隊が今夜の宿営地と定めた場所へ移動するまでの間、レンジュは馬に跨り、隊の最後尾で数人の仲間とともに任にあたっていた。
市の周辺では規約に縛られた敵軍よりも、地を熟知した盗賊団の襲撃こそ危険で警戒しなくてはならない。
盗賊たちのほとんどは、敗戦して壊滅した隊の生存者や脱走兵で構成されている。国との関係が切れて物資補給が得られず、何もかも自力で手に入れなくてはならない彼らにとって、最も手っ取り早い方法が他者から奪うことだ。
彼らにとって必要なのは金でなく、食料や服、道具といった物品、そして女だ。市という餌場でたらふく食らい、身重の雌鹿ほど腹のふくれた隊などいいカモというわけだ。
特にこのアーシェンカ近辺では、数年前から神出鬼没の盗賊団が噂になっている。
イルク――月神の娘に愛された、伝説上の男の名――を通り名とする謎の男が頭領で、その素性はいまだ謎に包まれている。
流浪人のようにふらりと単独で現れたと思うやわずか数日のうちに近辺の盗賊たちを力でねじ伏せ、配下とし、組織化したらしい。
これが他に類を見ない残虐非道な盗賊団で、男は個々の区別ができなくなるまで切り刻み、女は犯して殺すか奴隷として売りつけるのだそうだ。
彼らが襲撃した後にはうめき声すら聞こえない。話によれば、その構成員は百をくだらないという。
生存者がいないのになぜ人数がわかるのか? 信ぴょう性に欠けるが、うわさ話とはそういうものだ。あるいは、被害状況から概算したのかもしれない。
そのような危険地帯は一刻も早く抜けるに限るのだが、隊となるとそうもいかない。隊の構成は馬車と驢馬、戦馬である。驢馬や馬車に乗れる人数は限られていて、当然乗りきれず徒歩の者も大勢いる。下女-端女の産んだ娘-や、入隊して二年に満たず、持ち馬を買えない少年兵たちだ。
途中三度の休憩で交替しながら進む隊の移動速度は、はっきり言ってかなり遅い。次の宿営地までは馬を駆れば一日で二往復はできる距離でも荷車を引く騾馬と徒歩の者はそれが限界だ。
だからこそ、作戦を遂行した後でも十分追いつけたりするのだが。
とはいえ、だ。
行程は既に下見してある。道の左右は誰も潜むことができない、身の丈数十センチの草地だ。時折細い木がぽつぽつとあるのみで大木や密集した茂みなどはない。(そういったものはあらかじめ先行した者たちによって整えられている)
身を隠せそうな丘陵は一番近い場所でもかなりの距離があり、襲撃があったとしても十分対処できる。
馬車を進める上で邪魔になりそうな倒木や石は今朝のうちにどけ、穴も埋めた。周辺にここ数日何者かが宿営した気配もなかった。
進む間も一定間隔で偵察が走ることになっている。隊長が先頭をつとめる前方の心配は不要。分断されやすい横にはハリたちがついていて、どの者も信頼に足る腕の持ち主たちだ。
それに、アーシェンカの市を発つのはこの隊だけではない。向こうも団と化しているのなら、成功率が上昇するかわりに各々でいたころと比較して襲撃数は大幅に減少しているはず。必ずしもこの隊が襲われるとは限らず、危険度に比べて可能性はかなり低いというのが男たちの共通した考えだった。
そのせいか警戒心も緩みがちで、つい無駄口、雑談が多くなる。朝起きたたわいない出来事――寝坊してしまったとか、朝会に遅刻しそうになったとか、喉がいがらっぽくて風邪を引きかけているんじゃないかとか――についてをとりとめなく話しては軽口を言いあう。特にオチがつくわけでもない駄弁はつらつらと移ろい、やがて昨日の市ではこれを見つけた、あれを買った、掘り出し物があった、いい買い物をした、との自慢話めいたものが始まり、そこで新調した剣を見せていた男が、そういえば、とわざとらしい切り口でレンジュへと話を向けた。
「おいレンジュ。おまえ、女を買ったんだってな」
にやにやとうす笑いを浮かべているところからして、もう答えは知っているのだろう。
同じ隊で何年も共同生活をしていて、隠しごとは不可能だ。
昨夜のうちに隊の者全員が市での事のあらましを全て把握していたとしても、レンジュは驚かなかった。
できればほうっておいてほしかった、との内心のため息を隠す。そうして気を取り直したレンジュが何か答える前に、別の青年が言った。
「三億八千も出したそうじゃないか。今朝ユイナがロブにそう言い返してたって聞いたぞ」
「ユイナが?」
偵察から戻っても自身の天幕に戻らず、その足で移動する隊の護衛任務へとついたレンジュはまだユイナと会っていない。
なぜそんな事態になったんだ? と疑問に思う間も、仲間たちの冷やかしは続く。
それほどの額を出したんだからよほどの美女に違いないとか、昨夜はさんざん楽しんだんだろうとか、だから今朝から心ここにあらずなんだろうとか。
「昨夜はりきりすぎて疲れてるのはわかるが、一応見張りなんだからそれらしく見えるように格好だけは整えとけよ」
わははっと笑う。
彼らに悪気は全くない。これまで浮いた話一つなかった生真面目なレンジュに突如降って湧いた色話を面白がって、それをねたにしてからかいたいだけだ。
そうと知るレンジュは、冷やかし笑う仲間たちに適当な相づちを返していた。