「航ぅ! 何やってんのー!?」
航と二人、いつもの浜で遊んでいるときに掛けられた声。
振り向くと、自転車に跨った白い半袖ブラウスに紺のボックスプリーツスカートの制服の高校生風の少女だった。少し癖のある黒髪をショートカットにしている。
色合いがあの写真の航と同じだ。つまり同じ高校の制服ということかもしれない。
「
「そうじゃなくて! 誰? 旅行で来た人?」
大きなバッグを肩から掛けた彼女が、自転車を道端に停めて一直線に砂の上を駆けて来た。
「従妹! あと、それ本人目の前にして訊く事か!? 相変わらず雑だよな」
「あ、従妹来るって言ってたっけ? でももっと小さい子かと思ってたからさあ。年下って聞いたよ」
佐野と呼ばれた彼女は、従兄の苦言など完全に聞き流して何食わぬ顔で話を繋ぐ。
「年下だよ。高一」
どこかうんざりしたような、……けれど航は本気で嫌がっている感じもしなかった。同級生だろうか?
「あ、あの! 航く、んの従妹の浅香 瑛璃です」
テンポのいい掛け合いに口を挟めないでいたのだが、瑛璃はふと我に返って従兄の友人らしい少女に挨拶する。
「こんにちは。あたし佐野 めぐみですー。航とは同い年で、幼稚園から高校までずっと一緒なの」
やはりそうなのだ。これほど親しそうなのだから。どこか棒読みに聞こえるのは、やはりこの町では瑛璃は「余所者」だからだろうか。
「お前制服で学校行ってたのか? 部活?」
「うん。
「あーはいはい。そうだよ。弱いから厳しくしたら部員集まんねえの」
瑛璃にはわからない会話に、一歩下がって海に目をやった。
ここは航の生まれ育った町で、小さい頃からの知り合いがいるのなど当然ではないか。
「じゃあな! もう帰れよ」
航に追い払われるようにして、不満そうにしながらも彼女はふいと背中を向けて道路の自転車の方へと歩き出した。
「東京から従妹が来るって聞いてさ、田舎を見下すような子じゃないといいなと思ってたんだ」
従妹がいるのは知ってたけど、会ったこともないしどういう子かわからないじゃん? と航がようやく聞こえるような小声で話す。
先程の佐野とのやり取りからの流れだろうか。「一時的に訪れては去っていく人々」に対する言い分は、地元の彼らにあって当然かも知れない。
「そんなこと──」
「あ、そう思ったけど違ったなって! だから言ったんだ」
咄嗟に否定しようとした瑛璃に彼も早口になった。
「最初、……最初はさ、『遠くから来てくれるんだから、初めて会う従妹だしなんとか上手くやんないと』って気負ってたよ。それは悪いけどホント」
知っている。聞いてしまったから。
けれど、今は違うというのならそれを信じたい。
航と過ごした長くはない時間の中で、彼の人となりもある程度までは把握できているつもりでいた。
これが彼の本音なのは確実だ。それ以外にわざわざ都合の悪いことを瑛璃に暴露する意味も必要もないからだ。
航はおそらく、瑛璃へのそういう初期の感情を悔いているのだろう。口を拭っていればそれで済むのに。
それだけこの従兄の言動は疑いなど抱く余地もないものだった。
「なんか俺も偏見持ってたよな」
目を伏せる彼の素直な気持ちに応えたい。
「すごくいいところ。来て良かったよ。伯父さんも伯母さんも、……航くんもいい人で嬉しい」
瑛璃が伯父の家の人たちにとって、押し付けられた邪魔者だという自覚くらいは今も変わらずあった。甘え過ぎてはいけない、と自戒してはいても心地いい。
「俺もよかった! あのさ、他にもどこか行きたいとこあったら考えといて。いや、都会から来た人連れて行ける観光地なんてないけど。遊びに来る人はだいたい海目当てだし。でも『東京にはない』ものはたぶんいっぱいあるから」
ありがとう、と視線を合わせて告げた瑛璃に、航は右手を額に当てて照れたように笑った。
◇ ◇ ◇
部屋で勉強しているところへ、伯母が焼いたというスコーンとお茶を差し入れてくれた。
「あ、ありがとうございます。すごい、お菓子まで作られるんですね」
「こういう細々したこと好きなのよ。時間だけはあるし。素人の趣味だけどね~」
伯母の謙遜に、瑛璃は首を左右に振る。
「すごく美味しそうです!」
クロテッドクリームと緩めのジャムが添えられた焼き菓子に、表向きではない感嘆が漏れた。
母は仕事もあり、食事はともかく菓子作りまでは到底手が回らない。
言うまでもなく、それについて不満を持っているわけではなかった。そこまで幼稚ではない、つもりだ。
味わって食べたスコーンと紅茶の空いた皿とカップを手に部屋を出る。
「航いる~? 夕刊取って来てよ」
そのまま階段へ向かおうとした瑛璃に、階下から航を呼んでいる伯母の声が聞こえて来た。
いつもは帰って来ている時間なのだが、今日は彼の帰宅はまだのようだ。航の部屋へは必ず瑛璃の部屋の前を通るので、二階に戻っていたらわかる。
そして、伯母が二階に呼び掛けている以上、一階にはいないということだ。
「あ、私取って来ます! 航くん、ちょっと遅いですね。居残り練習してるのかな」
応えながら食器をシンクに置こうとキッチンに入った瑛璃に、彼女は「あら、あの子まだなの?」と呟いた。
「悪いわね、瑛璃ちゃん。ああ、お皿は放っといて。伯母さん洗うから」
それこそ「すごく美味しかったです。すみません」と頭を下げてその場をあとにする。
玄関ドアを出て門の郵便受けに向かった瑛璃は、その向こう側から聞こえてくる話し声に足を止めた。
航と、確かこの間の佐野、だ。
ちらりと窺った二人の姿に、瑛璃は慌てて建物の方に後退った。
こちらなど気にしてないようでも、もし気づかれれば立ち聞きしていたと思われてしまう。
……いや、まさに立ち聞きでしかない。こんなこと。
「──の子、どうせ夏だけで東京帰っちゃうんでしょ? そうなったらここやあんたのことなんかすぐ忘れるに決まってんじゃん。都会から来る子って結局そう」
「『普通の旅行者』ならな。でも瑛璃ちゃんは俺の従妹なんだから全然違う。他人じゃないんだから」
瑛璃のことを話している航と佐野に、心臓を掴まれたような気がする。
いったい何故? この二人の間にどうして瑛璃の話が出るというのだろう。
「へえ、従妹。従妹ねえ。そうだよね~。東京なんてカッコいい人いっぱいいるから、航なんて『ただの従兄』でしかないって。他人じゃないから拗れないようにいい顔見せてるだけよ。あんなオシャレっぽい、……キレイな子があんたなんか相手にするわけない」
「……実際『ただの従兄』なんだからそれでいいんだよ。あと、お前こそ『田舎もんのそういうとこがイヤ』って言われてもしょーがないんじゃねえの!?」
航のその言葉が気に障ったのか、佐野が走り去る気配がした。
ただの従兄、で従妹。
その通りだ。航は何も変なことは言っていない。
寂しいと感じるのは瑛璃の勝手でしかない。きっとそうなのだ。
それよりこのまま突っ立っていたら、家に入ろうとする航と鉢合わせしてしまう。「会う」ことではなく、ここで立っていた、……二人の話をこっそり聞いていたことを知られたくない。
瑛璃はどうにか笑みを作ると、何事もなかったかのように郵便受けに向かって踏み出した。
頭の中に「おかえり」という言葉を用意して、自然に彼を迎えられるように。