これは隊ではじめて目を覚ましたとき、ユイナがはめてくれた物だった。
はずしてはいけないと強調していたので何か意味があるのだろうとは思っていたけれど、今このときに関係してくるとは思っていなかったマテアは、リウトの言っているのは本当にこれのことかと、確認をとるように手首の銅輪に触れる。
表に刻印された文字を不思議そうに指でなぞっている彼女を見て、それが偽りでないことを知ったリウトだが、マテアの外見がこの世界の男たちにどれほど影響を与えるか知りつくしている彼にとって、おいそれと信じられることではなかった。
だがそれも数瞬のこと。
ふつふつと腹の底から笑いがこみあげ、やがて彼は爆笑した。
「はーっはっはっ。
じ、じゃあそのレンジュとかいう男は、おまえと同じ天幕で寝起きしながら、おまえに指一本触れなかったというわけだな。すごいな、それは。たいした野郎だ」
そう言う間も、リウトは腹をおさえて笑っている。
どういう意味かは不明だが、レンジュを小馬鹿にしたその口調にかちんときた。
「そうよ。それがどうしたというの?」
「千人に一人いるかいないかの、奇特なやつってことさ。よっぽど忍耐強いのか、はたまた枯れたジジイか……案外体のどこかに欠陥があるのかもしれないな。さもなかったら――いや、やっぱりただの馬鹿だ」
声を上げるのはやめたものの、くつくつと声を殺して笑っているリウトの姿に、マテアは猿烈に怒りを感じてそっぽを向く。
なぜレンジュが自分に触れようとしなかったからといって、ああも悪し様に言われないといけないのか。
彼の言う『触れる』というのは、昼間の男のようにという意味だろうけれど……だいたいレンジュにまであんなふうに触れられていたら、今ごろ自分の体がどんな有り様になっていたか、想像するだにおそろしい。
ひとが触れる、あの骨の髄まで焼けつくような痛みを思い出して、ぶるっと身を震った。
「どうした?」
「こちらの人に触れられるのは、きらいだわ。彼らが悪いわけではないけれど……」
そこまでを口にして、ふと疑問が浮かぶ。
「あなたはなんともないの? 触れられて」
「は? どういう意味だ?」
「だって、あんなにも熱いのに……こんなふうにはならないの?」
本気で小首を傾げたリウトに、マテアは袖をたくし上げて、一番ひどい二の腕の火傷疵を見せる。
休憩のたびに塗ったユイナの薬のおかげで赤みは引き、大分癒えているが、まだ人の手の形をしているそれを目にして、リウトはめずらしげに顔を近付けた。
それ以外にもぽつぽつと肌に散っている火傷跡に目を移し、何か思うところがあるような面持ちで、じいっとひとしきりマテアを見つめた後。くっと喉を詰まらせておかしそうに笑いだす。
「ああそうか。なるほど。おまえ、まだ合一してないんだな」
リウトは、もしかすると笑い上戸なのかもしれない。
一人わかったふうな口をきいて
「そうよ! それがなんだというの!」
腹立たしい思いで言い返す。
「レンジュもかわいそうに。せっかく買った女が、やれない女だったとはなあ。お人形さん飾って喜ぶトシでもないだろうし」
「だから、何!」
奥歯に物のはさまったような言い方をしないではっきり言えばいいと、声を険立ててつめよったマテアに、リウトはさらりと言ってのけた。
「おまえは、厄介者だったって話」
「!
な、にを……」
どくん、と心臓が重い音をたてた。
ひるみ、後ずさってしまったマテアを追うように、今度はリウトが身をのり出す。
「買ったはいいが、実は顔がキレイなだけの、役に立たないお人形さんだった。それどころかゴクツブシだ。
いい厄介払いができたって、今頃せいせいしてるかもなあ」
瞬間、マテアはリウトを平手していた。
衝動的なもので、彼の言葉の何がそうさせたのか、マテアにもわからない。
「……レンジュは、来るわ」
自分のとった行動に内心驚きながらも、きっぱりとマテアは言う。
「きっと助けに来てくれる」
リウトの目から酔いが抜け、冷たい怒りが混じっていることは気付けていたが、退けない。これだけは。
「来ないね。おまえを助けたところで、どんな見返りがある? 抱き心地のイイ女なら命を賭ける気にもなるだろうが、人形じゃあな」
見下され、あからさまに嗤われて、マテアは憤った。手を振り上げ再度平手を繰り出そうとしたが、リウトがそれを許すはずがない。
「あっ……!」
手首をとられ、背側にねじり上げられる。
ぎり、と骨が折れそうなくらい強い力をこめられて、苦痛に面を歪ませたマテアを見て、リウトは愉快そうに目をすがめた。
「なぜそう思う?」
「……なぜ、って…」
「おまえが、来てほしいだけなんじゃないか?」
瞬間、マテアの面から一切の感情が抜けた。
痛みやおそろしさ以上の、驚愕の眼差しがリウトを見返す。
そのまっすぐな視線にリウトはハッと嗤い、彼女を突き飛ばした。
敷物の上に転がるように突っ伏したマテアは、急ぎ身を起こそうとする。だが完全に身を起こしきる前に、リウトが身をかぶせてきた。
目の前に迫った胸に両手をあて、押しやろうともびくともしない。
どくんっ、と体中の血が一度に脈打った。
昼間の光景が脳裏にまざまざとよみがえる。
触れているリウトの手も足もマテアより冷たくて、火傷のおそれはなかったけれど、彼に染みついた、むせ返るような死臭に息もろくにできなかった。
動悸はあのとき以上にすさまじく、この瞬間にも心臓が破れてしまいそうに痛む。
たまらずリウトから目をそらしかけ、はっと目を瞠った。
「だがあいにくだ。男はこない。命をはるほどの価値が、おまえにはないからな」
「あなたこそ……なぜそんなにもつらそうな目をしているの?」