ぱちぱちと火のはぜる音を間近に聞いて、マテアは目を覚ました。
頭が痛い。煙を吸いこみすぎたのか、鼻の奥がねじれるように痛み、口の中がざらざらした。目覚めによる筋肉の微妙な動きに反応して、負傷したふくらはぎが激痛を走らせる。
眠気はその瞬間に消滅した。
(ここはどこ?)
ゆっくりと二度、瞬く。彼女を目覚めにいざなった、火のはぜる音は後ろからしていた。髪の毛と被り布を間にはさんだ下から感じとれるのは、ざらりとした砂の感触である。下にいくつか敷きこんだ小石が痛かったけれど、ひんやりとした地表はじくじくとうずく肌に気持ちいい。すぐ目の前にあるのもごつごつとした岩と砂がくみあわさってできた壁で、人の手が入った様子はなく、自然にできた穴という感じだった。
おそらく洞窟だろう。
横たわった体を、肘を使って立たせようと試みたが、思うようにいかない。どれも軽度だけれどもいたる箇所に火傷を負った両腕は微妙な動きにも引き攣れて、彼女の加えようとした力のことごとくを萎えさせてしまうのだ。
ならば、せめて周りだけでも見て、ここがどういう所なのか知ろうと首を巡らせたとき。
『よう。目が覚めたか』
突然この場にいるのは自分だけでないことを知らせる声がして、急ぎそちらを向く。声の主を見たマテアは、その姿に愕然となり、硬直してしまった。
判然としないでいた気を失う前の記憶が、突如鮮明によみがえる。
火のそばであぐらをかいて座っているのは、逃げようとした彼女の鳩尾を殴って気を失わせた男だった。
その炭を塗ったような顔には見覚えがあった。気を失う前に見た、というだけではない。この男は、マテアがはじめて地上界というもののおそろしさを身を持って体験した相手なのだ。それまで十分知っているつもりだったものが、実は無味無臭の知識でしかなかったのだと気付かせた者。この世界における恐怖と危険を、屈辱的に教えこんだ者である。
だがこの男とは別れられたはずだった。どういう方法であったかは気を失っていたので知らないが、レンジュが保護してくれたのだ。
毎日馬車で移動してきたから、あの地からはかなり離れたはず。なのに。
(なぜ、ここにいるの?)
現実と認めることを拒絶して、そのまま思考が停止する。
一方で、自分を見た瞬間に固まった表情からマテアの驚愕とおびえを見てとって、ゼクロスは声を出さず笑う。
火のそばに寄ることを促すよう伸ばした手に反応し、ウサギのようにびくりとはねた体を見て、さらに笑った。
『そうびくびくしなくとも、何もしやしねえよ。おまえは大事な金ヅルだからな』
そら、その足の傷だってちゃんと手当してやってるだろ、と上機嫌で指差す。
ゼクロスは、自分を見ておびえる人間が好きだった。恐怖と混乱がないまぜになった目で見られるたびに、快感が全身を震えさせる。自分がひとに与える影響が大きければ大きいほど、彼には愉快極まりないのだ。それがたとえ、小鳥のように卑小な小娘であっても。
『おら、こっちへこいよ』
「あっ」
髪の毛を掴んで引っ張られ、あっけなく、マテアの体は引きずられた。痛みに、思考を閉じこめていた氷が解けて、活動を再開する。
「やっ……」
高熱を発する炎が眼前まで迫った恐怖に、マテアは顔をそむけた。
髪を掴まれているせいでそれ以上逃げることができない。赤い炎はまぶたの裏まで赤く染め、今にも頭へ燃え移りそうだ。
おそろしさのあまり、心臓がつぶれてしまいそうだった。
焚き火を前にぎゅっと目をつぶり、生きながら焼かれると信じているかのようにぶるぶると震えだした彼女に、ゼクロスは不思議そうに小首を傾げる。
『ま、いっか』
ぱっと手を放し、解放した。
マテアはぜいぜい肩で息をしながら、ずりずり後退する。
今にも壊れてしまいそうなほど、ばくんばくん音をたてている心臓を静めてもらえることを願って岩壁に擦り寄り、床でくしゃくしゃになっていた布を引き寄せて、炎から身を守るよう全身をくるんだ。
『変な女だぜ。ったくよ』
目深にかぶった布から目だけを出して様子をうかがうマテアを横目に、ゼクロスは焚き火の中へ枯れ枝を放りこむ。
一体これのどこがそんなに怖いのか、彼には理解不能だった。
たかが火だ。もちろん大量の火は厄介で、燃え移ったりすれば手がつけられなくなるが、この程度ならかわいいものだ。二、三度踏みつけただけで消えてしまう。そんなとるにたりないものに、なぜあそこまでおびえないといけないのか。
考えるだに馬鹿馬鹿しい。第一、これがあるからこそ自分たちは凍えずに済んでいるのだ。なかったら朝を待たずに凍死だ。
そう思い、この炎や陽に対する拒絶反応の異常さが売値に響きはしないかと、ふと気になってマテアを見直す。
外からの微風を受けて揺れる朱の炎に照らされたマテアは、たとえ目元しか出していなくとも十分美しかった。
細い手足やくびれた腰は布ごときでは隠せない。柳眉の下で震える長い腱と、ほんのりと青が入った銀の瞳が所在なさげに揺れる様は、それだけで男の肉欲を刺激する。
これ以上商品価値を下げないためにも手は出すまいと決めていたゼクロスだったが、こんなマテアを見ていると、腰のあたりを羽でなでつけられたようにぞくぞくした。