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第六章①

「瑛璃ちゃん、祥子……、ママが週末に来るってさ」

 夏休みも半分過ぎた頃、瑛璃は伯父にそう聞かされた。

 もちろん、母からも直接メッセージが来ている。要件だけの端的なもの。

 これは瑛璃にとっては朗報なのか、それとも……?

 伯父の声からは悪い印象を受けなくとも、母が正直に「こちらに来る理由」を話しているとは限らない。

 両親の離婚はもう避けられないのではないか。

 強がりでもなんでもなく一向に構わなかった。

 父にいい感情など一切ないし、いつも顔色を窺わなければならない窮屈な毎日から開放されるならただ嬉しさしかない。

 母は仕事を続けていて、父がいなくても生活して行けるだけの経済力もある。「誰のおかげ」と恩に着せる物言いをしていても、実質瑛璃が生きているのは母のおかげだ。父ではなく。

 しかし、いざ父を目の前にしたら何も言葉が出なかった。こういう関係は不健康な気がする。とにかく、離れたい。

 直接聞いたことはないのでよくわからないものの、母は別れたがっていた筈だ。

 父が体面上、離婚なんて! と拒否していたのだろうことは容易に想像がついた。家庭内ではともかく、『外』に向けては形だけでも円満な家族を装いたがった父のことだから。

 ……それとも母は、娘の存在に縛られて躊躇して、──あるいは我慢を強いられていたのだろうか。責任感からも。

 もしそうだとすれば、母の決断のその先にあるものは瑛璃にとってどういう意味を持つのか。考えるほどに救いは見えてこな

 それだけが怖くて堪らなかった。

「祥子はなあ。じいちゃんの反対押し切って、瑛璃ちゃんのパパと結婚して出てったから」

 沈んだように見える瑛璃が気掛かりなのか、伯父が顔をしかめて教えてくれる。祖母はその頃にはもう故人だったそうだ。

 両親が駆け落ち同然で結婚したのは、瑛璃もなんとなく察していた。二年前に亡くなったという祖父とは、結局一度も会ったことはない。 

 単に瑛璃が覚えていないわけではなく、祖父が最期まで許さなかったのだという。きっと父を嫌っていたのではないか。

 よく父が機嫌の悪いときに祖父を罵っていたのも記憶にあった。生前の話だけではなく。

 祖父は葬式にも両親を呼ぶなと「遺言」したそうだから相当なものだ。

 瑛璃は親の離婚自体を不安に感じたことなどなかった。 そして、そうなったら当然母につくものだとも考えていた。ただ、……母はそうではなかったということなのかもしれない。

 心機一転、一人でやり直したい。

 それとも単純に、「あの父の娘」である瑛璃と離れたいと願っていたとしても驚きはなかった。

 瑛璃は母に見捨てられるのだろうか。そうなったらいったいどうすればいいのか。

 まだ高校一年生。

 今すぐ放り出されることはなくとも、自分を邪魔だと思っている相手に養ってもらい、毎日一緒に過ごすのはつらかった。

 大好きだった、……今も好きで大切な母に抱いてしまったその思いがもう心苦しい。

 もし母が瑛璃を「捨て」たくとも、まさかここにずっと放置はあり得ない。

 母がそのつもりだったとして、伯父や伯母が承諾するわけはないのだ。期間限定の緊急避難的なものだからこそ、彼らは仕方なくお荷物を引き受けてくれたと思っている。

 伯母のかわりに何もかもすべては無理でも、学校へ行く以外の時間は家事をするからここに置いてください、と頼んでみようか。

 高校の転校は難しいのも知ってはいるが、事情があれば考慮してもらえる気もした。

 流石に母も、瑛璃に愛情がなくなっても高校の間の学費と生活費くらいは出してくれるだろう。卒業したら就職して、どうにか独立できるようにすればいい。

 東京に帰るのが嫌なわけではない。かと言って、この町が気に入って離れたくないというほどでもなかった。

 ただ少しでも、瑛璃を受け入れてくれる、……必要だと告げてくれる場所が欲しかった。ここがそうだと言い切れないのは不安であっても。

 伯父たちも、立場上仕方なくいい顔を見せているだけだとしても不思議ではない。

 電話ではなくわざわざ新幹線を利用してまで来るというのは、それだけ重要な用があるという証左ではないか。

 母は瑛璃を迎えに来るのだろうか。東京の家に連れて帰るために。それとも他に何かが……?

 ──私の夏も、もう終わるのかな。

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