ユイナはまるで触れられたくないというマテアの心を読んでいるかのように、直接肌と肌が触れないよう、指先まで気をつかいながら着替える手伝いをしてくれた。
馬単に乗せられて以来、こちらの世界の衣装は目にしてきたが、どの女性も微妙に違っていたうえ何重にもまとっていたので、どれをどういう順番で重ね着すればいいのかわからずにとまどっていると、ユイナはそれを察して、自分の服を緩めて、身振りで着方を教えてくれた。
足にクリームを塗り、靴下を履き、ズボンを履き、白色の衣を重ね、薄手の手甲をつけ、最後に残った刺繍入りの長衣をかぶったのち、水晶飾りのついた帯布で巻き締め、さらに数本の組紐をその上から巻きつけるのだが、この重ね着はマテアには暑くて動きづらい。
さらにこの上から手袋や長靴を履かなくてはならないと知ったマテアはついに我慢しきれなくなって、長衣の下の衣を何枚かぬぎ捨て、ズボンも靴下もとってしまった。
どうせ長衣の下に隠れてしまうから、長靴だけ履けば下を履いてるかどうかなんて誰にもわからない。
自分の半分以下の薄着になってしまったマテアには、さすがにユイナも驚き、呆れたような表情をしていた。
『風邪をひくわ。しもやけができたり、凍傷になるかもしれないわよ?』
マテアとしてはもっと脱いでしまいたかったのだが、ユイナの反応を見ると、これ以上の薄着はこちらの常識からかなりはずれてしまうようなので、やめたのだった。
人からはずれて目立つことは避けるべきと、木々たちに忠告されていることだし。
最後に、なぜか右の手に輪をはめるようにしつこく迫られた。
表に小さな赤い石――宝石?――がはめこまれていて、その下に文字のようなものが刻まれた、細い銅輪だ。何の意味があるのだろうと思ったが、文字や石など微妙に違うけれど同じ銅輪をユイナもしているのに気付き、ただの装飾品だと解して気にするのをやめた。
『さあ行きましょ』
手招きするユイナに従って、外へ出た。もちろん陽差しを避けるための布を頭からかぶるのは忘れない。(不思議と、これもユイナが用意してくれていた)
かぶっていても陽差しを完全に防ぐことはできず、胸がつまるほどの熱気を感じて息がしづらいので、ためらいがないわけではないのだが、自分がどこにいるのか知らないままではいられなかった。
一人で寝かせられていたことといい、こんな格好をさせられることといい、おそらくここは今までとらわれていた商隊とは違うだろうから。
違う場所――ちゃんと、そう理解していたにもかかわらず。
ユイナが持ち上げてくれた仕切り布をくぐり、外を見た瞬間、マテアは絶句してしまった。
そこに広がっていたのは、様々な色や大きさの天幕と、数頭ずつわけてつながれた馬と、バケツに顔を突っこんで黙々と餌を喰う犬と家畜、そしてあれこれとせわしなく動き回る蓬髪の婦女子の姿だった。
この世界で生まれ育った者にはとりたててめずらしくもない光景だったが、マテアには違う。そもそもがこれだけの数の地上界人を見ることからして初めてだった。
商隊にいたときよりはるかに多く、年齢層も幅広い。いないのは老人と乳飲み子くらいのものか。散らばった天幕の合間では火が焚かれ、上にかけられた釜からは湯気と死の臭いがしている。
料理番をする女、野菜切りをする女。たらいに汚れた食器を山積みにしていた女が、自分より小さな少女を叱りつけ、桶を押しつけている。また、少しはずれた所ではいくつも立てた二又の棒にロープを二重に渡して、その上に布を広げて干している。
馬にブラシをかける女、焚きつけ用の枝を配り歩く女、家畜にやる餌を練っている女、木の枝に数種の糸をくくりつけて垂らし、何やら編んでいる女――不思議なことに働いているのは女ばかりで、男は天幕の入り口や外で簡易イスをむかいあわせ、杯と瓶を手に談笑していた。
中には犬の相手をしていたり剣を研いでいたりする者もいるが、忙しく働く女の仕事を手伝おうとする者は一入もいない。
『ここが今日からあなたの生活する隊よ。人数は毎日のように変動してるから、あたしも正確にはわからないわ。でも千五百は超えてると思う。
世話女が百くらいで端女が二百五十くらい。下女は……二百くらいだったかしら? もっといるかも』
呆然と立ち尽くしているマテアを促して歩かせる。
先に立って歩きながら、ユイナは説明らしきことを口にしているけれど、マテアには当然通じていない。もっとも、もし通じていたとしても、マテアの耳には届いていなかっただろう。マテアがユイナの言葉を意識して聞いている様子はなかった。
月光界では特異なものでない限り、性別で仕事を区別したりしない。体力が関係してくる分野では男が大多数を占めるけれど、それでも女が一人もいない仕事というのはない。女と男が同じ仕事をしても誰も非難したりしないし、何もおかしくないのだ。
この地上界では、違うのだろうか?
女と男で仕事がはっきり分担されている、というより、女だけが働いて、男は手伝いすらしていないように見えるが……。
これが、こちらの日常?
月光界とは違いすぎる光景に少々唖然としつつ、ユイナの後ろを歩いていたマテアの左の二の腕が、ふいに何者かに掴みとめられた。そのまま強引に後ろへ引き寄せられ、宙に浮きかけた爪先で小石を蹴る。