小川のせせらぎの音がする。――同時にうっすらと流れるようなざわつきが聞こえる。
木の葉の揺れる音がする。――同時にうっすらとさざめくようなざわつきが聞こえる。
違和感を覚える。
どちらも、眠気眼の自分に相応しくない音だ。
地方都市に住む自分の寝室からはどちらも聞こえることはない。何か不可解な事が起きている。目を覚まさなければまずい。
そんな警告を頭が発し始める。
俺はもう少し微睡んでいたい欲求を破却し、ゆっくりと瞼を開く。
「……森?」
視界に映り込んだのは、木々の揺らめきと、そこから木漏る温かい日差し。
……俺、どうしたんだっけ……。
ゆっくりと体を起こす。
昨晩森で寝た記憶はないし、そもそも俺の住んでる地域の近隣に森はない。
心臓が早鐘のように打つ。誘拐かなにかに巻き込まれた?
それにしても、森の中で一人というのは不自然だが、ともかく慌てて周囲を見渡す。
すると、そこには大きめの皮でできたバックパックと同じく皮で出来た肩掛けの何か。それから、松明らしきもの。
バックパックの中身を検めると松明の予備や火口箱、肉を乾かして作った保存食や固形の食料なんかが入っている。もう一つの入れ物は液体が入っている。飲み口ものがついているのを見ると、いわゆる水袋と言うやつか。
……? なんだ、まるで、異世界に迷い込んだかのような……。
そこまで考えたところでピンと来て、近くの小川を覗き込む。
そこに映っていたのは、自分自身の顔に、そして見慣れないローブ。だが、そのローブには見覚えがあった。
……これ、昨日遊んだセッションで自キャラが手に入れたローブじゃないか。
特徴的な青い文字が刻まれたローブ。これはMPを毎ターン回復してくれる便利なレアアイテムだ。昨日はこれを手に入れるためにダンジョンに潜って、夜食を買いに行って……。
「きゃあ!」
何かを思い出しかけた時、そんな叫び声が聞こえ、俺は咄嗟にバックパックと水袋、そして松明を手にとって駆け出す。
駆け出しながらバックパックから火口箱を取り出し、その中の火打ち石を打ち鳴らして松明に火を付ける。俺にはそんなサバイバル知識はないが、体が覚えているようで不思議とそれが出来た。
森の中とはいえ、木漏れ日で明るいこの状況でなぜ松明をつけたのかは自分でも分からない。そうすべきだと感じた。
飛び出した先では長いグレーの髪をストレートに流している横にとんがった耳の女性が緑色の小人、ゴブリンの群れに囲まれ、尻もちをついていた。
レザーの防具を身に纏っている辺り、冒険者の類だと思われるが、武器を手に持っていない。駆けながら周囲を見渡すと、少し離れたところに二本のロングソードが落ちている。武器を取り落とした、あるいは弾かれたか。
自分の中の自分にない知識が状況を分析し、自分に囁きかけてくる。
杖を構えるように、松明を構える。
すると、松明の炎から、やかましいざわめき声が聞こえてくる。
……これ、まさか、精霊の声か。
俺が昨日TRPGで使っていたキャラクターのジョブはシャーマン。精霊の声を聞き、精霊に命令をして魔法を使えるジョブだった。
ソーサラーと違い、精霊が宿る何かが周囲に存在する必要がある代わりに、消費MPが少なく属性を持つ魔法を使えるのが強みだ。
「ファイア・ボルト!」
自分の中の自分にない知識に後押しされるように魔法を唱える。
直後、ざわめき声が止み、了解を意味する言葉が一斉に聞こえ、松明の炎から炎の矢が三本放たれる。
三本の矢はゴブリンの内一体に突き刺さる。その炎の火力に負け、ゴブリンが燃え尽きる。
ゴブリン達がこちらに気付き、反転する。
敵は十一と言ったところ。今一人減ったから残りは十。ファイア・ボルトで一体ずつ倒すのは無理がある。
……しまった、ファイア・ボールでまとめて焼くべきだった。
ファイア・ボルトはシャーマンの中でも初級クラスの魔法だ。
だが、もし、今の俺がTRPGの自キャラのステータスをそのまま引き継いでいるとしたら、もう少し高位の魔法も使えるはずだった。
「ファイア・ボール!」
試しに唱えると、精霊達は即座にその声に答え、松明の炎から巨大な火球が飛ぶ。
その火球は迫ってくるゴブリンの中央に命中し、爆発。ゴブリンのうち五体を吹き飛ばすが、残り五体がさらにこちらに迫る。
……まずい、この距離でファイア・ボールを打ったら、自分も巻き込まれるぞ。
他に使える魔法は? 火の精霊以外の精霊はいないのか!?
だが、騒がしい炎の精霊のざわめき以外は聞こえない。
「ファイア・ボル……」
こんなところでわけも分からず死にたくない。後ろに下がりながら、接近してきたゴブリンに再度ファイア・ボルトを唱える、が、ゴブリンのほうが動きが早い。
ゴブリンの棍棒が松明にぶつかり、俺の手から松明が飛んでいく。
「まずっ」
続いて飛んでくる棍棒の攻撃を避けようと大きく後ろに下がろうとして、転倒し、尻もちをつく。
それをきっかけに地面から土の精霊の声が聞こえてくる。土の精霊……土の精霊……あれ、どんな魔法があったっけ、いつもルールブック見ながらだし、咄嗟に魔法の名前と効果なんて出てこないぞ。
まじかよ、人を助けようとして自分が死ぬとか、なんて間抜け。
「はあっ!」
可愛らしい裂帛の声と同時に、俺の目の前にいた二体のゴブリンが両断される。
さっき尻もちをついていた女の子だ。どうやらロングソードを回収し、助けに来てくれたらしい。
敵は残り三体。
女の子はそのうち二体に対し、突っ込んでいく。
迎撃とばかりに同時に攻撃を敢行した二体のゴブリンの棍棒を女の子はその二本のロングソードで受け止め、そのまま弾き返して両断する。
先程は多勢に無勢だっただけらしいな、鮮やかな剣技だ。
だが、二体に気を取られて、その背後をもう一体のゴブリンが攻撃を仕掛ける。
「させるか。スネア!」
咄嗟に思い出した土属性の初級シャーマン魔法を発動し、ゴブリンの足元で土が盛り上がり、ゴブリンを転倒させる。
「!」
その転倒の音か俺の声かで自身の後背を突かれるところだったことに気付いた女の子は慌てて振り向いて、そして倒れているゴブリンの頭にロングソードを突き刺した。
「ふぅ、助けていただき、ありがとうございました。あなたが来てくれなかったら、私、ここで死ぬところでした」
二本のロングソードを腰の左右にぶら下げた鞘に戻しながら、女の子がこちらに近づいてくる。
「いや、こちらこそ。君が俺を見捨てて逃げていたら死んでた。戦ってくれてありがとう」
俺は立ち上がりながらお礼を言う。
「私はレイラ。冒険者です。あなたは?」
驚いた。二刀流のファイター、レイラ。それは過去に俺があるキャンペーンで使ったキャラクターだ。
「えーっと……?」
俺が一向に返事をしないから、レイラが首を傾げる。
「あぁ、すまん。俺も冒険者だ。名前はヴァージル」
世界観が分からない内に日本人の名前を名乗るのは危険だ。ということで、念の為キャラクターの名前を名乗ることにする。
「ヴァージルさん。あの、お一人なんですか? よかったら、次の街まで一緒しませんか? 後衛がいると心強いです」
「こちらこそ前衛がいると心強い。よろしくレイラ」
「はい!」
俺に返事に嬉しそうにレイラが微笑む。
俺は夜食を買いに行き、迂闊にも飛び出した信号機なしの交差点でトラックに轢かれた。
これは俗に言う「異世界転生」という奴なのか……?
分からないことだらけだが、こうなってしまったからにはなんとか生きていくしか無い。
こうして、俺の冒険は始まった、なんてね。
ゴブリンに殺されかけた時のヒヤッとした感覚が消えない。どうか、夢なら覚めてくれ。