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月を恋い、啼くけもの。 2

 こんなに艶っぽい女だったろうか。


 信じがたいほど目鼻立ちの整った女だと、はじめて見たとき思った。まるでおとぎ話に出てくる精霊のように。

 それは今見ても変わりない。だがおとぎ話の精霊のような、なよなよとした手弱女たおやめではなかった。

 恐怖に震えながらも負けるものかときつく睨み返し、毛を逆立てた猫のように攻撃性をむき出しにして、周囲の者すべてに負けん気を押し出していた。

 その気性、潔癖さから処女だと確信し、こりゃ10年に1度の幸運だ、いいモン拾ったとうきうきしながら買い手をあれこれ考えていただけに、アーシェンカの市では目の前が真っ暗になったものだった。


 まさか、あんな若造に払えるとは思っていなかったのだ。


 くやしくてくやしくて、人目があろうがかまわねえ、ぶっ殺してやりたかった。

 この女さえいりゃ、億万長者になるのも夢じゃない。たいしたもうけにもならねえ、つまんねえ奴隷商人なんかやらなくとも、一生金に不自由しない生活ができる。何もかも望み通りだったのに――そう思うにつけ、どうにも諦めきれず、夜になって宿営地までひそんで行ったとき、あの隊を盗賊が狙っているのを偶然盗み聞いた。


 最初はやばい話を聞いたと腰が引けたが、すぐにひらめいた。うまくやりゃ、あの女を取り戻せると。


 あの盗賊団は皆殺しが信条だ。壊滅した隊から逃げた女を捕まえて、何が悪い?

 今までだってそうしてきた。所有印が入っていたら焼きつぶして、剥ぎ取って、売りに出す。よくあることだ。

 たとえあとから所有について面倒くさい事が起きても、全部盗賊どものせいにしてしまえばいいだけ。


 そしてその通り、自分でも信じられないくらい、うまくいった。

 女は再びオレのものになった。


(何が帝国軍兵士だ、盗賊団だ。どいつもこいつも間抜け野郎だ。オレのほうがずっと機転が利いてる)

 そう思うと腹の底から笑えてきた。


 しかし、こうしてあらためて女を見ると、案外一度手放してよかったのかもしれない。希少な処女ではなくなったが、たった数日でこれだけ艶を出すとは。


『おい! いつまでも前の主人を思ってたってしゃーないそ。女はな、略奪されたらそいつのモンになるってえのが昔っからの習わしなんだ。

 だいたい、おまえぐらいの器量がありゃあ王妃だって夢じゃねえ。三億八千どころか、五億、六億……いや、八億だって出すだろうさ。あんな下級兵士なんかより、ずっといい目を見させてくれらあ』


 ゼクロスはマテアにとってもそれがよいことであると、信じきっているようである。

 といっても、この考え方はゼクロスに限ってというより、この世界においての常識であって、特別ゼクロスが非情というわけではない。


 女は弱い生き物で、だから強い生き物である男の所有物であるのが当然。常に男に服従し、男が与えるものすべてを是とし、喜びをもって受けとめる。逆らうなどもってのほか。


 それが、この世界における、女の生きる道なのだ。ユイナがある程度隊の男たちに対して強気で自己主張できるのは、男たちの間で一番の判断基準である『強さ』で一目置かれる存在の、ハリの寵愛を受けている世話女であるということ、そして隊の世話女でも古参のアネサの娘であるということ、それに彼女自身の人柄によるものである。


 だが月光聖女であるマテアはそんなことなど知らない。どうせ<リアフ>をとり返すまでしかいない、仮の住まいだと思っていて、この世界における自分の立場など、はじめから知ろうとさえしていなかったために。




 目深に被った布の下で、あのおそろしい男が視界に入らないよう俯いて、膝ばかり見ていたマテアの中に、ぼんやりと、馬上のレンジュの姿が浮かんだ。


 会いたいと、思った。


 もう、こんな男たちはたくさんだった。粗野で、野蛮で、少しもマテアの気持ちを尊重してくれない。人としてすら、扱わない。


(助けにきてくれるわ)


 気を失っていたからあれからどのくらい経過したかわからないけど、空気にかすかに月光の波動が感じられることから、もう夜になっている。彼も戻って、惨状に気付いたはず。だからきっと、助けにきてくれるわ。


 そう思いながらも不安はあった。

 はじめにマテアを襲った男を、この男は殺している。ということは、あの襲撃者たちとこの男は仲間ではないということになる。


 もし、レンジュが間違えたら。あの襲撃者たちに連れ去られたものと思って、見当違いの方向を捜索していたら……。


 ぞくりと背筋を這った冷たい悪寒に、マテアは身を縮めて頭を振った。

 そんなおそろしいこと、考えたくなかった。けれど、考えること以外何することもできない今、考えずにはいられない。


 この男は自分を凌辱から救ってくれた。しかしそれが自分のことを思っての行為であると単純に髪えるほどには、もはや無知ではない。でなかったら自分を連れ去ったりはしなかったはずだ。


 この男は何か身勝手な目論見があって、あそこから自分を連れ出したのだ。 


 レンジュはきっと捜してくれている。でも、捜し出してくれるとは限らない。


 なんとかして男を出し抜き、逃げなくてはならなかった。

 そっと、被り布の下から盗み見る。

 この洞窟の内部はくの字型になっているらしく、男の肩越しに右に折れた角が見える。そこでは雪が岩の上に少量吹き溜まっていた。とすると、入り口までそんなに距雌はないのかもしれない。


(……雪……?)

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