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6-6【終着点】

 震える手で放たれたそれは、狙いを大きく外したらしかった。しかし、完全な大外れというわけでもなかった。

 弾が命中したの先は、ほとんど壊れていた左翼だった。ぼろぼろのそれに最後の一撃が加わって、とうとうめきゃり、と根元から折れてしまう。滾るエーテルを肩口に注ぎ込まれたかのような激痛に、視界が赤く明滅する。

「ぐ……ッ」

「ファナ、アデルさんッ!」

 ルクスが駆けてくる気配。マズい、と思った。このままルクスが自分を庇えば、次にファナゼットの銃口が向かう先は彼女であるかもしれないと。

 わざと落としていた痛覚抑制用のシステムを再起動し、仮想神経を組み替える。瞬間、すっと痛みが遠のいて、体が自由に動くようになった。

 その瞬間だった。

 高らかな電子音が鳴り響くのを聞いた。それはあくまでアデルの中にだけ浮かぶ通知の反応で、正確には音でもなかったのだけれど、おおよその感覚として。

 【Bifrost】の解析が完了した、という通知だった。

 どうして軌道エレベーターが起動しないのか? 遠い昔のような一週間前の疑問に対する答えはあんまりにも単純なもので、瞬間アデルは啓示のように己のやるべきことを悟る。

 ああ、よかった。

 これで、最期に意味ができる。

 右翼を出したまま、一歩、アデルはファナゼットへと近づいた。

「――っ」

 ファナゼットが半身を引く。銃を持つ手にぐっと力が籠るのが分かる。

 ……そこで、彼女が片腕を激しく負傷していることに気が付いた。どうやら、アデルは弾を一発受け止め損ねたらしい。

 幸い掠めただけらしく深くはないが、それなりに出血している。早めに対処をした方がいいだろう、と分析結果が囁いてきた。

「コマンド:【光線レイ】」

「ひッ……」

 アデルが放ったそれは、低出力の医療用レーザーである。調整上の都合で人間に対してしか効果がないが、止血と殺菌を同時に行える便利な機能だ。

 しかし――なぜか、ファナゼットの血は止まらない。

 いや、なぜかも何もない。アデルは現状、今までにないほどに多数のエラーを発生させている。機能が上手く作動しなくても不思議はない。

 ここまで己の故障が進行しているとは、と思いつつ、これ以上ファナゼットを怯えさせるのも嫌だった。

 その横をすっと通り過ぎて、アデルはルクスの住む建物の脇、そこに停めてある円盤――フロートバイクを起動した。すぐに駆動音を響かせ始めたそれにひらりと飛び乗ると、迷いなくアクセルを全開にする。

 加速は一瞬だった。

 バイクはアデルを乗せ、瞬く間にアルカの中を駆け抜けていく。

 ルクスもファナゼットも、荷物も、床に撒かれたままだろうコロッケも、どこかにいるはずのエレンも、そのすべてを後方へと置き去りにして。

 片目ゆえに距離感が掴めないのは懸念事項だったが、作成しておいたパライソ内のマップと速度計を目安に曲がるべきタイミングを掴み、どうにかどこにも衝突せずに集落外まで出る。

 向かう先は遥か天までそびえる巨塔・バベル――正式名称を、軌道エレベーター【Bifrost】。

「――【α】?」

 想定外の声に、アデルはゆっくりとバイクを停止させる。

「……【β】。質問、当機に何か用があるのか」

「質問したいのはこちらです。あの流民はどうしたのですか? それにそのリィングラビティ、酷い破損だ。何があったというのです」

 リィングラビティで追いついてきた【β】が、ふわりとアデルの目の前に着地する。紫の目は険しく細められていて、どうやら何かが気に食わないらしい。

「近隣の流民集落――パライソの擁する資源価値に、天の方が気付いたようだ。もう間もなくレイヴンの母船が到着し、すべてを根こそぎ攫って行くでしょう。流民をあそこに置き去りにしてしまっては、せっかくの手柄が台無しですよ」

「質問。手柄、とはどういう意味か」

「すっとぼけないでください。あの流民の因子値の高さは知っているでしょう。アレをRaSSへと連れ帰れば、【α】。あなたは修理されるはずだ」

「修理――されて、どうなるのか、と質問」

 アデルが首を傾げると、【β】は一瞬怪訝な表情を浮かべ――そして、愕然としたように瞠目した。

「【α】。まさか――」

「あなたの特殊機能であれば、既知の情報であるだろうと推測。レイヴンは――当機は、流民を素体とした生物兵器。相違ない?」

 長い沈黙があった。しかし、【β】が誤魔化したり嘘を吐いたりしないであろうことを、アデルはなんとなく確信していた。

「…………ええ。その通りです」

 結局、【β】は頷いた。

「どうやってその真実に触れたかは知りませんが……しかし【α】、流民など天人には到底及ばぬ欠陥種です。それを利用して私たちのように優秀な兵器を作れるのであれば、気に病むような話でも――」

「――本当に、」

 アデルの声は平坦で、無機的で、淡々としていた。

 しかし、そこにはっきりと滲む感情を【β】は正確に読み取ったらしく、口をぴたりと閉じる。

「本当に、そう思う?」

「…………」

「流民は優しさがあり、弱さがあり、強さがあり、美しく、矛盾に満ちた――人間。人間は尊重されるべきもの。尊重されるべきものを、自分たちは著しく侵して……それだけではない。自分は、当機は、先遣用レイヴンを、同族を破壊した……殺した……命令に忠実な敬愛すべき同胞を……当機は、もはや兵器ですらなく、これは、こんなのは……もう……」

 人間は人間を素体にしたりなどしない。

 兵器は味方を裏切って殺したりなどしない。

 ならば、今のアデルを形容するための言葉などひとつきりしかありはしない。そうだ。その言葉を、アデルは知っていた。

「バケモノ、ではないのか……」

 ただ生き物が変質しただけの変異生物モンスターなど比較にもならない。正真正銘、遍くよりすべからく忌まれるべきものだ。

 【β】は返事をしなかった。ただ、泣き出す寸前のような表情でアデルのことを見つめていた。

「……【Bifrost】の解析が完了した。当機はこれよりシステムの起動に向かうゆえ、要請。そこをどいて」

「…………」

 黙ったまま、【β】は一歩横にズレた。アデルは再びバイクを発進させる。


 多分、【β】は気が付いたのだろう。アデルの魂に宿ったその想いに。

 それは、一切の命令も使命も介さずに、初めてアデル自身の心が浮かばせた確固たる願いで間違いがなかった。

 ――何もかもおしまいにしたい、と。

 苦しかった。あまりに苦しかった。

 このまま地上で流民と接しながら過ごすことは絶対にできない。できるはずがない。しかし他レイヴンを殺した以上、そのログが天人に見つかればアデルは反乱分子として処分されることだろう。というかそもそも、今のアデルには天へと帰る意味を持ち合わせていないのだった。

 だって、生きているのは苦しいだけだ。

 一年前、【β】から不用品である、と告げられたその瞬間に終わっておけばよかったのに。そうすれば悲しいのも痛いのも寂しいのも苦しいのも、全部知らずに済んだのに。


 そうして、アデルはバベルへと辿り着く。

 きっと、そこが終着点だった。


 †


 どうでもいい、と【β】は呟く。

 パライソは間もなく壊滅するだろう。流民がレイヴンに逆らうことなく無事だったとしても、あの人数が何もない荒野で生きていけるはずがない。

 アデルは間もなく死ぬだろう。あの瞳の奥にあった闇、その正体は誰よりもよく知っている。希望のすべてが砕かれたことを悟り、暗闇のなかで永久に彷徨い続ける以外になくなった、絶望の色。

 どうでもいいことだった。

 【β】はすべてを諦めていた。希望などまったく持ち合わせていない。ゆえに、絶望することもない。多数の流民が苦しむことも、姉たるアデルが死ぬことも、【β】の絶望にはなり得ない。

「どうでもいい……」

 呟く。

 【β】の魂は、きっと永久に薙いでいた。


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