「どこにでも転がってる程度の情愛なら救いはある。失敗したと、膝についた土を払って、また進めばいい。
でも、そうじゃないだろ?
おれは、あいつに苦しんでほしくないんだ」
よりにもよって、なんであんな厄介な女を欲しがったりしたんだ。隊にいる女の半分はあいつになにがしかの関心を持っていて、あいつの天幕に入り込むチャンスを欲しがってるっておまえも言ってたじゃないか。そういう女を選べよ。
ぶつぶつ、ぶつぶつ。
やりきれないとつぶやいていた不安が、ついにレンジュへの不満に行き着いたところでユイナはぷっと吹き出した。
ハリの丸まった背中に手をあて、身を寄せる。
「馬鹿ね」
ハリの、細くて、柔らかくて、大好きな後ろ髪を指で弄ぶ。
「あなた、本当は全然わかってないんでしょう、どれだけレンジュが魅力的な男性か。女たちの目に、どんなふうに映っているか。
今愛されてないのが何だというの? 心は変わるものだわ。
たとえ彼女が人でなかったとしても同じ。形のないものは、いくらでも変わることができるし、変えることもできるのよ。
大丈夫。レンジュなら、きっと彼女を射止めることができるわ」
まるで見てきたことのように言うユイナを、ハリは不思議な思いにかられて見つめた。
ユイナはハリを見上げている。そこにはたしかな愛情があった。愛されていることを確信し、その喜びに包まれる幸せに恭順している。
ハリは果実をついばむ鳥のように唇を触れあわせ、耳元に囁いた。
「おまえも? あいつの天幕に、行ってみたいと思った?」
ユイナは少し身を離し。
考え込むそぶりをする。
「そうね、興味はあったわね。
だってあなたたちったら、一人で天幕が持てるようになってからは、二人してあたしを閉め出したでしょう? それまではいつも中へ入れて遊んでくれたのに。
一体どっちがあんなに天幕内をいつもごみだらけにしていたのか、すごく知りたかったわ。
でももう知ったし、改善もできたから、いいわ」
くすくすくす。思い出し笑いをしながらふざけて肩口へ噛みつく。
ハリの腕が背に回り、唇が額やこめかみに触れる間も、ユイナのくすくす笑いはとまらない。
オウム返しに同じ場所へ口付けを返してくるユイナに負けじと、頬、顎、喉元をすべったハリの唇が胸元に触れたとき。天幕の仕切り布に入影が映っているのがユイナの視界に入った。
彼女の動きが止まったことで察したハリも動きを止める。
「どうかした? レテル」
影の形でそれが誰であるかを察したユイナが声をかけた。声をかけていいものか、ためらっているふうだった人影は、気付いてもらえてほっとしたように胸元から手を降ろす。
「あのー……、アネサさんの天幕の整理、終わったんですけど……次は、何をしたらいいでしょうか……」
レテルは母アネサの端女だ。
その奇妙な質問にユイナは小首を傾げる。
天幕の外へ出てみると、そこにはレテルだけでなくシアラもいて、やはり身の置き所を間違っているような、居心地悪そうな表情で落ち着きなく体を揺すっている。
「どうしたの、あなたたち。あなたたちはかあさんの専属の端女でしょ。どうしてあたしに訊いてくるの?」
「あのう……、アネサさんが、ひととおり終わったら、ユイナさんに訊くように、って……」
「えーと。午後は出発するんですよね? 荷造りは済ませました。自分たちの分も終わってます。
あのっ、ユイナさんのお手伝いをするようにって言われたんです、まだお昼の準備まで時間あるしっ」
「それで、かあさんは?」
なんだか嫌な予感がするわね、と言外ににおわせて、ユイナは腕組みをする。
そんなユイナに二人は顔を見あわせ、ひとしきり互いに返事を押しつけあうような仕草をしあったあと、やはりレテルが口を開いた。
「………………今日は、新入の世話女の躾で忙しいから、って……」
やっぱりだ。
チッと舌打ち、「ほんと、ひとの話を聞かないんだから」と独りごちる。
その目はレンジュの天幕のほうを向いている。
ハリの指で乱れていた髪をまとめ直しながら、ユイナは二人の横を抜けて歩き出した。
「あっ、あのっ、……ユイナさん?」
「あたしたち、どうしたら……っ」
「向こうでミカエラの手伝いをしなさい!」
あわてる二人に自分の端女の名前を告げる間もユイナの足は止まらず、その速度は上がっていった。