 綾斗は案内をしてくれている冬香と会話をしようと思い前を向くが、いつの間にか消えていた。あまりにも異常な校舎に気を取られていたせいで目の前を歩いていた冬香を見失ってしまったのだ。それほどまでに綾斗が通う新たな学校は豪華と富豪に満ち溢れていた。


「君どうしたの?」

「制服が違うようですけど、もしかして転校生の谷坂綾斗くんですか?」


 この学校で唯一聞き覚えのある声が耳に入る。

 綾斗は謝ろうと振り返るとそこには冬香が二人いた。


「うわあああああ!」


 驚愕を露わにした綾斗は思わず叫び尻餅をついてしまった。


「ちょっとこんな可愛い子を見て、うわああああ! なんて酷くない?」

「私ってそんなに怖い顔してますか?」

「怒ると姉妹では一番怖いかも」

「そ、そんな! 顔は同じなのですから皆同じなはずです!」


 二人の冬香の会話を聞いていてようやく理解できた。

 冬香は双子だったのだ。その容姿はあまりにも似すぎていてどちらが冬香か分からないほどだ。


「ごめん。初めて見たから」

「その反応だともう皆とは会ってるみたいだね。教室の場所とか分かる?」


 片方の冬香――ライトグレーの短髪の美少女が応える。


「え?」

「「え?」」


 二人の冬香が同時に困惑する。

 綾斗は二人のどちらかが案内してくれていた冬香だと思っていた。


「冬香さんってどっち?」


 二人の冬香はお互いの顔を見てから腹を抱えて笑い出す。そこまで笑うかと思うほど笑ったあとで一言詫びを入れてから口を開く。


「私は伏見ふしみ春菜はるなでこっちは――」

夏目なつめです。よろしくお願いします」


 夏目です、と答えた冬香、もとい、夏目はライトグレーのポニーテールの毛先を弄びながら綾斗を見つめる。


 その視線の先にいる少年はと言うと目が点になっていた。


「ちょっとあんた! 何先に行ってるのよ! 心配して探しちゃったじゃないの!」


 春菜と夏目の背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「まだここにいたの? ゆっくり歩き過ぎ」


 また聞き覚えのある声が今度は綾斗の背後から聞こえてくる。


「むむ! 君はもしやさっきの! やっぱり困っていたんですね‼」


 またまた聞き覚えのある声が冬香の背後から聞こえてくる。


「も、もしかして……」


 綾斗は息を呑む。


「私達は五つ子の姉妹です。これからよろしくお願いしますね、谷坂綾斗くん」


 五人の冬香の内の一人が言った。


 この時綾斗は思った。


――この世に五つ子が実在するなんて。あの人の言っていたことは本当だったんだな。

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