「ただいま~、っと──」
夏休みに入り、部活を終えて急いで帰宅する。
玄関ドアを開けて何も構えず家に入ろうとした航は、そこに立っていた少女の後ろ姿にたじろいでしまった。
──え!? この子、が、えっと……、瑛璃ちゃん? なんだ、この髪の毛。写真の色、もうちょっと違ったよな?
叔母から送られて来た画像では、父と同じく髪が茶色いのはすぐにわかった。父が自分のスマートフォンを見せながら、「この子が瑛璃ちゃんだよ。生まれつき、髪も目もすごく明るい色なんだ」とも言い添えていたのだ。
現実に目にした従妹の髪は、金、とは言わないまでも驚くほど色素が薄かった。しかし父の言いようからも、これが地毛だということなのだろう。
「今日来るって言ってた従妹の子、だよね?もう着いたんだ」
流石にここで沈黙するのはまずい。
「あ、俺は航。間に合うように帰って来たつもりだったのにな」
お邪魔してます、と丁寧に頭を下げる従妹に、何も気にしていない、と知らせるように続けた。
──写真でも思ったけど、すげえきれいな子だよな。東京ってそうなのか? テレビに映る普通の子もみんなきれいだし。それに一応、挨拶とかはちゃんとしてるみたいだ。良かった。
瑛璃に家の周りを案内したい、と言い張る母に、強硬に逆らう気もなく家族揃って家を出る。
特に「案内」するような場所もないと思うのだが、確かに全然知らない土地に来て放置されたら不安なのは航にも想像はついた。
母も結婚を機に何の縁もなかったこの町に来たので、彼女の気持ちはわかるのかもしれない。
帰宅した夕食の席で母が唐突に瑛璃に話し掛けた。
「瑛璃ちゃんて綺麗な名前よねえ。キラキラ宝石、というか『宝物』って感じかしら」
「あ、はい。そういうイメージ、らしいです」
──おい、何言ってんだよ! 「キラキラネーム」って褒め言葉じゃねーだろ! 相手によったら激怒じゃん、こんなの。
「うん。瑛璃ちゃんていい名前だよな! 俺なんて海だから『航』だもんなあ。安易だし、『コウ』って間違われるしさ」
どうにか誤魔化そうと割り込んだ航に、母はいつも通り返して来る。
「『海の近くだから航でいいか〜』なんて手抜きじゃないわよ! それに『わたる』って読む方が普通よ!」
「もうその感覚が古いって」
どうにか話が逸れた、と安心した。
母は決して悪い人間ではない。むしろ「明るく世話好きで、気のいいおばさん」なのだが、おおらかを超えて大雑把でいい加減な部分もあるのだ。
夕食を済ませ、まずは自分の役割を果たしておくか、と従妹に与えられた部屋に向かう。
明日は部活の練習もないので、どこかへ連れて行けば最低限の
両親に課されたわけでもなんでもない、航が自分で考えたに過ぎない義務だった。
「そんなら今日見た浜行こうか。遊泳禁止だけどきれいな海だよ」
海に行ってみたい、という彼女に翌日出掛けようと約束する。少し歩くが、あの浜で一つ片付くならかなり楽な部類だろう。
「航、ちょっと」
瑛璃は入浴中だから、と母に呼ばれてリビングルームで二人話す。 気になっていた髪の色についてもつい零してしまったが、それよりも「夏休み中」に言及した航を母が咎めた。
「……どこのお家にも事情があるのよ」
その通り、だ。自分はそれをよく知っている。
この母の対応からも、従妹にはそれなりの事情があるのだろう、と改めて察した。
彼女の前で不用意に出さないよう注意しなければ。
「あ! 航、瑛璃ちゃん来るわ」
バスルームのドアが閉まる音に、母がはっとしたように会話を中断して顔を上げる。
「お風呂、先にいただきました。すみませんでした」
リビングルームのドアを開けた瑛璃が告げるのに笑顔を作りながら、聞かれなくてよかった、と航は胸を撫で下ろした。
陰口を叩いていたつもりはないが、コソコソと噂話をしていたことには変わりがないのだから。
翌朝、航はスマートフォンのアラームの音に起き上がる。
いつも止めてしまって、母が怒りながら起こしに来るのがお決まりなのだ。
今日からは瑛璃がいる。いつまで続くかわからないとはいえ、初日からだらしない姿を晒したくはなかった。
けれど結局、完全に覚醒していなかったらしく、階下で瑛璃と顔を合わせてようやく「寝間着のままだ」と気づく始末だ。
「あ、あ。俺、着替えて来る!」
「今さらでしょ。先に顔だけ洗って早く食べて」
母に冷たくあしらわれ仕方なく洗面所へ向かおうとしたその時、瑛璃が気遣わし気に口にした言葉に一瞬頭が真っ白になった。
「あの、私は他所のお家だからきちんとしないと失礼だと思って。航、くんは自分の家だから気にしなくていいんじゃない?」
「よそ、……まあ確かによそだけど、夏の間はここの子だと思えばいいじゃん。ねえ、母さん!」
よその家、よその子、──自分の、家。
初めて「自分はこの家の子ではない」と知らされたあの日を思い出す。瑛璃の言に寄るならば、航も「この家の子」ではない、とも言えるのだ。
航自身はそんな風には考えていない。両親もそうだと自信を持って言える。無関係の「他人」がどう感じようと、それが自分たちの、……小野塚家の実際だ。
驚いたような瑛璃の表情に失敗したと感じても、撤回する気にはなれない。
「そうよ、あたしはそのつもりで引き受けたんだから!」
母の堂々とした声に背中を押されるようだった。
「航、何やってんの?」
出掛けた先の浜で瑛璃と水遊びをしているところを、幼馴染みの佐野が見つけて声を掛けて来た。
誰かと問う彼女に従妹だ、と返し、ついでに少し立ち話する。
二人の間に入りようもなく海を眺めている従妹が気になって、航は佐野を追い払うように帰らせた。
佐野が去ったあと。
昨夜、母と話したことが堪らなく後ろめたく感じてしまった。悪口ではなくとも、本人に直接告げられないことには違いない。
今日、ほんの数時間過ごしただけでも、この子が己の偏見を覆す存在だというくらいは通じたからだ。
「……ゴメンな」
「え? 何か言った?」
聴こえなければいい、と願った謝罪は、従妹の耳には届かなかったようだ。安心している自分が姑息に感じる。
「いや、何も! そろそろ帰ろうか」
仕切り直す勇気もなく、航は慌てて誤魔化す。
この町に来て、両親と航に会えて良かった、と笑ってくれる瑛璃にどうにか笑顔を返しながら帰途に就いた。