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『潮騒のSincerely』①

「それにしても、あんた本当に偉いよねえ。他人の子引き取って育てるなんてさ」

 たまに訪ねてくる近隣の主婦が、家の前の道で母と立ち話をしているのを聞いてしまった。

 幼稚園は夏休みで、無尽蔵の体力で外遊びに夢中の毎日を過ごしていた。

 その日も同じくで、水筒は持たされていたが疲れておやつが欲しくなって帰って来たところだった、気がする。

「……航はあたしと主人の子ですから。偉くなんてない、当然です」

「そう言えるのがすごいのよ! 『よその子』を『自分の子』にさ。本当、大変だと思うけど頑張って」

 それでも穏やかに返す母に、彼女は何か納得したように一人頷いてして帰って行った。

 外壁の影に隠れた航には気づかないままに。

「おかあさん、ぼくよその子なの?」

 その日の夕食時、抱えていられずに訊いた航に両親は顔色を変えた。

「なんで……、どうしてそんなこと──」

はるの春野のおばちゃんがおかあさんとしゃべってるのきいた」

 言葉を詰まらせる母に説明しながら、心のどこかで「ああ、本当のことなんだな」と感じたのを今も覚えている。

「航、──」

「お母さん、落ち着いて」

 普段のおおらかな明るさを消し去ったような母の様子に、横から宥めるような父の声。

「ごめん、お父さん。あたしがもっと気をつけて……」

「いや、春野さんはああいう人だから気をつけようがないだろ。……もし家に籠ってたって、強引に上がり込んででも言いたいこと言ってくよ。航の姿が見えなかったら、いるかどうかも構わないでさ」

 俯いて呟く母、気遣わし気な父。

 航が見たこともなかった二人の姿に、自分は言ってはいけないことを口にしてしまったのだ、と怖くて堪らなかった。

「……航、とりあえずご飯食べよう。お母さんが作ってくれたんだから温かいうちに食べないと悪いだろ」

「う、うん」

 誰も口を開かない静かな食事を終え、食器を片付けた食卓で父がすべて話してくれた。

 航が両親の実子ではないこと、引き取った簡単な経緯、……けれど間違いなく大切なだ、とも。

「この辺の人はみんな知ってるから。航が中学に入ったら全部言おうと思ってたんだ。いきなりでびっくりしたよな、ごめんよ」

「びっくりした! でも、おとうさんとおかあさんはぼくの『おとうさん』と『おかあさん』だよ。だいすきだよ」

 その年齢なりに精一杯伝えたかった。

 実の子ではなくとも「大切」にされていると言葉ではなく感じていたからだ。

 そのあと両親がどういう反応を示したのかは航の記憶にない。だからおそらく、その場では母も泣くことなどなく表面上は平静を保っていたのだろう。

 以来十年以上、小野塚家の三人は小さな喧嘩や揉め事は経験しつつもごくの家族として暮らして来たのだ。

    ◇  ◇  ◇

「航。頼みがあるんだ」

 高校二年生の六月も終わる頃。

 夕食の後で父が深刻そうに切り出した。

「何? そんな改まって」

「うん。実は従妹、……ああ、お父さんの妹の祥子叔母さんの娘だよ。叔母さんたちが東京に住んでるのは知ってるだろ? その子を夏休みの間うちに泊めたいんだ。お前には特に面倒掛けることはないと思うんだけど」

 叔母と従妹の存在は当然知らされていたが、会ったこともなく名前さえ知らない。航が覚えていないだけかもしれないが。

「あー、俺にも従妹っていたんだよな。別にいいよ、それくらい。その子いくつだっけ? 中学生?」

「いや、高校一年生だよ。航より一つ年下だから」

 夏休みの間。ひと夏ずっとということだろう。

 叔母は叔父とは共働きで、忙しくしているらしいというのは聞いた覚えがあった。

 ──まあ小さい子じゃないけど、やっぱ子どもがいたらほっとけないもんな。都会の人の感覚ってわかんねえから「預け先の田舎があってラッキー」なのかなあ。それにしてはなんで今まで来なかったんだろ。小学校までとかの方が手も掛かるし、いなかったら助かるんじゃねえの?

 それこそ「ずっと世話をして」やらなければならない年齢ではない。

 父の妹の子だというからにはそれなりに気遣いは必要だとしても、部活の合間を見て何度か遊びに付き合えば十分の筈だ。

 あとはその従妹がどういうタイプかによる。「田舎」をあからさまに下に見るようなことがないといいのだが、と「東京の子」に対する漠然とした不安は消せなかった。

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