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禁忌は甘い香りと棘を持っている。薔薇のように 5

 胸に突き刺さった針のような鋭い痛みに目を見開き、一瞬で意識を我が身へと収束したマテアは、無意識に祈りの言葉を紡ぎかけていた唇を諌めるように噛んだ。

 彼が禁忌とした方法を行おうとしている自分は、その無償の愛を受けとる資格すら持ちえないのだ、と。

 涙がこぼれおちそうだった。ぐい、と袖で熱くなった頬をこすったけれど、涙はかろうじてこぼれていない。まばたきもせず台を降り、レイリーアスの鏡に正面立った。


 巨大な鏡である。鏡面よりも周りを囲った額縁の方が面積をとっていたが、それでも上の、鏡面と額縁の境は見上げるほどに高い。

 誕生して三百年。ほぼ毎日この広間で祈りをささげてきた。当番も数えきれないほどこなしてきたが、触れたことはおろか、一度もここまで近付いたことはない。台より先に進むことを禁じられているということもあるが、おそれおおくて、触れたいなど考えたこともなかった。サナンばかりは違ったようだが、おそらく他の聖女も同じ考えでいるはずだ。

 なぜなら、この鏡を用いて月光神は界渡りをしているのだから。



『月光神の恩恵を受けているのはなにも月光界だけじゃないのよ、マテア』



 自分の影で暗く陰った鏡面を見ているうちに、サナンの言葉が蘇った。


『あなたも知ってるでしょう? 月光神に創造されたこの月光界があるのと同じように、太陽神に創造され太陽神を崇める世界や風神を崇める世界、大地母神を崇める世界だってあるの。その世界すべてに界渡りをして、月光神は月光を投げかけているわ。もちろん、わたしたちの世界の風や大地と同じように、この月光界ほどに御力が行き渡っているわけではないけれど、でも、中にはその月光がこの月光界に降りそそぐものよりはるかに強い力を持っているのもあるのよ』


 本当だろうか。

 サナンの言ったことは、本当にそうなのか。


 マテアにはわからない。月光聖女で界渡りをした者はいないから。

 サナンは、この事を以前衛士だった男から聞き出したと言った。

 鏡をくぐるのは本来禁忌とされる行為だが、例外もあって、『月誕祭』の日、月光神の衛士として選ばれた数人の男たちが、次の『月誕祭』までの百年間、月光神とともに界渡りをする。けれど、当然ながら任期を終えて戻ってきても、界渡りについては誰も一言ももらさない。


 月光神のいない夜の間、月光の波動を伝えてくることからこの鏡は月光神が界渡りをした先につながっているのだと言われてきているが、マテアは見たことがないし、今までの当番の聖女たちも、誰も、界渡りをしている姿を見たという者はいない。本当にこの鏡を用いているのか、本当に『界』渡りなのか、界渡りをした先が異世界であるのかということすら、疑いだせばあやふやになってしまうのだから、サナンの言った事はすべて真実であると、信じきることはできなかった。


 サナンは、したと言ったけれど……。


『いろいろ試してみたけど、やっぱり大地母神に創られた地上界にそそがれる月光が一番強いわ。ほら、地上界の民はすごく野蛮で好戦的だってみんな噂してるじゃない? 向こうに行くまでは『なんの根拠もなしに……』って半信半疑だったけれど、あれ、本当だって思ったわ。あなたも行ったらすぐわかるでしょうけれど、大気がすごく穢れているの。だから少々の月光力では役に立たないのね、きっと。あんな穢れに満ちた世界で、しかも強力な月光を浴びながら平然と暮らしていられるんだから、その鈍感さも並じゃないとつくづく感心するわ。でもまあ、そのおかげでわたしたちのような者には大助かりなんだけど』

『そんなに……強いの……?』

『なによマテア。あなた、もう腰がひけちゃったの? そんな弱気じゃとても<リアフ>を強めるなんて無理ね。諦めた方が利口よ。ラヤも、<リアフ>の強化も。だいたい何のリスクも負わないでいい目だけみようっていう考えがずるいんじゃない? これも前々から思ってたことなんだけど、あなたっていい子ちゃんぶりすぎるのよ。誰からも非難されずにすむようにって、そればかり気にしてふらふらして』

『そ、んな……』

『そうなの! 都合が悪いからって目をそむけたりしないで、ちゃんと自分を見つめなさい! それでも、わたしの言ってることは違うっていうなら、やってみなさいよ。ラヤが本当に好きで、渡したくないと思っているならできるでしょう? 誰から非難されようと、これしか方法がないんだもの。わたしはやったわ。ラヤをこの手にとり戻すためにね!』


 口にするうち興奮してきたのか、だんだんと語気が強まり、最後、ラヤの名がその唇からほとばしった瞬間、サナンの面は仮面をはずしたように一段と険しくなった。


『――いいこと? これだけは覚えておいてちょうだい。あのひとは渡さないわ。同じ神月珠から生まれたときから、わたしにはあのひとだけだった。あのひとにふさわしいのはわたしだって、ずっと確信していたわ。

 あなたはわたしからラヤを奪ったのよ、同じ神月珠から生まれたわけでもないのに!』


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