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異邦の民は苦役を強いる 4

『あのゼクロスがめずらしく絶賛してたっけねぇ。今まで扱ったどの奴隷より上玉だって。すっかり興奮しちまってて、手がつけられなかったよ。

 さあ出てきてごらん。どれほどのものか、あたしがじきじきに検分してやるからね』


 そう言い、出てくるのを待つが、マテアは従う素振りすら見せない。眉間にうっすらと嫌悪の皺を寄せて、ぴくりともせず中年女を見返している。


 地上界の言葉を知らなくて、彼女が何を言っているのか正確には理解できないマテアでも、中年女がさっきの女たちのように自分も外へ出ることを促しているのはわかった。ただ、先から聞こえていたつんけんとした語感がひどく不愉快に感じられて、おとなしく従う気になれなかったのだった。


 指先一つ動かさないマテアに、ずい、と中年女が一歩中へ踏みこむ。


『出ておいでと言ってるんだよ。聞こえないのかい? ゼクロスは耳が悪いとは言ってなかったけどね』


 声が低くなった。耳にとげとげしく、不機嫌なものへと変化している。

 ぴしりと音をたてて、中年女は帯にはさみこんでいた鞭を左手に軽く打ちおろした。


 性奴は外見の出来不出来によって売買の値が決まることから他の奴隷たちと違って手荒な扱いは受けない。移動中は馬車にも乗せられるし、肌を磨き髪や爪に艶を出すための品も配給される。そのため何かと図にのりやすく、すぐに言うことをきかなくなったり、隊での生活に慣れて、常に緊張するということを忘れていろいろと怠けだしたりもする。

 これは、そんな輩を相手にしばしば用いる調教用の鞭である。

 打った箇所には醜いみみず腫れができて、最低でも三日は熱をもつし、へたをすると傷が残ってしまう場合もあるので、高級性奴相手にはそうそう用いたりしない。だから今回も、中年女はマテアの恐怖心に訴えるためだけに見せたのだが、マテアにそれとわかるはずもなく。


 目にした瞬間、鞭打たれるのだと察して、さっと頬が強張った。


『ふん、強情っ張りが。目は悪くないようだね。ならあたしが言ってる意味がわかるだろう? 表へ出るんだよ、さっさとね』


 中年女はマテアの変化した表情の意味を素早く読みとり、勝ち誇って鞭の先で仕切り布を突く。その見下しに堪えかねて、マテアは顔面に叩きつけるように非難を返した。


「――なんていやらしいの。暴力で相手に無理矢理いうことをきかせようだなんて、卑怯者のすることだわ。恥を知りなさい!」


 言葉が通じないのはわかっている。それでも言わずにはいられなかった。


『……なんだい? さっきのキンキンした音は』


 月光界の言葉をはじめて耳にし、その違和感にびっくりした中年女は鞭を持った手を耳に添えて呟く。自分たち以外天幕のそばには残っておらず、音を出すものも天幕の中に一つたりとないため、それはやはり目の前の女の口から発せられたのだろうとすぐに思いあてられたものの、同じ人間の喉から出たとは思えないような高音の澄んだ響きであったので、今一つ納得できない、奇妙な面持ちで中年女はマテアを見返す。マテアもまた、先まで以上に睨みをきかせて中年女を見る。中年女は一度自分の掌を軽く鞭で打つと、マテアから目を離さずに大股で正面に歩み寄った。鞭で打たれるものと思い、強く手を握りこんでいるマテアを見下ろし、次の瞬間彼女は問答無用とばかりに手首を鷲掴みにして引き上げる。


『さあ出るんだ! この鼻持ちならないわがまま娘め!』

「いたっ、いたい! いや! はなして!」


 昨夜同様、掴まれた手首に激しい痛みを感じて悲鳴を上げる。けれど中年女はそんなもの一切聞こえないとばかりにもがくマテアを強引に入り口へ向かって引きずりはじめた。


『かしずく侍女どもに手をとってもらわなけりゃ立つこともできないってのかい? えらそうに、一体何様のつもりだい? 前はお貴族さまだったかもしれないが、ここじゃあそんな過去はきれっぱしだって通用しないんだよ! 今のあんたはただの奴隷で、買い受けてもらえるまではあたしの命令に絶対服従なんだ!』

「いたい! やめて……! おねがいだからはなして! はなしてちょうだい!」


 まるで真っ赤に焼けた五本の鉄の棒を押しつけられているようだった。皮膚を焼き、肉を焼いているのだと信じて疑わず、引きずられていく間涙をこぼして叫び続ける。なんとかして掴んでいる手を引きはがそうと両手を中年女の指へ持っていったが、触れた瞬間、ジュッと音がして指先にも激痛が走った。


『さあついた! こんなにあたしの手を患わせたんだ、鞭の十本は覚悟しときな! 見せしめとして、皆の前で打ってくれる! この商隊じゃいくら新入りだからって容赦なんかしてやらないことになってるんだ! その後で、奴隷とはなにかってぇのをあんたの性根に叩きこんでやるよ!』


 どんっ、とマテアを表の雪の上へ突き転がす。天幕の暗がりから朝の光あふれる外へその身をさらしたマテアは、その瞬間痛みが手首だけでなく全身まで広まったのを感じて、叫ぶこともできずに奥歯を噛みしめた。




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