目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
幻の交易都市アーシェンカ 1

 アーシェンカとはアリセカ国とサシサカ国との国境にある草原の名である。


 サシサカ国は国土のほとんどが山岳地のため、国民の大半が山岳民族だ。小~中規模の一族で構成された遊牧の民がいて、季節の変わり月の新月の翌日から三日間、アーシェンカにおいて大規模な市を定期的に開いていた。


 もともと遊牧の民は場所や時間に執着せず、出会ったその都度に部族同士で物々交換をして互いを補いあっているのだが、この年に数度の定期市だけは必ず開催する。客はもっぱら移動中の連合軍・帝国軍兵士だ。彼等は物を手荒に扱ってすぐ消耗させてしまうので、いいお客になるのだ。兵士たちもいちいち隠れ里を探して迂回したり、部族部族で微妙に違うしきたりを考慮して交渉するなど面倒なことをせず、気軽に日用品などを購入できるので、好んでその日その場所へとやってくる。


 結果として敵とかち合うこともよくあるのだが、ここでは争いはご法度とされる。市では遊牧民たちが強い権能を持っていて、そして彼等は独自の大地母神信仰によって流血をきらう。また、かなり根に持つ性質で、一度彼等の気を損ねたりすれば次から利用が大きく制限されてしまう。

 利益・不利益を天秤にかけた結果、最善の方法として、入り口に帝国軍の旗があるときは連合軍が、連合軍の旗があるときは帝国軍が、市からは距離をとって陣を張ることを暗黙の了解とし、長居をしないことで衝突を避けていた。


 連合軍・帝国軍、大小合わせて数十の部隊がこの地に集結する。目的は買い物。

 それがわかっているから遊牧民だけでなくいろいろな商品を荷車いっぱいに積んだ商隊も各地から集まってくる。その中には旅芸人の一座もいる。商売に忙しい彼らの世話を焼き、下働きをしたり商売を手伝うことで利を得ようと考える者たちも。

 市の規模は自然とふくれあがり、わずか三日間だがアーシェンカはたくさんの露店と行商人、彼らの荷車が長く連なる幻の交易都市へと変貌するのだった。



「あいかわらず騒々しい所だよなー、アーシェンカは」


 うなじのところで指を組みあわせたハリは、入り口に設けられたアーチをくぐった直後、隣のレンジュに向けてそんな感想をもらす。


「これくらいの規模の市、スターハにもケイシャナにも開かれてるし、もっとおっきな市だってあるのに、ここが一番うるさいとゆーか、活気があるんだよなー。まるで新年祭と国誕祭とがいっぺんにきたみたいだ」


 こういったお祭り騒ぎが大好きなハリは、うきうきと声を弾ませながら露店中の品に目を走らせている。入り口辺りに並ぶ店の大多数が布・玉・櫛といった品であふれており、主に若い娘用だ。その次に果物・塩漬肉・魚の干物・野菜の漬物などが並び、竹篭や木箱に山盛りされた香辛料の店が続く。もちろん兵士には欠かせない薬草類も。


 これから冬が到来するのだから厚手の布や服の購入は欠かせないし、保存食も大事だ。そのため市の大部分の露店がこういった品の店で、そのどれもがあでやかな色彩を放ち、婦女子の目を惑わせる。中央近くには旅芸人のたてた巨大天幕があり、呼びこみ役の道化師や軟体人間が笑いと興味を誘っている。空気中には羊肉の焼ける匂いなどもただよっていて、なかなかの盛況ぶりだ。


 市の半分をすぎたところでハリはもう両手に小さな袋を幾つもぶらさげていた。しかし意外にもその大半は花模様の入った髪飾りや首飾りといった、女性が好んで用いる装飾品だった。

 歩くたび、こすれ合ってがさがさと音をたてるそれを見て。


「すごい量だな」

「そうかぁ?」


 言われてはじめて気付いたように両手を上げ、かわるがわる見る。


「ユイナに頼まれた物がほとんどだな。女の好みそうなヤツってわからないから、一緒に来て自分で買えばいいって言ったのに、自分にはやることがたくさんあるんだってプンプン怒って」


 そうぼやきながらも、露店で物色中のハリの面は満更でもなさそうだったのを知っているレンジュは、奥歯で笑いを噛み殺して聞いていた。


「残りはアネサとその子分の分。ユイナの注文受けてたら我も我もと寄ってきた。

 あいつらちゃんと金持ってるんだろうな? すごい出費だぞ、これは」


 溜息をつく姿からして、ハリ自身、回収はまず不可能と感じているのだろう。

 そもそも彼が端女はしためのような使い走りをするのは間違いで、本来であればアネサの子分――つまりアネサの下についている端女たちの誰かが受け持たなければならない役割だ。端女の分際で図にのるなと鞭で打たれてもしかたのない行為である。


 だが、ハリはひとを鞭打つことを嫌っていた。あるとき、隊の男が他の端女たちへの見せしめも兼ねて、言いつけを破った端女を派手に鞭打っていたことがあったが、そのときもハリは囲って見物する者たちに背を向けてその場から遠ざかっていた。

 端女はその男の所有財産で、それをどうしようが口を出す者はない。死んだりすれば大損なので、男も殺したり後遺症が残るような打ち方をしないのは見物人たちもわかっている。他の端女たちは明日は我が身かもしれないと思うだろうし、男たちはいい退屈しのぎだと楽しみ、そして加減を学ぶ。鞭打たれた女は、次はこうならないようにうまく立ち回ろうと考えるだろう。そうして皆、何かしら生きる術と知恵を学んでいくのだ。


 そう、頭ではわかっているが。


 鞭の風切り音を聞くだけで背筋がぞわぞわするんだと、そのときこぼしていた。

 這い上がる虫を払い落とすみたいに軽く揺すられた背中を見て、ハリが何を思いだしているか、幼なじみのレンジュは察して何も言わなかった。

 しかし入隊してからの付き合いしかない男たちの中には、だから端女にまでなめられているのだと批判する者もいる。主従が逆転し、端女は仕事をおろそかにするようになり、ハリは万全の状態で戦いに望めなくなる。そのせいで命を落とすことになるかもしれないと。

 だがアネサはハリの妻ユイナの母親であり、生まれたときからこの隊にいる女だ。ただの世話女せわめではない、古株の世話女頭である。世話女は男たちに仕える存在とはいえ、初陣のころから自分のことを知っていて、我が子同然に何かと面倒を見てくれてきた彼女には、ハリに限らず隊のほとんどの男が弱い。だから「じゃあおまえ、あのアネサの言葉に逆らえるのか?」との笑いでいつも最後は流れていた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?