集落によそからの人が来るだなんて、初めてのことだった。
いや、他の集落や都市遺跡などを巡るキャラバンが訪れるのは、ファナゼットだって見たことがある。彼らに交換してもらった旧文明製の機械だって持っているのだ。けれどそれは『よそからの人』というよりも『キャラバンの人たち』なのであって、突然の来訪者とは少し違う。
そして、この集落に――ファナゼットの愛するパライソに辿り着いたのは、そのよそから来た人にとっても想定外だったらしい。
「ふむ。まさか地図データにもない旧文明遺跡があるなんてね。それも、こんなに状態の良い」
彼女はすらっとした女の人で、雑にまとめた明るい茶色の髪と、光の加減で色味の変わる不思議な瞳が印象的だった。くたびれて薄汚れた旅装をしているというのに、やけに恰好が付いている。足がすらっと長いからかもしれない。
幼いファナゼットはその顔を見上げるのに夢中になっていて、だから、その女のひとの足元にいるもう一人に気が付くまでには少し時間がかかった。
ただ、ちらちらと足の間に金色が見えた気がしたのだ。
「……お、お姉ちゃん。ひと、ひとが、いっぱい」
その金色が言葉を話してようやく、ファナセットは来訪者が一人ではなく二人組であるということに気が付いた。
ファナゼットよりも小さな、女の子だった。
金の髪、金の瞳。怯えたような表情。
「食料には確かに余剰があるが、しかし見ず知らずの相手にタダで渡せるほどではないぞ。見返りはあるんだろうな?」
「機械修理なら。見たところ稼働している旧文明遺産も多そうだ、役に立てるんじゃあないかな」
上で大人たちが――つまりはパライソのリーダーであるファナゼットの父親と、いきなりパライソを訪れたよその女性が面倒そうな話をしているのは聞こえていたが、それはもうファナゼットの耳を素通りするばかりで頭に入っていなかった。
目の前の少女をじいっと見つめる。
それに気が付いた少女が、いかにも居心地悪そうに身を引いた。
かと思えば、ついと女性のことを見上げて。
「お姉ちゃん。小さい、ひとが」
「ルクスだって小さいだろう。同い年くらいかな? うん」
ぽんぽん、女性は少女の肩を叩く。
「私は今からプラントの点検に行ってくる。その間、ルクスはこの子に――ええと、」
「ファナゼット。自分の娘だ、今年で七つになる」
どこかへ向かいかけていた父親が、顔だけ振り向き補足する。
「そうか。ファナゼット君、すまないがうちのルクスと遊んでやってくれないかな。多分、三時間もあれば終わると思うがね」
それだけ言うと、女性はファナゼットの了承も待たず、どころか一方的に名前を把握するだけして名乗りもせずに父親の後を追って行ってしまった。
周りに集まってきていた何人かの住人も、目立つ女性が行ってしまって興味を失ったらしい。すぐに散ってそれぞれの日課に戻っていった。
そうして残されたのは、幼いファナゼットと少女の二人だけ。
こほん。ファナゼットは気取った咳ばらいをひとつ。
「ええと、あたしはファナゼット・パライソ。この集落、パライソのリーダー! ……の、娘よ。それで――そう、そっちの名前は?」
リーダーの娘として、挨拶はしっかりやらねばならない。いきなり押し付けられた正体不明の相手であっても、その前提は崩れなかった。
唐突に隠れるための遮蔽――つまりあの女性のことだ――を失った少女は、怯えたようにびくりと体を震わせたかと思うと、潤んだ蜂蜜色の瞳をこちらへと向けてくる。
やけにのろのろした動作だが、とにかくファナゼットは待った。きちんと名乗ってみせたのだから、相手からも挨拶が返ってくるはず。それがルールなのだと、前に父親から教わった。
しかし。
「……ぅあ、の……っ、ぅぅ……」
しっかり名乗らねばならないはずである当の少女のほうは、何度か喉を詰まらせたような音を洩らすばかりでちっとも話そうとしない。
それでもファナゼットは待ったけれど、なぜたか少女はしゅんと顔を俯けて、ますます瞳を潤ませる。そろそろ零れてきそうだった。
なんという無礼! 名乗り返さぬだけではなく、いきなり泣き出そうとするだなんて!
ルールもマナーも守れていないその少女の態度を見て、ファナゼットはすっかり苛立ってきてしまった。だって、決まりは守らないといけないのだ。
「……なによ、アンタ」
つい、硬い声が出る。
「うじうじしちゃって、こっちはちゃんと名前を教えたのよ! だったらアンタも名前を言わなきゃいけないの、そういう決まりなの!」
「そ、そんなこと言われてもぉ……」
すっかり縮こまりながら、少女はやっとのことで弱々しく話し始めた。しかし、名乗りではないようだ。
「わ、わたし、お姉ちゃんのいないとこで誰かと話したこと、ない、です……決まりとか、ずっと二人だったから、全然分かんない、です……」
「はあ? 知らないも何も、名乗れっていったわよね、あたし。ほら、名前は!」
「っ、ぅう……る、ルクス、です……」
「へえ、ルクス、ルクスね。覚えておいてあげるわ。そうだ、アンタはちゃんとさんを付けて呼びなさいよね。あたしはえらいんだから!」
「……えら、い?」
「そう。リーダーの娘だし……それに、そう、じゅん……じゅんい、じゃなくて……ええと、とにかく見回ったり、びゃっこーの世話だってしてるんだから。とにかくえらいの! すごいの!」
「わ、分かりました、です……」
こくこく、ルクスが頷く。
案外物分かりはいいようだ、とファナゼットは満足げに口角を上げた。
そして。
それから。
「…………」
「…………」
会話が、完全に途切れた。
「…………」
「……あー、もう!」
沈黙に耐えかねたのはファナゼットのほう。
「とにかく、こんなトコで立ちっぱなし……たち、立ちパナシ? はダメなんだから、ウチ行くわよ、あたしのウチ!」
「ひゃ、ひゃわわわ!?」
腕を掴んでぐいぐい引っ張ると、ルクスの体がぴたりと硬直した。構わず自宅――つまりはパライソリーダーの家はあるほうへと無理やり引っ張り続ける。
そこはこの集落でも一番大きな建物で、きっと旧文明時代は王さまかお姫さまかソーリだいじん――それが何かは分からないが――みたいに偉いひとが住んでいた建物に間違いがないのだった。それに、他の建物よりも断熱がしっかりしている。
「……管制室と、サーバールーム?」
ぽそり、何かをルクスが呟いた気がしたが特に気にせず。
ぺかぺかと光る柱の間を縫って据えられたソファにルクスを座らせ、お茶を沸かす――のは加熱機器の使用が禁止されているので諦めて、抽出機からぬるくて甘ったるい謎の飲み物を二杯つぐ。
コップを片方ルクスの前に置くと、どうやら喉が渇いていたらしい。すぐにひと口のんで、はっきり顔を顰めた。
言わんとするところを察し、ファナゼットは笑う。
「前は冷えたのが出てきたからそこそこだったけど、ぬるいとあんまりよね」
それでも慣れた味なので、ファナゼットのほうはごくごくと飲み干す。
ブロックフードを生産する余りの穀類から抽出したものなのだが、どういう理由か微かに腐りかけのような酸味があるのだ。けれども本当に腐っているわけではないので、慣れればそれなりにいける。
とにかく、よその人――もといお客さんを家に招き、飲み物もごちそうした。完璧である。あとやるべきは、そう、お話だ。キャラバンの人が来たときはキンキョー報告をするのだ、と父親が言っていた気がする。キンキョーがなんなのか、というところまでは訊きそびれていたけれど、とにかく会話である。
「アンタ、集落の外に住んでるのよね? つよい
「……えと。わたしと話しても、何もない、です。訊きたいことなら、後でミリお姉ちゃんに話したほうがいいと思う、です」
しかし、せっかく話を振ってあげたというのに、ルクスの側からはそんな行き止まりの回答だけが戻ってくる。これでは会話にならない。ファナゼットが一方的に話しているだけだ。
「何もない、ってことはないでしょ。変異生物と戦ったこと、ないわけ? レイヴンは?」
「……変異生物には、遭わないように、お姉ちゃんが避けれる道を考えてくれる、です。レイヴンもおんなじで……お宝、旧文明のものも、お姉ちゃんのほうが見つけるの、上手です」
困りきった顔。
「わたしは何もない、です。だからふぁ、ふぁな、ふぁなぜっとさんも、お姉ちゃんと話したほうが……」