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『ファナゼットと、揺らぐ心』

 その意味をはっきり咀嚼するまでも至らず、ファナゼットは駆け出していた。

 制止の声が聞こえた、ような気がした。構うことはなかった。ただ、ファナゼットは走った。

 轟音を高らかに鳴り響かせたそこは、もうもうと土煙の立ち込めているそこは、パライソのなかで一番の技術者であるミリと、その妹――ルクスが住んでいる建物がある、その場所なのだ。

「……何よ、これ」

 辿り着いてすぐ、ファナゼットは呆然として呟いた。

 酷い有り様だった。

 一体どんな手を使ったのか。頑丈なはずの四角い旧文明建造物は、その半分ほどがまるでブロックフードを踏みつけたかのごとく潰れ、ところどころが粉々になっていたのだ。

 その半瓦礫から、ひとつの人影が現れる。背に翼のような機械を携えた、女性――のように見える、赤い光をまとった悪魔だった。

 レイヴン。どこからか舞い降り、貴重な物資を根こそぎ奪い去るのみならず、人々を攫っていく、機械でできた人型の悪魔。

 そのレイヴンが抱えているのは、茶色の長い髪をした女性だった。硬く目を瞑ってぴくりとも動かない彼女は、間違いなく、ここの家主たるミリである。

 レイヴンはファナゼットに一瞥もくれることなく、そのまま背中の翼を広げて重力のくびきを脱する。ミリをまるで物のように持ったままで、どこかに飛び去って行ってしまった。

「げほ、げほッ……ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ!」

 ゆっくりと遠ざかるその背に向けて叫んでも、当然、レイヴンが止まることはない。あの悪魔は、母船と呼ばれる巣に獲物を集めるのだという。そこに帰っていっているのだろう。

 レイヴンの飛行速度は人間が走るより速いが、そこまで大きな差があるわけでもない。集落を出てすぐのところに何台かのバイクやスクーターが置いてあるのも知っていたし、丁度それらの運転方法を【学舎ムニン】で調べたところだった。

 追いかけようか、という考えがちらと脳をよぎったが、しかしファナゼットはそうしなかった。

 理由は単純で、つまり、レイヴンが抱えていたのはルクスではない。

「ルゥ!」

 歪んだ扉は、幸い開きっぱなしになっていた。親友の名を呼びながら部屋に入ると、そこには朝の陽光を集めたような金色をまとう少女がいる。ぺたん、と床に座り込んで。

「……ぁ、あぁ、ぁ」

 ぽかんと空けた口からうつろな声を洩らすルクスは、焦点の合わない目をファナゼットへと向けることさえせず、ただガタガタと震えていた。

 すぐに駆け寄り、その肩を両腕で掴む。

「ルゥ! 無事? 怪我は!?」

「ぁ……お、お姉ちゃん、が……ミリお姉ちゃんが……!」

「アンタは大丈夫なのね!? あのレイヴンに酷いことされたりしてない!?」

「お姉ちゃん……お姉ちゃんが! わた、わたしッ、ぁ、ぁあああああッ!」

 ルクスはファナゼットの腕を振り払うと、うずくまって嗚咽を洩らす。

 レイヴンに連れ去られた流民がどうなるのか。それを知る人は、きっとこの地上のどこにもいない。ただ分かっていることは、一度攫われた人間が戻って来たためしはないのだと、つまりもう二度とミリが帰ってくることはないのだと、そういう揺るぎない事実だけであった。

 ルクスがミリを大切に思っていることを、ファナゼットは知っていた。

 否。大切、どころではない。きっとミリは、ルクスのほとんどすべてだったのだ。

 なんでも、二人の血は繋がっていないらしい。ルクスは実の親のことをほとんど覚えていないらしいが、邪魔だからと捨てられて死にかけていたところをミリに助けてもらったそうだ。

 それだけではない。ミリはルクスに名前を与え、生き方を教えた。笑えるようにしてくれた。そういう話を、ファナッゼットは他ならぬルクスから散々聞かされていた。

 『ミリお姉ちゃんがいなくなったら、わたし、生きてけないかも』なんて冗談めかした、しかし一切冗談なんかではないのだろう言葉も。

 自分がその立ち位置になれないことに、微かなもどかしさを感じたことも。

 全部、覚えている。

「ぅあ……あああああ! あ、ああッ、お姉、お姉ちゃんが、あ、ぅあぁあああ!」

「ルゥ! 落ち着きなさい、ルゥ! ほら、あたしが来てあげたんだから! ルゥ!」

 その丸い背中を手荒く撫でながら、ファナゼットは己の無力さに打ちひしがれそうになるばかりであった。

 ファナゼットなんかではミリの代わりになどなれはしない、当然の話である。

「ああ、うあ、うううぅぅぅぅぅぅ……」

 壊れていくのが、はっきりと分かった。

 ルクスの心が。ルクスをかたち造る大切なものが。それを止めることができない。その力がファナゼットにはない。

 ファナゼットはただ八歳の子供でしかなかった。いくら【学舎ムニン】で知識を蓄えても、次期リーダーとなるべく規範を守って日々を過ごしても、どうしようもできないことのほうがずっと多い。

 だから、大切なルクスが、ルクスの心を繋ぐものが崩れていく様子を、眺めているしかない。

「ルゥ……ッ!」

 それでも、たまらずルクスのことを呼んで。

「……ふぁ、な?」

 涙でぐちょぐちょになった金色がこちらを見たことに、ファナゼットは心の底から驚いた。

「ルゥ……大丈夫、あたしのコト分かる!?」

「ふぁ……ファナぁ……わたっ、わたし、ぅう、ぅううううう……」

 ルクスはファナゼットに縋りついてきて、ぼろぼろと涙をこぼす。その片手に光子銃が握られていることに、ファナゼットはようやく気が付いた。

「わた、わたし……撃とうとした、レイヴンを、わたし、追いかけようとして、銃も持ってて、撃とうとして……だけど、ファナのこと、思い浮かんで、いやだなって、もう会えなくなるのは嫌だって、怖く、怖くなっちゃって、わたし……」

 レイヴンは機械であり、ゆえに明瞭なルールで動く。

 だから、攫う対象でない人間をどうこうすることは一切ない。――敵対しない限りは。

 もしも銃を構えて撃ったとすれば、それはもちろん敵対行為だ。ルクスが一発でも、当たらなくても、銃を撃ってしまっていたら、彼女は間違いなくレイヴンに殺されていた。

 良かった、と思ってしまった。

 ルクスが銃を撃たなくてよかった、と。

 許されることではないのに。ルクスは決まりを破っている。

 でも――でも。だって今、ルクスは生きている。話している。ファナゼットに縋っている。

 ルクスの心は粉々に砕かれようとしていた。なぜならば、ミリの存在は彼女のすべてであったから。それを永久に失って、ルクスは壊れてしまうはずだった。

 それならば、どうして今、ルクスは無事なのか――錯乱してはいるものの、心が壊れる、というところまで行き着いてしまってはいないのか。その理由が、ファナゼットにははっきり分かった。分かってしまった。

 自分がいるからだ。

 ルクスの世界はそのほとんどが姉たるミリで占められていたけれど、少しだけ、それでも確かに、親友たるファナゼットの収まる場所があったのだ。その分だけ、ルクスの心はこの世界に繋ぎ留められていた。

 ファナゼットが、繋ぎ留めてしまったのだ。

 ルクスの背に片腕を回す。がたがたと震え続けるその体は、今にも壊れてしまうんじゃないかというくらいに薄かった。とても、ファナゼットとたった一歳差とは思えない。

 ああ、いっつも機械いじりばかりで食事をおろそかにするから、この子は。

「――おい、大丈夫か!?」

 開きっぱなしだった玄関から、数人の人たちが押し寄せてきた。振り向く。リーダー、つまりは自身の父親の姿もあった。

「ファナゼット。ミリさんはどうした」

 静かな声。

「……レイヴンに、攫われてった」

「そうか。……そう、か」

 父親からの言葉はそれだけで終わった。

 しかし。

「じゃあ、どうしてルクスが無事なの?」

 別の誰かが、そんなことを言った。

 びくり、と、腕の中のルクスが震える。

「ルクス、ミリさんの妹なんでしょ? お姉さんが攫われてったのに、どうして追わなかったの? 家族がレイヴンに連れてかれたんなら戦ってでも連れ戻すべきだって、みんな言ってるのに。ですよね、リーダー」

「……私はそんな決まりを作ってはおらんよ」

「でも、決まりみたいなものでしょう。やっぱりそういうコトのできないよそ者だから、レイヴンを招き寄せちゃったんじゃ――」

「そんな決まりは、ない」

 父親が硬い声で否定しても、しかし、確かにそういう不文律がパライソにあることは事実だった。他の数名がルクスに向ける視線も、徐々に刺々しいものへと変わっていく。

「あの悪魔に、一矢報いてやったらよかったのに」

 そう毒づく彼は確か、歳の近い友人を亡くしていたはずだった。親を攫おうとするレイヴンに立ち向かって、それで。

「レイヴンに舐められちゃったかもしれない。また来るかも」

 そう非難する彼女は確か、レイヴンが攻撃するその流れ弾を喰らって足を悪くしていた。

 そういういろいろを、ファナゼットは次期リーダーとして把握していた。同情もしていた。


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