「……あっ」
重ね着した上からなので熱は感じないが、火傷の上を握られて、喘ぎがもれた。
『!
何するの!』
気配を察して振り返ったユイナがその手を叩き払ってくれたおかげで、ようやく硬直を解くことができた。
目深に被っていたため完全にはずれることを免れた被り布をあわてて元の位置まで引き降ろし、その下からあらためて乱暴を働いた狼籍者を盗み見る。
そこにいたのは、ぼさぼさ髪をうなじで一束ねにした巨漢の男だった。
こちらの者は全員陽の女神の寵愛を受けている証のような浅黒い肌に闇色の髪と瞳をしていて、実をいうとマテアにはぱっと見見分けづらいのだが、この者は一目見ただけで他者と区別することができそうだった。
なにしろ周囲を見回してもここまで大きな男はいない。
『そう怒るなよ。たかが手をつかんだだけじゃないか』
巨漢は睨みつけるユイナに愛想笑いを見せ、他意はないと示しながらもちらちらマテアを見ている。
『よく言うわ。好きモノのあんたの本音なんか、とうにお見通しよ。何よ、その目ときたら! ミエミエだわっ』
ユイナはそれこそ地に叩きつけるかのように言葉を返し、マテアと巨漢の間にすっくと立つ。
彼女を見るのも許さないとの態度には、さすがに巨漢も笑みを消した。
『おいおい。なにをそんなに警戒してんだよ。べつに、おまえに手を出そうとしてるわけじゃないぜ? おまえは今じゃあハリのもんだし、もう飽きたしな』
巨漢が肩をしゃくりながら口にした醤葉によって、カッとユイナの頬が屈辱の朱に染まったのを見て、マテアは胸元でぎゅっと手を握りあわせた。何かとてもいやな事が起こりそうで、胸がちくちくする。
巨漢はユイナの素直な反応に、してやったりと嗤っていた。目を釣り上げ、ぎり、と音がするくらい奥歯を噛みしめたユイナは、唐突に振り返ってマテアの右手を持つや、その手首にはまった鋼輪がよく見えるよう、ずいっと巨漢の方へ突き出す。
『あらそう。あたしがハリのものだと知っているなら、これが何を示すかも、よーくご存知よね?
彼女はレンジュのものよ。他人の所有財産に、断りもなしに気安く触わるんじゃないわ』
突然のことに目を瞠り、マテアは大急ぎ手を引き戻そうとしたのだが、自分に対するときと全然違う、棘々しいユイナの声とこめられた力に息を飲んで、そうすることができなかった。
あくまで強気なユイナに閉口した様子で、巨漢は眉を寄せた。
『わあってるさ。もう隊中の噂だぜ。体のどこかに異常があって女を抱けないか、女より男のほうが好きなんじゃねえかって評判だったあのレンジュが、三億出して女を買ったってな。だからいっちょ御拝顔と思ったんじゃねぇか。
ああ、そういやウワサのお相手はおまえの主人だったな。
おまえを身請けしたからやつのほうはマトモだったということになったが、案外そりゃ表向き隠すためで――』
実のところはやっぱり裏でレンジュとデキてるんじゃねーの?
巨漢はそう言いたかったらしいが、ユイナがそれを許さなかった。
『三億八千よ!』
声を大にして語尾へと噛みつく。
『あんたなんかじゃ一生かけても作れない額ね!
それに、レンジュはあんたなんかよりずっとまともだわ! 稼ぎも隊で五指に入るくらいあるし。第一、比較にならないくらい男前だしね!
そのレンジュよりほんの少し劣るうちのハリにだって、てんでかなわないブサイクが何言ったところで無駄よ。力ずくでしか女を抱けない甲斐性ナシの嫉妬にしか聞こえないわ』
『なんだとっ!』
『悔しかったら、一度でいいから天幕の前に女の列を作ってみなさいよ!』
『この――っ!』
憤激した男の振り下ろした手は、しかし危ういところでユイナの頬を打つには至らなかった。
マテアが半瞬早く彼女の袖を引いていたためだ。
『このアマっ! 逃げるなッ!!』
かわされたことでますます怒りを増幅させた巨漢は叫ぶなり手をもう一度振り上げ、ユイナに叩きつけようとする。
その手首を、今度は後ろから別の男が掴んでとめた。
『おい、よせよ』
『邪魔するなっ! 邪魔するときさまもただじゃおかねえぞ!』
『よせって。
じきに部隊長会議が終わってハリたちが戻ってくる。この世話女をあの二人がどれだけ気に入ってるか、おまえも知ってるだろ。とりたてて理由もなしにひとの持ちものに痣なんかつけてたら、賠償金請求されるだけおまえが損をするんだぞ』
『理由はある! おれをコケにしやがった!』
『ばか。いいから頭を冷やせ』
ひそひそと何事か耳打ちされ、しぶしぶといった様子で巨漢は動きをとめた。ユイナはしっかり聞いていて、背を正し、勝ち誇ったように顎を突き出して巨漢を見上げていたのだが、事の成り行きがどうなったか理解できないマテアは、予測できない巨漢の次の行為がどんなものか、恐れに固唾を飲んでいる。
目深にかぶった布の端からちらちらのぞき上げていたマテアだったが、ふと巨漢の目とあったように思えて体を硬直させた直後。
巨漢はぺっと唾をその場に吐き捨て、つかんだ腕を雑にふりほどくと、後ろにいた他の男たちともども向こうへ行ってしまった。