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月を恋い、啼くけもの。 5

 覆面の男によって新たに移された場所は、先の洞窟よりもっと深さも広さもあり、蟻の巣のようにいくつかの小部屋にわかれている、白い洞窟だった。


 マテアはその中で一番広い、おそらくはあの覆面の男の私室であろうと思われる部屋の中に、一人座している。

 つるつるとした壁は、熱を受けて溶けて幾筋も垂れた蝋のようで、湿り気を帯びていた。やはり自然にできたいくつかの棚に、それぞれ数本ずつ、色や形が不ぞろいの蝋燭が立てられていて、先程端女と思われる女性が長い柄の松明を持って現れ、一本ずつ火を灯したあと、おじぎをして出ていった。


 それは、先の洞窟のときのように暖をとるためのものではなく、あかりのためらしかった。


 なぜならこの部屋の天井にはぽっかりと、マテアの頭ほどの大きさの穴があいているからだ。もっとも、今夜のように月が大きく明るい夜は蝋燭など不要の物にも思えたが、白い壁が炎を反射してまろやかな光のひだを作るのを見て、このためなのかもしれないと思い直した。


 天井は高いけれど、飛べば届く。穴の周囲を手で崩して広げれば外に出られるのではないかと思案しながら見上げていたら、仕切り布をめくり上げる気配がして、あの覆面の男が入ってきた。


「待たせたな」


 男は両手に琉珀色の液体が入ったガラスの杯を持っており、片方をマテアに差し出す。おずおずと彼女が受けとると、入り口のそばの壁のでっばりに敷物を敷いた、天然のイスに腰かけた。


 言葉や足取りには現れていないが、大分酒が入っているのか、腰に吊ってあった剣をはずして壁に立てかける動きがいささか乱暴だ。


「あなたは誰?」


 マテアは酒のにおいのする杯を脇にどけ、男を見据えた。


「月光界人さ。おまえと同じく」

「うそ!」


 即座に否定した彼女に、くつくつと男は笑って膝を組む。杯が、男の指の間で今にも落ちそうなほど危なく揺れていた。


「なぜそう思う」


 男の声はひどく楽しげだ。


「だって……あなたの髪は、黒いわ」

「染めてあるのさ。この地方であの髪色は目立つ」

「こちらの言葉を話すわ」

「そりゃ覚えたからな。こっちで過ごすのに、こっちの言葉がしゃべれないと不便だろう?

 むしろ今話しているこの言葉のほうこそ、正しく話せているかどうか」


 とても不安がっているとは思えない、しっかりした口調でよどみなく言うと、男は肩をすくめて見せた。


 男の返す言葉は少し考えれば自分でも想像がつく内容で、質問すること自体が自分の愚かさを暴露しているような気がしてマテアは一度口をつぐむ。


「まだ疑っているのか刃」


 言おうか、それとも言わずにおこうか。数瞬ためらってから、マテアは口にした。


「だって。あなたからは……<リアフ>を感じないんだもの」

「<リアフ>?」


 小馬鹿にするように、男は鼻で笑う。


「ちゃんとあるとも。地上界人の中にはときどき勘の鋭いやつがいるから、気取られないよう押さえているだけだ。

 ほら」


 言い終わると同時に、男の体からじわじわ金色の光が放たれはじめる。身を包み、流動をはじめたそれは天井の穴から入る月の光と共鳴するその強さ、まぶしさにマテアが目を細めた瞬間、<リアフ>は消失し、男は元に戻っていた。


「以上、おわり。

 今度の部下の中にも何人かいるからな。気付かれると面倒だ」

「なら、本当に……?」


 <リアフ>という、地上界人にはない、はっきりとした証拠を見せられても、マテアは素直に信じられない。


 彼が本当に月光界人なら、なぜ地上界にいるのだろう。


 自分のように<リアフ>を奪われたわけではない。それどころか、彼の<リアフ>の光は、すでに月光聖女と合一を果たしたものだった。

 そんな彼が、どうして地上界にいる?

 こちらの言葉を覚えるほど昔から、しかも盗賊などをして。


 怪訴に思い、見つめるマテアの前で、男はもてあそんでいた杯の中の液体を一口含む。


「今度はおれが質問してもいいか」

「まだよ」


 男の質問が何なのか、見当がついているマテアは、いずれ言わなくてはならなくなるのだろうがそれを口にするのを少しでも遅らせたくて、即座に拒む。


「欲張りだな。まだあるのか」

「ええ。だってわたし、あなたの名を聞いてないもの」


 マテアの言葉に、男はしまったと言いたげにぽんと膝を叩いた。


「それならおれもまだだったな」

「わたしはマテアよ」

「おれはリウトという、マテア。よろしくな。

 それから他には?」

「それから……その被りものをとって、顔を見せてちょうだい」


 ぐっと腹にカを入れ、思い切ってマテアは言った。


 ずっと男は覆面をして、仲間の前でも顔を見せようとしない。何か深い訳があるのだろうと思い、ためらいがなくはなかったけれど、顔を知らないでいるほうがずっと気味が悪くて、信用のしようがなかった。


 男はそんなマテアの真意を読み、それを許容するかのように目を細めて布に指をかけ、一気に引きほどく。


 下から現れたのは、マテアとさほど変わらない年頃の、美しい青年の顔だった。

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