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『ファナゼットと、遠い日々』

 ルクスの言葉に首を傾げる。

「キョク? 何、それ」

「ええと……こういうふうにたくさんの音が並んでいるもの、です。歌の、言葉がないもの、みたいな。音楽なら、分かりますか?」

「ああ。確かにこれ、歌で聞いたことある」

 なるほどね、と頷いて。記憶のはるか底にある、その音を思い出す。

「この曲、お母様が歌っていたやつだ」

 ファナゼットは、母親のことをよく覚えていない。幼いころに死んでしまったからだ。微かに残る記憶のなかでは病弱な人だったが、自分を産むまではそうでもなかったらしい、というのは漠然と知っていた。少なくとも、この集落の外で旧文明の機械を拾ってこれるくらいには。

 どういう人だったか、自分が母親のことを好きだったか、そういうこともあまり分からないけれど、ただ、この音楽は耳の奥に残っていた。この機械は、もともと母親のものだったのだ。

 機械から、曲が流れる。音のひとつひとつが、ファナゼットの深い部分に響く。

 そこに、ざざ、と砂嵐のような掠れた音が混じった。

「あ……」

 ルクスがしゅんとした声を洩らした。だけでなく、首もしゅんと俯けて。

「わ、わたし多分、線にかかる圧を上手く一定にできなくて……。その揺らぎで、ノイズが混じっちゃってます……ご、ごめんなさい!」

 曲は響き続けている。そこにいくらかの砂粒が混じる。

「なに謝ってんの?」

 ファナゼットの問いに、ルクスは「え」と顔を上げた。

「で、でも、直すの失敗しちゃって……」

「失敗? どこが? ちゃんと動いてるじゃないの」

「でもノイズが……あのあの、後でお姉ちゃんに頼めばちゃんときれいに直ると思う、です」

「ちゃんとって、この砂嵐みたいのがサッパリなくなるってこと?」

 こくんとルクスが頷いたのを見て、ファナゼットは大きくため息を吐いた。

「あれね。ルクスは……そう、センスがないわね」

「センス、です……?」

「そ。だってこれ、ちゃんと聞こえるよりも掠れてるほうが絶対素敵じゃないの。うん、間違いないわ」

 砂嵐のようなそのノイズが、すっかり掠れてしまった母親との思い出に寄り添っているような気がした。だから心底、ファナゼットはこの完璧ではない音を気に入ったのだった。

「……あの、ふあ、ふぁなぜ、っと、さん」

 つっかえつっかえ、ルクスが話しかけてくる。

「まだるっこしいわね。もう『ファナ』でいいわよ、トクベツに」

 きょとん、とした顔でルクスが口を開き直した。

「ファナ、さん」

「さんもいらない」

「えっと……ファナ?」

「よく言えました」

 褒めてあげると、むうっとルクスは頬を膨らませる。

「このくらい、誰でも言える、です」

「そう? アンタ話すの下手そうだから」

「むうう……」

 不服そうに唸っていたルクスだったが、「それより」と会話を切り替えて。

「ファナ、今度わたし達の拠点に来ないですか? あの、いろんな曲の流せる機械、この前拾いました、です」

「へえ。それは面白そう……だけど」

 行ってみたい、と言いかけた口を噤んで、ファナゼットはかぶりを振った。

「ダメ。決まりで、集落の外に出ていいのは大人だけってコトになってるの。だから無理」

「そ……それならしょうがない、ですね……」

 そのタイミングで、玄関の扉が開いた。

「――だから記録媒体の作動を妨害する特殊な電波を発生させていて、それでレイヴンが――」

「――だったらメンテナンスできる人が常駐しているほうがこちらとしても――」

 よそから来た女性――ルクスの姉たるミリと、ファナゼットの父親だった。

 小難しい言葉を並べ立てていた二人は、並んで座るファナゼットとルクスを見やって会話を中断させる。

「ああ、いたいた。ルクス、そろそろ帰ろう」

「お姉ちゃん!」

 ぱっと表情を明るくしたルクスが、とてとて女性――ミリの元に駆け寄る。

 その様子が、なぜだか面白くない。

「こんな時間にかね。今晩くらいは泊っていったらいいじゃあないか」

「いやあ、どの道帰路も数日がかりだしね。それに、あまり遅くなると周遊変異生物モンスターの時期になりかねない」

「そうか、いいならいいが。ああファナゼット、お客様の見送りに行ってくるからそのまま家で待ってなさい」

 それを聞き、ファナゼットはルクスを追いかけるように立ち上がった。

「……あたしも、見送り、行きたい」

「駄目だよ。子供は夜に出歩いてはいけない決まりだ」

 それを言われると言い返せない。

 諦めて座り直したところで、ミリの陰に隠れるようにしていたルクスがぴょこんと頭だけを出して、こちらに顔を向けてきた。

「あの。ばいばい、ファナ」

「……ん。機械、直してくれてありがと、ルクス」

 ほう、と視界の端で父親が意外そうな顔をするのが見えた。が、無視した。

「お姉ちゃん。ここ、また来れる……?」

 恐る恐る、といった調子でルクスがミリへと問う。ミリは「ふむ」と腕を組んだ。

「悩んでいたがね。ルクスにお友達ができたのなら、うん、近々越してくるというのもよさそうだ」

「本当……!」

「本当だとも。ありがとうね、ファナゼット君。ルクスと仲良くしてくれて」

「……別に」

 自分へと向いたその言葉に、ファナゼットはついと顔を逸らす。

 だって、何があろうとも、いま自分が浮かべているこの表情をルクスに見せるわけにはいかないのだから。

「ん、どうしたファナゼット、ニヤニヤして」

「うるさい! お父様はお見送りいくんでしょ!」

 きっと言い返すと、ミリがおかしそうに笑った。

「あは、リーダーさん。今のは無粋だったねえ」

「そうか……? まあ、それじゃあ行くとしようか」

 扉の音を境にして、しん、と部屋が静まり返る。

 外はすっかり暗くなっていて、そろそろ白光――この家にいる謎のペットだ――に餌をあげないとな、とファナゼットは立ち上がる。

「……『ちかぢか』がいつくらいなのか、訊き忘れちゃったわね」

 小さく呟くファナゼットの足取りがいつもより弾んでいることを、この場に他の誰かがいたら指摘していただろうか。

 とにかく、早いところもう少しマシな飲み物を準備しておこう。そういう予定を頭の中で立てながら、ファナゼットは小さく鼻歌を歌っていた。


 †


 † †


 地面が揺れて、轟音が響いた。

 だからファナゼットは最初、地震か何かだと思ったのだ。それにしては不思議な揺れ方だな、とは感じたけれど。


「――ミリさんの家にレイヴンが!」


 そう、誰かが叫ぶのを聞いた。


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