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異なる世界、異なる理(ことわり) 2

 マテアは絶句し、あらためて周囲を見渡した。

 かつて森があった場所。天をおおい隠すほど緑がしげり、様々な鳥が鳴いて彼女を滝まで誘導してくれた。目に見えなくとも、暗がりにはたくさんの命が息づいていたのが感じられた。それが、今は立木一本生えていない平坦な地となっている。


 これをすべてこの地の民が為したというのか。


 寒さによるものとは違う、もっと底冷えのする、心の芯から凍りつくような冷気の忍び寄りに、マテアは己でも知らぬうち、両の肩を抱いて震えていた。


 なんとおそろしい者たち。自分が何をしたか、それさえも理解できないなんて、まるで赤子のようではないか。同じ世界に住むものである森を焼きはらうなど、『他者』を害するというその意味を本当に理解できていれば、とてもできるはずがない。


 森や滝の恩恵を受けていたものたちは、きっと数多くいただろう。あそこは穢れを寄せつけない、聖地だった。それを蹂躙され、あの夜の鳥や小動物たち、それに木々は、どれほど泣き叫んだことか。やめてくれと、口々に叫んだろう。なのに人間たちはそれを無視した。無理矢理、力ずくでねじ伏せ、殺し、己にとって都合のいいように事を運んだのだ。


 命の声を無視し、平然と森を焼きはらう、そんな冷酷な輩に<リアフ>の返還を求めなければならないとは。


 あらためて実行の困難さを噛みしめていたマテアに、木々は安堵するよう息をついた。


  ――ああでもまたいらしてくださってよかった。あのような事になり、もしや二度といらしてもらえないのではと案じておりました。


 その言葉に、マテアも木々に訊きたいことがあったのを思い出す。


「わたしの<リアフ>を奪った男があの後どうしたか、あなたたちは知っていて?」


  ――もちろん存知ております、月光の乙女。わたしたちはなんとしてもそれだけはあなたさまにお伝えせねばと思い、土中で眠らずに待っていたのです。

  ――あなたさまの禊を中断させた人間の男は、あなたさまの<リアフ>の恩恵によりこの地での長い戦いを無事生き抜いて、同じく生き残った他の者たちとともに南西へむかいました。

  ――シュダという地です。そこに彼等の宿営地の一つがあると話しておりました。今冬はその地ですごすとのことです。


「南西ね、わかったわ。ありがとう」


 礼を言い、南西の方角へむかって飛ぼうとした彼女に、木々があわてて制止をかけた。


  ――お待ちください、月光の乙女。

  ――こちらの人間は空を飛びません。

  ――飛べないのです。

  ――ここより南西の地にむかえばそれだけ人が増えてゆくでしょう。冬の獣を目当てに雪原を旅する狩人たちも中にはおります。

  ――あなたさまが飛べることがわかったなら、ものめずらしさからきっとひどい目にあわされるでしょう。すべては御身のため。どうかご自重ください。


「では、歩いて行けというの?」


 木々は答えなかった。きまりの悪そうな沈黙から、そうなのだと察したマテアはおそるおそる雪面に足先を触れさせる。見た目ほどやわらかそうにも冷たそうにも思えず、思いきって両足を降ろしてみた。ところが意に反して雪は膝までマテアの足を沈めてしまう。我慢できない冷たさではないが、月光界の薄布でできた履物では雪の侵入や圧迫を防げない。


「だめよ、これではとても前には進めないわ」


 急ぎ宙に戻った彼女に木々は答えず、ひたすら申しわけないとの気配だけを伝えた。

 それでもそうするしかないと言っているのだ。悪意で言っているわけでないのはマテアにも十分わかっている。木々は好意を持ってくれていて、これは、マテアの身を案じての忠告なのだ。ここが異世界である以上、干渉するのもされるのも極力避けるべきなのもわかりきったこと。飛べない者たちの目の前で飛び回り、不容易に騒ぎたてられるのはマテアの望むところではないし。


 しかたなし、ふうと息をついて意を決めると、かぶっていたベールを縦二つに裂いて履物の口にぐるぐる巻きつけ、雪が侵入しないようにして、もう一度、今度は足首がつかる程度に雪に沈ませた。その高さで浮いて、歩くことにする。これなら遠目にも飛んでいるとは悟られないですむだろう。


  ――わたしたちに手助けできるのはここまでです。

  ――春に芽吹く子等のために、わたしたちは眠らなければならないのです。


「ええ、どうぞ眠ってちょうだい。わたしのことなど心配しないで。それから、ありがとう。異世界の者であるわたしなんかに、こんなにも優しくしてくれて」


  ――いいえ、いいえ、月光の乙女よ。

  ――眠りの中で、あなたさまの望みが叶うことを願っております。

  ――どうかお気をつけて。

  ――くれぐれもお気をつけて。


 彼女を見送る木々の声は一歩踏み出すごとに遠くなり、やがて聞こえなくなった。

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