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第四章①

 起きて部屋で着替えてから、階段を下りて昨日の入浴時に自由に使うように言われた洗面所で歯を磨いて顔を洗う。

「おはようございます」

 キッチンに顔を出すと、伯母がもう朝食の支度も済ませていた。もっと早く起きなければいけなかったのだ……。

「あら、おはよう。瑛璃ちゃん、そのお洋服すごく可愛いわ。女の子っていいわねえ」

 瑛璃が今身に着けているのは、白いレースのキャミソールタイプのワンピースだった。

 夏の一番のお気に入りで、海にはちょうどいいか、とこれを選んだのだ。

 髪は昨日と同じくハーフツインで、二つに結んだ毛束を小さなお団子シニヨンにして服とお揃いの髪飾りシュシュをつけた。

 派手になり過ぎないように、かといっていい加減にはしていません、という雰囲気を出すのもなかなか難しい。

「ありがとうございます。あの、ご飯の支度手伝うつもりだったのに間に合わなくてすみません」

「そんなの気にしなくていいんだって! でも起こさなくてもちゃんと起きられるの流石ねえ。航は、……何よあんた、できるんなら普段からやんなさいよ」

 高校生なのだからそれくらい、と思っているところに、寝巻き代わりらしい軽装の航が右手で顔を擦りながら「おはよー」と現れた。

 伯母の言いようからすると、毎朝起こしてもらっているということか?

 やはり写真のイメージとは違う。

「あ、あ。俺、着替えて来る!」

「今さらでしょ。先に顔だけ洗って早く食べて」

 瑛璃と顔を合わせて焦っているらしい航に、伯母が冷たく命じた。

「あの、私は他所のお家だからきちんとしないと失礼だと思って。航、くんは自分の家だから気にしなくていいんじゃない?」

「よそ、……まあ確かによそだけど、夏の間はここの子だと思えばいいじゃん。ねえ、母さん!」

 何も卑屈になっているわけではなく、そうするものだと考えている瑛璃に、彼は何故か怒ったように伯母に振った。

 その感情の意味が理解できない。

 所詮、瑛璃は「邪魔な余所者」だ。航も間違いなくそう感じているはずなのに。

「そうよ、あたしはそのつもりで引き受けたんだから! でも瑛璃ちゃんて本当にしっかりしてるのねえ。航より年下なのに信じられない」

 そんなことはない。それに航にしてもごく普通の高校生ではないか。

 それでも、「こんな行儀の悪い子」と嫌がられるよりは余程いいのだけは間違いなかった。

 これ以上お荷物にならないように、気を緩めないでいなければ。

 決心した通りに早速、朝食を終えて制止する伯母に今度こそと引くことなく、皆が使った食器を洗う。

 もちろん、「明日から支度もちゃんと手伝います」と告げた。

    ◇  ◇  ◇

「航くんって写真苦手とかある? 私、来る前にみんなの写真見せてもらったんだけど、なんか会ったら全然感じ違うから」

 着替えて来た航と二人で、瑛璃は海へ行くために家を出る。

 他に話題もなく、無言のままは少し居た堪れなくて気になっていたことを訊いてみた。

 口にしたあとで昨日の二人の会話が蘇り、この話題は避けた方が良かったか、と焦るがもう遅い。もし瑛璃の写真の話になったら、何も知らない振りで通さなければ。

「あの、家の前で制服で写ってるやつ? あれ、瑛璃ちゃんに送るからって学校行くとこを母さんに捕まってさ。『ふざけんな、朝練に遅刻すんだろ!』ってのと、『いや、ブスッとしてたら会う前から俺のイメージ最悪じゃん!』でどうにか笑ったら結局あんなんに……」

 やはりそうだったのか。それならああいった微妙な笑顔になるのもわかる。

 それにしても、そこまで急ぐことでもないのに。デジタルのデータなのだから送るに際してタイムラグも生じない。

「そうなんだ。あれ、航くんがなんか笑い方が自然ぽくないから、写真苦手な人なのかなって。そう! あと伯母さんが綺麗すぎてびっくりしたわ」

「はあ!? いや、別に気ぃ遣うことないって」

 どうやら航は瑛璃のお世辞だと受け取ったらしい。

「そんな気の遣い方しないよ。かえって失礼じゃない? 伯母さんがすごい美人だと思ったのは本当に本当!」

 必死の瑛璃に真剣なのだということだけは伝わったようだ。

「……あー。じゃあもしかして『お母さん、きれいでいいね』ってのは嫌味じゃなかったのか?」

 口の中で呟いた航の言葉はかろうじて聞き取れたものの、嫌味でそういう言い方はしないような気がする。

「それは単なる事実でしょ。伯母さんを知ってたら誰でもそう感じるよ」

 悪く取り過ぎでは、というよりも、航は照れや謙遜ではなく伯母が美人だとは感じていないのだ。

 自分の母親のことは客観的に見られず、よくわからないということだろうか。

 とりあえず、自分の写真に話が流れなくてよかった、と瑛璃は内心ほっと息を吐いた。


    ◇  ◇  ◇

 そうして、他愛無い会話を交わしながら辿り着いた浜。

 少し遠かったけれど、航は話し上手なのか瑛璃が上手く話題を探せなくとも自然に繋いでくれていて、その間沈黙が流れることはなかった。


 そのため特に退屈もしなかったし、たかだか十数分の徒歩など瑛璃の日常でもよくあるからだ。


「田舎はねえ、どこに行くのも車だったから逆に歩かないのよ。お店でも必ず駐車場があるの。海は止めるとこないから自転車ね。こっち出て来た頃は、『みんな普通にどこでも歩いて行くんだ!』ってびっくりしたくらい。今はもう、ママもそれが当たり前になったけど」

 母がいつだか話してくれた内容を思い出す。

 航にとっては、この距離を歩くのは非日常だったのかもしれない。

「瑛璃ちゃん、足だけでも海入ってみない? 見てるだけじゃ暑いしつまんないだろ。タオルも俺持ってきたからさ」

 波打ち際の手前で、航は瑛璃の反応を待たずにもう裸足になっている。

 頷いて瑛璃も白いサンダルを脱ぐと、熱い砂の上に足を下ろした。航に促されて、並んで数歩先の濡れた砂の上まで進む。

「わ!」

 足元に来た波に驚いて声を上げた瑛璃に、彼がおかしそうに笑った。

 それはそうか。ここまで波が来るのは、考えなくてもわかることだ。

「もしかして海初めて?」

「見たことは何度もあるけど、入るのはそう」

 家族旅行の経験などなかった。

 幼い頃、母と二人の日帰りレジャーはよくあったが、海水浴場に行ったことはない。


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