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7ー4【どうか、】

 前に訪れたときとは異なり、そこは煌々と照明の輝くいかにも旧文明的な内装となっていた。

 照明がついているだけでなく、わざわざあちこちにマップ付きのホロウインドウまで点在しているときた。

 おかげでまったく迷うことなく、エレンは一応取り出しておいた懐中電灯をごそごそ鞄にしまい直す。

 通路を抜けて長い階段を上って、例の大広間――軌道エレベーター本体には、すぐに辿り着いた。

 そこにもアデルの姿はない。そうだろうな、と思った。前にバベルの照明がついていたのは、アデルが操作パネルにエネルギーを供給しているときだけだった。つまり、彼女はそこにいる。

 広間の斜め後方にある、直角の壁で区切られた小部屋。震える手で、エレンはその扉を開けた。

 果たして、そこに彼女はいた。

 エレンが訪れるのを待ち構えていたように、こちらを向いて真っ直ぐに立っていた。

 背には、右にだけ機械翼が広がっている。どうしてか、左のほうは根元から折れてしまっていた。

 そして、もうひとつ言及するべき点として――彼女の肌の上を、赤いエーテルの光が駆け抜けている。

 しかし、弱い。

 揺らめくそれは夜明け前の星のように頼りなく、時折明滅してすらいる。だから、万全の状態になった、というわけでもないのだろう。

「……アデル」

 名前を呼ぶ。赤い隻眼は硬く、ほんの僅かも動かない。

「否定。その呼称は協力関係下に限定して設定されたものであり、それが解消された以上、当機は【α-delta】である」

 最初のように角ばった話し方をしていて、ああ、そういえばいつの間にか随分と丸い口調になったものだったなあと場にそぐわない感慨がこみ上げる。

 特に、ルクスとファナゼットと一緒に行動するようになってから顕著だ。同年代——少なくとも見た目としては——かつ同姓の彼女らはよって、なんらかの変化がもたらされたに違いなかった。

 そう、ルクスから教えられた、あの話。

「なあ、アデル。ころっけ、本当にごめんな。食べた。美味かったよ」

「……退去を要請。説明、当機はこれより【Bifrost】の起動準備をする」

「そのことだけど……やっぱり一緒に行かないか? 今更虫が良すぎるかもしれないけど、やっぱり俺は――」

「コマンド:【加速ブースト】」

 颶風が駆けた。

 爆音に近しい音を立て、エレン――の背後にあった小部屋の壁が、粉微塵に弾け飛ぶ。

 どころか側面まで崩れていて、しかもそこは外壁だったらしい。数メートルの大きさでぽっかり開いた穴からは、外の景色が覗いていた。高い。数十メートルはあるだろうか。

 軌道エレベーターの壁なんて頑丈にされているに違いないのに、相も変わらずとんでもない威力だな、と心臓が縮む感覚。余波を受け、【β】に浅く裂かれた頬がひりひりと痛んでいた。

「警告。次は当てる。再警告。退去を要請」

 片方の拳を見せつけるように握りしめ、アデルは冷徹に言い放つ。

「説明……ほどなくして【Bifrost】は運行が可能になる。当機はあなたと協力関係にあったが、もうあなたに価値はない。今までのやり取りは……損得を計算した結果、あなたの機嫌を取るのが良いと判断した、だけ。利用する要素がなくなった以上、もうあなたの生死に対しての関心もない――再度、警告。これ以上邪魔をするなら、次は当てる」

 笑いがこみ上げてくる。

「はは……なんだ、なんだよ」

「……推測。突発的な生命の危機に対し、思考へ異常が生じている?」

「違えよ。いや、やっぱりアデルは優しいな、なんて」

「戯言を」

 再び拳が構えられる。しかし、それを撃たせるわけにはいかなかった。

 アデルの足元にはゼリーのパックやらブロックフードの空き箱やら転がっていて、つまり、栄養補給は済ませているらしい。しかし彼女は今まで、万全の調子であっても【加速ブースト】二回でガス欠になっている。

 丁度いいな、とエレンは横にぽっかり穿たれた穴を見て。

「じゃ、ひとつだけ聞かせてくれ」

「……何」

 息を吸う。吐く。

 じりじり、横に移動していく。そのまま操作パネルに回り込まれるとおもったのか、アデルが警戒するように目つきを鋭くした。

「アデルは本当に、俺の命なんてどうでもいいんだな」

「肯定。そう言っている」

「うん。それじゃあさ――」

 とん、と。

 最後の一歩を、エレンは跳んだ。

 外壁に穿たれた穴から、地上まで遥か数十メートルの虚空へと。

 胃がひっくり返るような浮遊感。


 ――もしも。

 もしもすべてが勘違いで、アデルが本当にこちらを利用していただけだったのならば。

 エレンは、このまま死ぬだろう。ワイヤーガンを引っかけたり、なんて小細工はしていない。

 けれど、絶対にそうはならない。そう、エレンは確信していた。だからこれは命を賭けてすらいなくて。

 そして――事実、そうなった。

 全身に温かい感触。いつかのようなお姫様抱っこではなく、もっと必死にしがみつかれるようにして、エレンはアデルに抱き留められていた。

「――馬鹿!」

 叫びと共に、アデルが着地姿勢を整えようとする。たとえ数十メートルの高さから人間ひとりを抱えながらであろうとも、彼女の身体能力と強度であれば着地できる。そういう話を、エレンは前に聞いていたのであった。

 頬が緩む感覚。ああ、やっぱりアデルは来てくれた。そのことがやけに嬉しい。

 しかし――命の危機によってスローモーションになっていく知覚の中で、エレンはひとつ、己の誤算を悟る。

 どうやって高所から着地をするか、というのはつまり、いかに衝撃を受け流すかという意味である。

 災竜との戦闘の際、アデルは高所から落下しても問題なかった。足での着地ならば衝撃を受け流す能力があるという。

 だというのに――今、アデルは頭から落ちている。

 そうだ。そういえば最近、アデルは右足を庇っていたような気がする。災竜の一件による感情の動きによって左目が溶けて――パライソでもたくさんの出来事があって――そうだ。【β】も言っていたではないか。アデルは自己同一性を、己のかたちを失っていると。それなのに、どうして万全のままでいるとばかり思ってしまったのか。

「クソッ!」

 叫びと共にエレンはワイヤーガンを抜き、素早く上方へと――バベルに空いた穴へと引き金を絞る。しかし落下したままでは狙いが定まらず、なんとか縁にアンカーが引っかかった……と思いきや、すぐにガリガリと嫌な音を立てながら外れてしまった。

 多少の減速はした。しかし、間に合わない。

 終わる。

 終わってしまう――考え足らずに、アデルまでも巻き込んで――。

「――エレン、を、終わらせるわけ、にはッ!!」

 アデルが吼えた。

 その瞬間だった。

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