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第三章②

 入浴を終えて、瑛璃は洗面所の鏡で身なりを確かめた。

 家族以外の前に湯上がり姿で出るのは、中学の修学旅行以来だろうか。そもそも旅行自体、学校での集団以外ほぼ行ったことがなかった。

 どこもおかしいところはなさそうだ、と洗面道具と手洗いした下着類を入れた袋を手に取り、忘れ物がないか周囲を見渡す。

 生まれたときからマンション暮らしの瑛璃は、他所の一般家庭の風呂に入ったことはない。親戚付き合いもないに等しく、友人の家に泊まりに行ったこともなかったからだ。

 自宅マンションのバスルームも足を抱えて入らなければならないといった狭さではないが、一戸建てならではなのかゆったりしたバスタブは予想以上に快適だった。

 風呂場の床もきちんと流したし、シャンプーとコンディショナーは自前だが使わせてもらった備え付けのボディソープも元通りに直した。

 歯を磨いた洗面台の水はねも拭き取ってある。これでもう見落としはない筈だ。

 脱いだ服は、下着以外は籠に入れさせてもらった。「自分でやる」というのも、実際にするのも造作ないものの、一人分だけ別に洗濯機を回すのは不経済だしかえって迷惑だと自重したのだ。

 髪はまだタオルで拭いただけなのだが、持参したドライヤーを部屋で使っても構わないか確かめなければ。

 もし無理だとしても、真夏なのでタオルドライだけでも時間を置けば乾くので問題はない。

「それにしてもさあ、夏中遊びにってすごいよな。いや、来るのがただの田舎町ここなのはどうなんだと思うけど。一か月も旅行とか普通はないじゃん?」

「……どこのお家にも事情があるのよ。それはあんたにもわかってるんじゃないの?」

「それはそう、だけど」

 伯母の咎めるような声音に、航が言葉を詰まらせる気配がした。

「まあでも、思ったよりはよさそうな子って感じ? エラソーなとこもないみたいだし、ちょっと安心したかな。明日は浜行くんだ」

「そういうの、瑛璃ちゃんにわからないように気をつけなさいよ。考えてることって態度や表情とかに出るんだから」

「それくらい俺だって知ってるよ。つーか俺、結構頑張ってただろ?」

「そうね〜。意外とやればできるじゃない、ってそこは見直したわ」

 二人の会話は、悪意のある陰口でもなんでもない。むしろそれだけ瑛璃に神経を遣ってくれている証だ。

 それでも、自分の立ち位置を改めて突き付けられた気がした。

 このまま身を翻して部屋に戻りたかったが、そういうわけにはいかない。

 最初に入浴させてもらったからには、待たせた彼らのためにも「空きました」と知らせて礼を述べるのは義務だ。

 瑛璃は少し考えて、浴室に繋がる洗面所のドアをそっと開けると故意に音を立てて閉めた。

「お風呂、先にいただきました。すみませんでした」

 何食わぬ顔でリビングのドアを開け、精一杯繕った笑顔で中の伯母と従兄に告げる。

「そんなのいいのよ〜」

 温かな伯母の笑みの裏側さえ勘繰ってしまうのが苦しかった。

「あ、私ドライヤー持って来てるんですけど、部屋で髪乾かしてもいいでしょうか」

 平静を装いつつ、それだけは忘れずに確認する。

「もちろんよ。うちのを使ってくれてもいいけど、自分のがあるならその方がいいわよね。女の子で髪も長いし」

「すみません。本当にありがとうございました。それじゃおやすみなさい」

 口々におやすみ、と返してくれる二人に頭を下げて、ドアを閉めた途端に歯を食いしばり小走りで廊下を進み階段を駆け上がる。

 自室に入った途端に気力が尽きてしまい、ドライヤーを取り出す前に瑛璃はベッドにうつ伏せに寝転んだ。

 可哀想な子だから優しくしてあげないと。面倒だけれど、姪だから、従妹だから仕方がない。

 きっとそれが彼らの本音。

 いや、母の兄である伯父でさえ、頼まれて不本意ながら止むを得ず、かもしれないのだ。

 スマートフォンに目をやり朱音に電話を、と一瞬頭を過ぎった思いを押さえつける。

 まだ初日。

 いや、初日だからこそかもしれないが、ここで安易に友人を頼ったら足元から崩れて行くような気がした。もう二度と、立ち上がれなくなりそうで怖い。

 どうにか気合いを入れて髪を乾かしたあと。

 眠気もなく、このまま一晩中悲観的な気分で過ごすのか、と諦めの心地で床に入る。

 しかし自覚する以上に疲労が溜まっていたらしく、瑛璃はいつの間にか眠りの淵に落ちていた。

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