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7-2【ルクス】

 エレンは暗闇で目を覚ました。

「――っつう……!?」

 同時にがんがんと頭が痛みだし、低い呻き声を洩らす。

「な、なんだここ。まだ夢の中か……?」

 そう呟いてから、はて何のことだったかと首を傾げる。何か長い長い夢を見ていた気はするのだけれど、中身がまったく思い出せない。ただ、妙に気分がすっきりとしていた。

「いや、今それはどうでもいいな。それより――部屋、か? 出口は……」

 ぺたぺたとあたりをまさぐって、ここがどうやらエレンの身長程度の幅しかないくらいに狭い空間らしいというところまで認識する。引き戸のような溝もあったけれど、引っ張ろうが押してみようがびくりとも動いてくれそうにない。

 そうやっている内に、どうしてここにいるのかを思い出してきた。

 レイヴンの母船が接近しているのを見て、エレンはパライソへと戻って来たのだ。

 ところがアンの家まで辿り着くよりも先にパライソ住民に取り囲まれたかと思うと、「白レイヴンの仲間だ」とか「母船が来てるのもコイツのせいだ」とか「尋問しろ」とか「拷問しろ」とか他にもたっぷりと身の竦むようなことを言われた。

 これはマズいと逃げ出そうとしたところ、一番怒りに満ち満ちたファナゼットがいつだったかのように膝蹴りをかましてきて、その体勢があんまりにも危なっかしいものだから転ばないよう受け止めたところで他の誰かに後頭部をブン殴られて……そこからの記憶がない。気絶していたのだろう、状況的に。

「あんにゃろう……」

 ファナゼットへの恨み節がこみ上げてくるが、あれがなくても逃げきれていたかは分からないし、むしろもっと過激な――銃とかナイフとかの手段でやられていた可能性もある以上、ひとまず命が無事だったのはある意味彼女のおかげであるのかもしれなかった。頭は痛むが。

 人々の言っていた白レイヴン――間違いなくアデルのことだ。どういう理由かは分からないが、正体がバレてしまったらしい。それで、その仲間であるエレンもブン殴られたということだろう。

 つまり、ここは牢のようなものか。

「クソ、どっかに抜け道は――せめて明かりくらい置いといてくれたって……お? おお?」

 扉らしきものをこじ開けようと力を込めて押していたところ、急に手ごたえがなくなってすうっと左右に開いていった。途端に外から光が降り注いできたものだから、エレンはぐうっと目を細める。

 そんな単純に開けられるものだったのか――なんて考えていたところで、ひとつの人影に気が付いた。

 身構える。

「あ、起きてらっしゃいますね。よかった」

 背に月明かりをまとう、金色の少女。ルクスだった。

 しかし、エレンを牢に叩き込んだパライソ住民のうちのひとりであるはずの彼女は、そう言ってにっこり微笑んで見せる。

「さ、行ってください。みんなレイヴンを撃退する準備で大忙しですから、気が付いたりしないはずです」

「待ってくれ。まさかこの扉、ルクスが開けたのか?」

 星と月の灯りで照らしあげられたその場所は、どう見ても旧文明の遺産だろう機械と計器で構成された仕組みの分からぬ部屋だった。鍵穴の代わりに操作盤がひとつあるばかり、力づくでこじ開けられそうな構造にも見えない。

「はい! いやあ、思ったより単純なロックだったので、あんまり面白くなかったのだけ残念ですね」

 なにやら小型の端末をぺかぺかと光らせながら、ルクスはにっこりと上機嫌そうだ。

「早くしないと、わたしがいないのにファナが気づいちゃうかもですから。アデルさんは南に行きました。バイクも持って行っちゃいましたし、追うなら急がないとです」

「……どうして、その、ルクスが俺の味方を……? 他の誰かにバレたら、ただじゃ済まないんじゃないか」

「んー。まあちょーっと怖いですけど、殺されたりはしないと思いますし。ファナもいますし」

「……俺とアデルがレイヴンを呼んだって、思わないのか?」

「まさか!」

 何を言っているんだ、といわんばかりの大声。

「さっきレイヴンに襲われたとき、お姉さん、ファナのことを守ってくれましたよ。自分で呼んだなら、わざわざそんなことしないですよ」

「マッチポンプかもしれないぜ。どうして信じられる」

「そりゃあ……だって、アデルさんとわたし、お友達ですもん。お友達のこと、信じるのは当たり前じゃないですか」

 いかにも当然のような口ぶりで、ルクスはそう言い切った。

「ほら、早く行ってください」

「俺には、アデルを追う資格なんて……」

「ダメです。お兄さんは行かないと。勇気を持たないと」

 はっきりと。

「わたしは臆病なんです。ミリお姉ちゃんがレイヴンに連れて行かれるときも、立ち向かうことができなくて」

 口ごもるルクス。

「……この集落、家族がレイヴンに攫われるときには死んででも立ち向かえ! っていう不文律みたいなのがあって。まあ……実際、立ち向かったら死んじゃうわけなんですけど……。それを守れなかったのは、外から来たわたしだけですから。家族を攫われちゃったって人を見るの、お兄さんが初めてだったんですよ。だから、お兄さんもわたしとおんなじなのかなって、ちょっと親近感あったんですけど」

 でも、とルクスは真っ直ぐにエレンを見据えた。

「違ったんですね。お兄さんは妹さんを追いかけていた」

「……そのつもりになってただけだ」

 【β】の言葉を思い返す。

「俺はさ、空っぽなんだよ。ただ何かをしてるフリを気取ってるだけで、中身は何にも入ってないんだ。何も自分で選べず、ただ他の言いなりになってるだけで……そのせいで、アデルのことも傷付けた」

「え?」

 こてん、とルクスが首を傾げる。

「アデルさんと一緒にいることを選んだの、お兄さんなんですよね?」

 それに、と続けて。

「わたしが扉を開ける前、お兄さん、なんとかしてそこから出ようとしてましたよね。行こうとしてたんじゃ、ないんですか?」

「――それは……」

 エレンが口ごもると、「ほら」とルクスが微笑む。

「お兄さんは勇敢なんですよ。だから、行かないといけないんです」

 そうだ。

 エレンは――エレンはずっと、約束に縛られていた。アンを迎えに行くという約束、それからアデルを天に連れて行くという約束、そのふたつに。

 独りよがりなひとつ目のそれは、エレンがエレンとしてのかたちを維持するためのものだった。

 けれど、ふたつ目は。

 あの暗闇のなかでアデルへと送ったその言葉は、エレンにとってなくてはならない、というわけではなかった。それがなくても、協力関係を結んだ時点でエレンはここまで辿り着けていたはずだ。

 けれど、エレンは選んだ。アデルと共に行くことを。それを確立する方法を、約束という形しか知らなかっただけで。

 だから多分、あれは、誓いだった。エレンが自分自身で選んだ、本当の言葉だった。

 ならば、行かねばならない。

 エレンは、よろりと踏み出した。

「あ――ひとつ、忘れてました」

 その横を通り過ぎる直前、ルクスが何かを差し出してくる。

 ぐちゃりとしてしまったそれを、しかし見間違えるはずもない。アデルがエレンへと作ってくれた、あのカリカリした料理である。

「アデルさんのコロッケです。きっと、これから大変でしょうし、栄養補給しておかないと!」

「……ころっけ、なのか? これ」

「あれ? 聞いてませんでした? アデルさんが、どうしてもコロッケが作りたいって言ったんですよ」

 それは、アデルへと初めて振舞った料理の名前で。

「……はは」

 エレンは笑った。

 自分はなんて愚かだったのだろうか、と。

 コロッケをつまみ上げ、一息に口へと放り込む。冷めてしまったそれからははっきりとエナジー・バーの苦みが襲い掛かってきたものの、すぐに潰した芋と塩、肉、他にも混ぜ込まれている何かが持つ旨味が追いついて来て、飲み込むころにはすっかり調和した味わいだけが舌の上に残されていた。

 美味かった。

 比較的、だとか、一部分に目をつぶれば、とか、そういう付け足しは必要なく。しみじみと、その料理は美味しかった。じわり、と熱いものがこみ上げる感覚。

「……出来立てはもっと美味かっただろうな、これ」

「そうかもですね。また作ってもらわないと」

「そうだな。……これ、ルクスとファナゼットも手伝ってくれたんだっけか?」

「ほんのちょっぴりですよ。……あ、そうだ。ひとつ、アデルさんに伝言をお願いできますか?」

 まだアデルが追いつける場所にいるのか、いたとして言葉を交わせるのか、それすらさだかでなかったけれど、エレンはこくっと頷いた。

 ルクスが微笑む。

「機械の電源、付けっぱなしだと電気がもったいないですよって。わたしがそう言ってたって、伝えてください」

「……えっと、どういう意味だ?」

 雰囲気に反してそう重要でもなさそうなその内容に、エレンは怪訝な表情を浮かべる。

 しかし、ルクスは真剣そのものの声色で。

「このまま言ったら伝わりますから。大事なことです」

 わかった、とエレンはまた頷いた。

 ルクスはほっと安心したように体の力を抜いてから、「そうだ」となにやら後ろ手に持っていたものを差し出してくる。

「これ、エレンさんの荷物です」

 ずいっと押し付けられた鞄には、銃やら予備バッテリーやら白バケツやら懐中電灯やらナイフやら、すべてぎっしり詰まっている。

 それを見ると、この段になってまでエレンは不安な感触を覚えた。ルクスのことだ。

「その……俺が抜け出したら、ルクスが疑われるんじゃないのか。ファナゼット、めちゃくちゃ怒ってたぜ」

「……その、エレンさん。ファナのこと、悪く思わないでくださいね」

 ずっと笑みをたたえていたはずのルクスが、急に声をしぼませる。

「あの子は勇敢なんです。集落の決まりを守れなかったわたしを、それでもここにいられるようにしてくれて……あの子はずっと、わたしを守ろうとしてくれてるんです。わたしもそれに見合うくらい勇敢になりたい、から」

 ぽん、と。ルクスが、エレンの背中を押した。

「行ってください。わたしは大丈夫ですから」

 これ以上の言葉はいらない、とエレンは理解した。

 だから、ただ一言だけ。

「行ってくる」

「はい。行ってらっしゃい」

 振り向かず、エレンは歩きだす。このすべてを解決する力を持っているはずの、彼女の元へと。


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