──なんだ、これ? こいつ本当に……。
スマートフォンに佐野からのメッセージが入っていた。
もともと常日頃から頻繁に連絡を取り合うような関係でもないのにどうしたのか。しかもこの内容は……。
《航。あたし、エイリさんと会って話したいの。あの子の予定きいて。あたしはこれからでも大丈夫だから。》
一方的に命じるようなメッセージ。佐野がいったい、瑛璃とどういう話があるというのか。
そういえば、「東京に行く」と話した時に従妹が「佐野さんがうちに来て」と言っていたと思い当たるが、友人同士でもないのに一体何事だろう。
あの瑛璃の言葉がなければ、黙って断ったかもしれない。
しかし航のいないところで二人が顔を合わせていたのなら、とりあえず知らせた方がいいのではないか。
「佐野が瑛璃ちゃんと話したいって。あ、でもいやだったら無理しなくていいから!」
考えた末に、航は事実だけを知らせることにした。それで瑛璃が嫌がるならもちろんそれで構わない。
戸惑いは伺えたものの承諾した彼女に、佐野と連絡を取ることになった。
《佐野。瑛璃ちゃんいいって。お前どうする? 家来んの?》
《今から行く!》
送信したメッセージにはすぐに既読がつき、間髪入れずに返信が届いた。
伝言を伝え、瑛璃に断って部活のために家を出る。このあとのことが気にはなるがどうしようもなかった。
「小野塚先輩、お疲れ様です!」
「おー、お疲れ」
部活の練習終わり、後輩が声を張るのに、片手を上げて答えた。
公式戦に「出る」のがやっとの弱小部ではあるが、みな本気で頑張っている。勝つことがすべてだとは思っていないし、その価値観ならこんな部にはいられないかもしれない。
それでも航も、きっと他の部員もバスケットボールが好きな気持ちは本物なのだ。
「あ、小野塚さん! 東京の大学行くってホントですかあ!?」
「『行く』じゃなくて『行きたい』な。ただの希望だって」
横から加わった別の後輩の問いに苦笑混じりで返す。「行く」と決めて行けるものならどれだけいいか。
瑛璃に告げた直後、同じ部の親しい友人に進路について訊かれて話しただけなのだが、もう一年生までが知っていることに驚かされた。とはいえ口止めなどしていないし、当然する気もなかったので話が広がることについては不快感があるわけではない。
少人数の部で先輩後輩の垣根も低いこともあるのかもしれないな、と考えた。
着替えて、部活の仲間に別れを告げる。
一人になってバッグのスマートフォンを確かめると、佐野からのメッセージが入っていた。
《航! あんた絶対東京なんて向いてない! もっと考えた方がいいよ!》
──いや、マジなんなんだよ、こいつ。失礼すぎんだろ! つーか誰に聞いたんだ? 亮平、とは別に接点ないよな。あ、
この調子だと、瑛璃にも何か言ったのかもしれない。
冗談ではなかった。航の人間関係で、彼女に迷惑を掛けるなどあってはならない。
やはり知らせる前に自分が断るべきだったか、と航は全力で自転車のペダルを踏み込みながら自宅へ向かった。
「瑛璃ちゃん、あいつに何かいやなこと言われたりしなかった?」
「何も」
帰宅してすぐ、汗を流すよりも先に階段を上がり瑛璃の部屋のドアをノックした航に、彼女は静かに一言口にしただけだった。
否定されてはそれ以上何も言えず、とりあえずシャワーを浴びて部屋に戻って来た。
あれはどう解釈すればいいのか。
瑛璃はたとえ佐野に暴言を吐かれても、航に「告げ口」などしないだろう。彼女はそれで航と佐野の間に波風が立つことを、何よりも避けようとするに違いなかった。
どこまでも繊細で、航の目にも必要以上に気を遣う従妹。元々の性格もあるとしても、おそらくはいつも過剰に怯えて過ごしていた家庭環境のせいも大きいのではないか。
瑛璃と接して得た印象の限りでは、彼女は「自分が我慢すれば済む」という感情が強いのだ。
もし佐野が、航が危惧したように嫉妬や何かで瑛璃を……。
頭に血が上った状態のまま航はバッグの中に入れたままだったスマートフォンを掴み出し、佐野の番号を呼び出して電話を掛けていた。
『……航? 何──』
「佐野!? お前、瑛璃ちゃんに何か言ったのか? あの子を傷つけたら、俺は絶対にお前を許さない!」
通話が繋がってすぐ、向こうの声に被せるように捲し立てる。
『知らないわ! 何なの、いきなり!』
叫ぶなり、佐野は通話を断ち切った。
今の反応ではなんとも判断がつかない。
気が強い彼女は、頭ごなしに責められたらまず条件反射的に反発するのは予想できた。
図星だったからか、それとも事実無根の疑いへの怒りか。
瑛璃が大切で、どうにかして守りたかった。航が彼女のためにできることなど、他には何一つない気がした。
《航。お願いがあるの。エイリさんに次のメッセージ見せて。》
あの電話以来何の音沙汰もなかった佐野からの、数日ぶりのメッセージ。
学校に行く時間は重なっていたとしても、部活の種目も別で練習場所が同じになることはなく、偶然に任せていてはまず互いの動向はわからない。
《エイリさんがなにも悪くないのなんて、ホントはあたしもわかってる。もしよかったら少し話したいの。メッセージでいい。このコードであたしのIDわかるから。》
文面は特に問題はなさそうだ。
しかし、航には真の意図が読み取れない以上、すんなりと見せていいものか判断に困る。
《あんたにはわかんなくてもエイリさんには通じるから。お願い。》
既読はついたのに返信がないことから航が迷っていると考えたらしく、さらにメッセージが送られて来た。
《ちょっと待て。》
それだけ送って瑛璃の部屋に向かう。
伝言を頼まれた、と口にした航に、彼女は戸惑っているようだ。
それはそうかもしれない。「友達」でもない年上の相手から何度もコンタクトを取られたら迷惑にも感じるのは当然だ。
「でも瑛璃ちゃんがこれ以上やり取りしたくなかったら、俺に気ぃ遣うことないから。俺が断るし、それでもしあいつがなんか言ってきたらなんとかする!」
「私は大丈夫だから見せて」
従妹の表情を確認し、どうやら大丈夫のようだ、とスマートフォンのディスプレイを彼女に向けた。
表示されたコードに自分のスマートフォンを向けて読み取っている彼女に首尾を確認し、自分はどうすべきかと訊いてみる。「しばらくしたらここに来て」という彼女に頷き、後ろ髪を引かれる想いで自室に戻った。
何をする気にもならず、なかなか進まない時間を持て余す。どうにか二十分が経った頃、痺れを切らして瑛璃の元へと向かった。
ノックに答えてドアを開けた彼女は笑みを湛えて落ち着いている。
「どうだった?」
「もう終わったわ」
航の問いに、瑛璃は静かにそう返して来ただけだった。
温和な雰囲気。
根拠などないものの、なんとなく「もう大丈夫」と信じられた。そして佐野との間には、何らかの軋轢、のようなものはあったのだろうということも。
本当にどうしようもなかったら遠慮などせずに頼って欲しかった。しかし、これは無理をしている表情ではないと感じる。
だから航も信じることにする。従妹と、幼馴染みを。