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第八章②

「でもさ、伯母さんてお料理上手よね。ご飯だけじゃなくてお菓子まで! スコーンもクッキーも、形はちょっと崩れてたり完全には揃ってないけど、味はお店みたいに美味しかったわ」

「ああ、俺はああいうのよく知らないけどそうらしいな。あんまり細かく気をつける人じゃないから見た目は適当だけど、おすそ分けした人なんかに味はいいってよく言われる」

 美味しかった、という気分のままに、航が出した「スコーン」という単語に伯母を連想して話し出した瑛璃に、航があっさり答える。

 彼女は普段から、航が部活で家を空けている日中に手作りの焼き菓子を出してくれていた。

「……そういえばさあ。昔、小学校の遠足の弁当がすげえおかずいっぱいで美味そうだ、って騒がれたことあったんだ」

「なんとなくわかるわ。伯母さんそういうの好きだし張り切りそう」

 何気ない風に切り出した航の台詞に、特に思うところもなく返す。

「それ見て『もらわれた子なのに、そんな弁当作ってもらってずるい!』って言ったやつがいてさ。……そいつ、おばあちゃんの作った茶色い弁当が恥ずかしかった、って後で謝って来た」

「それは言った子がおかしいよ。──でもちゃんと謝ったんだ」

 この話題はよくなかったかもしれない、と瑛璃は内心焦る。

 しかしいったん口にしてしまった以上、下手に慌てて撤回などしたら不自然だ。

「友達だったしな〜。第一、母さんのも別にカラフルなキャラ弁とかじゃないんだけど。唐揚げにミートボール、卵焼きにきんぴらごぼうとか、茶色といえば茶色だったな」

 いきなり重さを増した会話に掛ける言葉を探りつつの瑛璃に、航が労るような声音で話す。

「俺たちの間ではもうそれで終わったんだよ。でも他のクラスメイトが家で話したりして、親関係でちょっと問題になったみたいで。『航くんがいじめられた、あの子は父親いなくてばあちゃんが甘やかすからしつけできてない、うちの子にも〜』とかって」

 まあ確かにちょっとやんちゃっていうか、間違っても「おとなしいいい子」じゃなかったけどさ、と航の少し沈んだ声。

「その、子は?」

「今はここにいない。小学校の途中で、お母さんが結婚して新しいお父さんと暮らすからって引っ越してった。どこからだったか忘れたけど、幼稚園入る前くらいの小さいときにお母さんの実家に二人で帰って来たんだって。お父さんは最初からいなかったって聞いた。おじいちゃんとお母さんが働いて、おばあちゃんがそいつの面倒見てたらしいよ」

 完全に他人事として、それでも上手く行ったのなら良かったのか、と聞いていた瑛璃は続く航の声に今度こそ胸が締め付けられる気がした。

「……そのとき、もし俺がなにか『悪いこと』したらこんな風に言われるんだな、と思ったんだ。父さんや母さんには何の関係もなくても『ホントの子じゃないから・貰われた子だからちゃんとしてない』って責められる。もともとなにかする気なんてないけど、ガキなりに『自分はよりきちんとしないといけないんだ』って痛感したっていうか」

 おそらくその時からずっと、航はその思いを抱えて来たのだろう。

「航くんはわざわざ気をつけなくたって、考え方もすごいしっかりしてるじゃない! そんな、そんなの気にする必要なんかないくらいに……!」

 思わず言い募った瑛璃に、彼はテーブルを挟んだ距離のまま目を見つめて「ありがとう」と呟いた。

「そろそろ出ようか」

 一息入れて航が切り替えるように口にするのに、瑛璃も逆らう気もなく頷いて立ち上がった。

    ◇  ◇  ◇

 それ以来、電車に乗って二人で何度も街を訪れていた。

「瑛璃ちゃん、次は何か食べたいものある? あ、スイーツ、っていうの? メシじゃなくて甘いもんでもいいよ! また友達に良さそうなとこ訊くしさ」

「そうね。スイーツもいいかも。甘いもの好きだし。航くんもよね?」

 毎回、航が最初のカフェのように「地元で有名な、友人間で話題に上がる」スポットに連れて行ってくれる。

 どこも目新しさだけではなく純粋に楽しめた。

 しかし結局、モールに行ったのは一度きりだった。

 どれだけ違うか、あるいは同じか確かめよう、と航に促されてあまり気は進まなかったが足を踏み入れたショッピングモール。

 確かに中に入ればいったい何処なのかわからなくなるくらい、行きつけの地元の施設と似た空間だった。

 東京と変わらない、それなのに何かが異なっているのも間違いないのが不思議でもあった。

 明確に言葉にはできない空気のようなものを肌で感じていたのだ。

 来る前は、僅か一か月がまるで永遠に思われた夏休みももう残り少ない。あっという間に、飛ぶように、という表現がそのまま当て嵌まるようだ。

 もっと欲しい。彼と離れたあとに、反芻するための楽しい経験の記憶が。

 東京には行きたくない、この町にいたいと言っていたらしい従兄。

 故郷で両親と過ごしたいという考え方自体は何もおかしくはない。

 彼がただ「都会の大学へ行って遊びたい」といった浮ついた人間ではないというのもまた、瑛璃にもわかっている。

 それでも、今からそこまで決めているというのはやはり不思議だった。

 実態として、この町では進路の選択肢は限りなく狭まるのは間違いない気がする。それさえも、瑛璃の身勝手な感情から来るもので、航には余計なお世話なのだろうか。

 この夏もいつか終わる。必ず終わる。

 そうすれば帰れる、と待ち望んでいた筈の「終わり」に、いつしか瑛璃は怯えていた。

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