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月の乙女と地上の兵士 3

 若い、と言ってもこちらの世界で人の寿命がどれほどかわからないので本当の年齢は見当もつかないが、外見的はマテアと同じくらいだ。


 先の女と同じ型に髪を結い上げていて、髪の色も肌の色も同じせいか、どことなく雰囲気が似ている。


『ユイナ』

『起こさないようにって言われてたでしょ? しそうだと思ったからレンジュもわざわざ断っていったっていうのに。

 ほんと、辛抱が足りないんだから、かあさんてば』


 やはりしゃべっている言葉は一言もわからず、ギャアギャアと鳥が鳴いているようだったが、ずっと柔和な笑顔で悪意を感じられないせいか印象はだいぶ違って見えた。

 若い女は先の女をからかうような手振りをしながら天幕の中へ入ってくる。反対側の脇には、布の入った篭が抱えられている。


『起きてたよ、もう』


 しかめっ顔で、しぶしぶといった様子で先の女が答える。そして罰の悪さをごまかすように声を張り上げた。


『にしたって、見てごらんよほら! この娘っ子ときたら、こんな真っ白な肌の色をして! 北の出の娘でもこんなに白くなんかないよ! 腕も足も、まるで棒っきれじゃないか! こんな細腕じゃあ水の入った甕一つ運べやしない!

 腰は細いし、尻は小さいし!

 あれほど女を買うときは尻をよく見ろと言い聞かせておいたのに、容姿で選んだね、あの子は! 顔なんかいくら良くったってなんの役にも立ちゃしないってのに、なんでこうも若い子はそろいもそろって顔の造りばかりで選ぼうとするんだろう! やれ無能だ、要らぬ買い物をしたと、あとで嘆くのは自分たちのくせに!』


 あの子だけは違うと思っていたのに。

 悔しそうに歯をきしらせ、ぶちぶちぶちぶちいつまでも女はぐちり続ける。

 まあまあ、落ち着いて、と若い女がとりなそうとしているのを、マテアは黙って見ていた。

 さっきと同じだ。女は、マテアについてのことを、この若い女に向かってまくし立てているのだ。

 若い女が入ってきて腰を折られた気分だったけれど、またむくむくとマテアの負けん気が湧き上がる。


 そもそもこの人たちは一体、ここで何をしているのだろう。わたしの所へきたということは、わたしに用があるのだと思うけれど。

 とてもそうは見えない。

 そんなことを考えていたら、突然女の顔が鼻先に突き出された。

 触れられたら危険と、大急ぎ手近にあった布を頭からかぶる。

 その布を指で持ち上げ、のぞき込み。女は疑いの目で言った。


『あんた、まさかやまい持ちじゃないだうね?』

『かあさん!』


 途端若い女が声を跳ね上げた。


『もう! いいかげんにしてちょうだい!

 さあもういいでしょ、出て行って。彼女の世話を任されたのはあたしで、かあさんじゃないわ。

 見て。すっかりおびえちゃってるじゃない』


 空いている方の手を腰にあてがい、若い女は憤慨しきった様子で女を叱りつけると、ほらほらと天幕の入り口へと女を追い立てた。


 女はそれに逆らわず――若い女のほうが身分が上なのだろうか?――仕切り布をめくり、出るそぶりを見せたが、立ち止まり、もう→度マテアに不満気な顔を向けてきた。

 布をかぶったままのマテアに、敵意とまではいかないけれど、気にくわない者を見る目つきで大きくフンと鼻を鳴らした女は、ばっと大きく仕切り布をめくり上げ、わざとらしく足音を立てて天幕から離れていった。


 何がどうなったのだろう? さっぱりわからない。


 困惑して、女の出ていった入り口をずっと見つめていたマテアの耳に、存在を失念していた若い女の声が入った。


『気にすることないわ。あなたにお気に入りの坊やをとられたから、拗ねてるだけよ。

 みんないつまでも子供じゃないって、あたしとハリでわかったはずなのにね』


 マテアと視線をあわせ、若い女はにっこりと笑う。そしてマテアの正面にしゃがみこんだ。


『もっとも、このことを知って嘆くのは、かあさんだけじゃないでしょうけど』


 苦笑しながらつぶやいたあと。


『はじめまして。あたし、ユイナ。ユイナっていうの。

 わかる? ユ・イ・ナ』


 若い女は自分を指差し、何度も『ユイナ』とのフレーズをくり返す。

 ギチギチ、ギリギリという耳障りな音でも、短い音で、何度も繰り返されればなんとか聞きとれるものだ。


 唇の動きがよく見えるようにゆっくりと、真正面から一音一音発音するところから察して、彼女はマテアがこちらの言葉をしゃべれないことを知っているようだった。

 そのことを不思議に思いつつも、


「わたしはマテア。マテアというの、ユイナ。

 マ・テ・ア」


 彼女をまねて、ゆっくり名乗ってみた。

 ユイナは眉をしかめ――でもそれは先の女のような不快感を表すものではなかった――申し訳なさそうに首を横に振った。


『ごめんなさい。わからないわ。レンジュもそう言ってたんだけど、でも、もしかしてって思って……。

 きっと、あなたはすごく遠くから連れてこられたのね。この辺りじゃ見かけない肌と髪の色をしているもの』


 だから言葉が通じないのだと納得して、ユイナはこう提案した。


『あのね。レンジュが、あなたのこと『ルキシュ』って呼ぶのはどうかって言うの。

 この国の神話に出てくる、むかしむかし、地上に降りてきた月の神さまの娘の名前よ。月のような白い肌と金色の髪をした、すごくきれいな女性で、誰もが彼女のことを好きになったそうよ。そして彼女は……みんなに惜しまれながらも最後は月の光になって神さまの元へ戻って行くんだけど。


 あたしは、そんな悲しい女の人の名前をつけるの、なんだか不穏な気がしたんだけど。でもしかたないわね、わからないんだもの。

 それに、こうしてあなたを見てると、あたしもその名前がぴったりと思えてきたわ。だって金の髪に白い肌、それに青銀の瞳でしょう? 神話の通りなんだもの。彼女があなたほどきれいだったかは別としてね』


 ユイナは長々とそう語ったあと、くすりと笑い、マテアを指差して、自分の名を言ったときと同じように何度も何度も『ルキシュ』と繰り返した。


「あなたは、わたしを『ルキシュ』と呼びたいのね?」


 マテアの発する音の中から『ルキシュ』という音を聞きとったユイナは頷く。

 マテアは少しの間考えこみ、頷いてみせた。


「いいわよ。

 すごい偶然だけど、月光界にもその名前はあるのよ。桃色の、小さな花の名前なの。野原に咲いて……そう、ちょうど今ごろ咲いているんじゃないかしら」


 ルキシュやその他の花々が咲く野原で花摘みをする乙女たち。

 夢でしか見られないその光景を思い出して切なくほほ笑む。


 他方、マテアが笑顔でその名を口にしたことに、彼女が気に入ったのだと確信したユイナは、「よかった」とほっとした表情を浮かべる。

 そしてうきうきと、弾むように立ち上がって、抱きこんでいた篭の中から数種の布をとり出すと、ばさばさとマテアの前にそれらを落とした。



『さあ着替えましょう! もうじき昼よ。出発前にやらなきゃいけない事が山積みだわ、ルキシュ』

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