翌朝、隊は昨日までとは違う空気に包まれていた。
どの天幕の前も夜明け前から火がともり、下女も端女も世話女も湯を沸かしたり馬の世話をしたり鎧を磨いたりなどをして、あわただしく走り回っている。男は長剣や短剣、鉄槌、矢じりといった武具を研いだり調整に余念がない。
なぜなら、昨夕偵察に出ていた若者から、前方に敵軍歩哨発見との報が入ったからである。
それはアーシェンカの市を抜けた隊の行程を読んだ上での待ち伏せに違いなかった。
今日の移動で見晴らしのきいた安全地域を抜け、足場の悪い山岳地帯に入る。隊列が伸びるし死角も増えることから、狙ってくるならここだろうとの予想はついていたため、とりたてて騒ぐ者はいなかった。
今回目をつけられたのはこの隊だった。運がなかった、それだけだ。
「ここが現在地。敵軍が布陣を敷いているのはここから直線にして五百ゼクターノンほど先だ。そこから目と鼻の先におれたちの進路の水の枯れた渓谷があるんだが、ほぼ中間位置に、上からしかけるには絶好の岩棚がある。
すぐ横の斜面は岩の隆起も多く、下からの弓を避けながら下りれないこともない。さすがに馬は無理だが。
襲撃を受けるとすれば、まずここだろうな」
小休憩中、集合をかけた小隊長たちの面前で、副隊長の一人・シュランが地図の一点を指で弾きながら説明をした。
「このあたりは馬車が反転するのも難しいくらいの幅しかないから、襲撃は後ろと左右の三方からだろう。まず後ろから騎馬兵が声を上げて現れる。敵の出現にあわてて反転しようとしたところへ弓で矢の雨を降らせ、混乱させたところへ左右の歩兵が崖を下る――まあそんなとこか」
異論はあるか? と小隊長を見渡した目が隊長のゼガスで止まる。
どうやら彼は前夜世話女に切らせた前髪に不満を持っているようで、果物ナイフを片手に調整の真っ最中だった。
自分へと集中した視線に、意見を求められたことに気付いたゼガスはきまりの悪さをごまかすよう咳払いを一つして簡易イスから身を起こし、地図上に手をついた。
「接敵が避けられない相手なら、なにも襲撃を待つ必要はない。場も時もお膳立てしてやれば、主導権はこちらのものだ。
進路を考えれば、この先も何かと小競りあうことになりそうな相手だ。今のうちに格の違いをわからせてやりたいとこだが、例の盗賊団のほうもまだ油断はできないからな。そこまで欲張るのはやめて、駆逐でとどめておこう」
どうせ向こうも同じ懸念を抱えている。全力投入はしてこない、との結論で、会議は一応終わった。あとは結論に到達するよう細部を副隊長以下で話しあうだけだ。
今回は隊同士がぶつかる本格的な戦闘をするわけではないので、議論は起きない。
敵に気付かれない程度に隊の進みを遅らせ、山岳に入る前に一泊する。敵もこの隊の動きは見張っているはずだから、移動中に見張りを片付けなくてはいけないだろう。その後は時間との戦いとなる。前もって定めた通りに別れた兵はすみやかに切り込み隊と別動隊に分かれて渓谷へ移動中の兵を各個奇襲する、という、無難な意見ですんなりまとまった。
「九日ぶりか。今回は盗賊どもが全然現れなかったからなあ」
騎馬隊に立候補したハリは、支度を整え、磨いた剣の具合を見ながら言う。同じく騎馬隊として参戦するレンジュが、馬の腹に巻いた鞍のベルトの締まり具合を確かめながら、そうだなとだけ眩いた。
ハリを見ようともせず、声にも動きにもてんで張りがない。いかにも心ここにあらずといった様子で、戦闘中、不測の出来事が起きないよう武具の確認をしてはいるが、それはどう見ても『慣れ』による行為で、ちゃんと意識して具合を測っているようには見えなかった。
おそらく後で、ベルトをちゃんと締めたか、とか、剣に血脂よけは塗ったか、とか訊いても、まともに覚えてはいないだろう。
日を追って悪くなるレンジュの顔色と口数に、ハリは眉間に縦じわを作る。
本当は、移動中の見張りは一日交替制なのだ。それだけ神経を使う任務なのに、レンジュは連日、最後尾を務めていた。
アーシェンカの市からだから、もう六日にもなるが、その間一度も休養をとっていない。夜明け前から天幕を出、任務をこなし、夜中をすぎないと戻らないなんて、まともな神経の持ち主ならできない無茶だ。
睡眠不足は集中力を欠き、集中力のなさは隙を生む。まさに己の命をおびやかしかねない行為。今まではうわさの盗賊団による襲撃も、野盗たちによる襲撃もなかったが、それはたまたま運がよかったというだけの話だ。これまでだったらとっくに二~三回は襲撃を受けている。
もし奇襲を受けていたなら、そのときはたしてこのレンジュが無事であったかどうか……。
レンジュがそれを知らないはずはない。けれど、それでも敢えてそちらを選ぶ理由もまた、ハリには見当がついていた。
とうとうおそれていた時がきたのかもしれない……内心あせりながらも表には出さないよう努め、いつも通り武具の点検をする。
たとえ愛されなくとも自分のものにできればかまわないなどと、どこの馬鹿が言ったたわごとか。
ひとは、愛しているからこそ、愛し返してもらいたいと願うものだ。与えるだけで満足する愛もあると言い張るやつもいるが、そんなもの、おとぎ話と現実を混同して疑わない処女の白昼夢か、愛したことのない男の言い訳だ。
見返りを求めずにいられる人間ばかりだったらこんな世の中になるものか。一方的に捧げることで満足する奴がもしいるとしても、そいつはただの自虐趣味者で、本性を隠し、賛美されることで陶酔しているとしか思えない。