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第二章②

「どう? 口に合うかしら?」

「美味しいです! 伯母さん、お料理上手なんですね。……私、手伝うなんて言ったけど別に料理得意でもないし」

 瑛璃が食べるのを見ていた伯母が少し不安そうに訊くのにすぐに答える。

 万が一違う感想を持ったとしても、返しとしては「美味しいです」以外にはあり得ない。

 ただ、伯母の料理は忖度なく美味しかった。

 味付けも特に癖はなく、食材は瑛璃の家庭とは違う感じのものもあったが、思い切って口に入れたらすべて好みの味だった。

 これは瑛璃に合わせてくれたわけではないので、もともとの味覚が似ているのか。

 この町は母の故郷なのだから、母の料理のベースもここの味になるのだろう。父がよく「味が違う」と文句をつけていたものだ。

 もしかしたら伯母の味付けもこの地元に寄せていて、そのため瑛璃にも馴染みがあるということなのかもしれない。

 ただし、父の不満は土地柄の問題ではなく「自分の家の味に合わせない」という一点らしかった。

 実際、学校で友人と弁当のおかずを交換しても、母の料理は常に「美味しい」と好評だったからだ。中には「レシピ教えて! お母さんに作ってもらう」という子までいた。

 そういった経過もあり母も料理は普通に上手だと思っているものの、もし順位をつけるなら問答無用で伯母の方が上だ。

「あたし、主婦歴二十年以上になるのよぉ。高校生の女の子より上手くできるのなんて当たり前じゃない。それより、作ったもの『美味しい』って言われたらこんなに嬉しいのねぇ」

 伯父と航の方をチラッと見やると、伯母がまた瑛璃に視線を戻して笑う。

「いや、俺だって『美味しい』くらい言って、……た、たまには、言ってる、じゃん」

「そうね~。『これだけかよ!』『あー、肉がいいなあ』とかの二十分の一くらいは言ってるかもね」

 伯母の笑い混じりの返しに、航はバツが悪そうに俯いていた。ここで開き直らないというのは、きっと性格が良いのだろう。

「ああ、お母さんごめんな。美味しいのが当然だからつい言わなくなってて」

「お父さんは結婚したころはすごい大袈裟に喜んでくれてたもんねえ」

 伯父の台詞はまさに彼のキャラクターに合っていると感じる。

 今まで会っていた時にも、口数は少なかったが無神経なところはなく、瑛璃と母に細かく気を遣ってくれていた。

「瑛璃ちゃんて聖花せいかよね?」

「はい、そうです」

「セイカ?」

 伯母に問われ答えた瑛璃に、従兄が不思議そうに首を傾げる。

「学校よ。聖花女子学園。──今も制服は変わってないの? あのワンピース可愛いのよねえ。大学の同級生にも聖花女子の子がいて、高校時代の写真見せてもらったのよ」

「はい。もう何十年もそのままのワンピースです。たまに卒業生の方に『懐かしい』って言われます」

 確かに、伯母の年齢なら確実に今と同様の制服だった筈だ。「ワンピース」という一点だけでも、少し他と違うのは間違いなかった。

「もう都会っぽくてお洒落で、流石に東京は違う! ってびっくりしたもの。当時は特にだけど、今でもあのデザインなら十分可愛いわ」

「そうですね。今も制服目当ての子も多いみたいです。冬服は紺で地味ですけど、合服と夏服は結構目立つので」

 瑛璃は「制服目当て」で選んだわけではないが、制服も気に入っているのは確かだ。

「瑛璃ちゃんて綺麗な名前よねえ。キラキラ宝石、というか『宝物』って感じかしら」

 いきなり変わった話題に、瑛璃は一瞬戸惑ったものの伯母に頷く。

「あ、はい。そういうイメージ、らしいです」

 幼い頃から母に聞かされていた。優しい、温かな笑顔の母が不意に脳裏に浮かぶ。

 自分でも調べてみたことがあった。「瑛」も「璃」も、「透明な美しい石」といった意味を持つ漢字だ。

 宝物、……皮肉に感じるのは流石に被害妄想が過ぎる。伯母の言葉にそんな含みはあるはずもない。母も、そうだと信じたかった。

「うん。瑛璃ちゃんていい名前だよな! 俺なんて海だから『航』だもんなあ。安易だし、『コウ』って間違われる。いや、どうせなら『コウ』でよかったじゃん。『小野塚おのづか ワタル』より『小野塚 コウ』のがリズムいいしさ」

 あーあ、と天を仰ぐような航の台詞に、伯母が即座に返した。

「『海の近くだから航でいいか〜』なんて手抜きじゃないわよ! 『人生という海を〜』ってちゃんと考えたんだから。お父さんと一緒に。これ、何回も言ったでしょ!? それに『わたる』って読む方が普通よ。あたしとお父さんにとってはそうなの!」

 力説する母親に、その感覚がもう古い、と航が呟く。

「航海の『航』でしょ? 名前ならやっぱり『わたる』じゃない、かな」

 おずおずと口を挟んだ瑛璃に、伯母が我が意を得たりといった様子で続いた。

「そうよね!? ほらあ、瑛璃ちゃんもそう言ってるじゃない! 第一、健治と芳恵よしえの子なんだから『航』でぴったりじゃないの。古い一家で。瑛璃ちゃんのママは『祥子しょうこ』さんよ。お洒落よねえ」

 伯母の言葉は瑛璃には意外だった。

「マ、母は『子のつく名前なんて、古臭くて嫌だった』って言ってました。伯母さんみたいな『めぐみで〇』とか『で〇』とか羨ましかった、って。だから私には今風の名前つけたかったらしいです」

 これも、母から折りに触れ聞かされていた。

「ああ、確かに祥子はそういうこと言ってたなあ。『子のつく名前』も少なくなってたし。まあ伯父さんもおじいちゃん世代と変わらないような名前だし、もうこういう家とか土地だからって諦めてたのかもな」

 伯父が言葉を添えるのに、伯母が驚きを示す。

「そうなの? あたしは『よしえ』なんておばあちゃんみたいじゃない、って子どもの頃から気に入らなくてねえ。瑛璃ちゃんのママの名前聞いたとき、『しょうこ』ってスマートでいいなあと思ったのよ」

 親世代でも、同じものに対する感じ方は人それぞれここまで違うのだ。

 所謂「隣の芝生は青い」というのもあるかもしれないが、瑛璃がわかっていないことはまだまだ多く、そして大人も決して完璧な存在ではないということなのだろう。

 知らない家に来てよく知らない人たちと長い間過ごすことなど、まったく嬉しくはなかった。

 ただ母を困らせたくなくて本音は出せなかっただけだ。

 けれど瑛璃が来たのがこの家だったのは、せめてもの幸運なのかもしれない。


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