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6-5【灰塵】

 一も二もなく、アデルはルクスの横を通り過ぎて部屋の外に出た。

 建物の下にいたのは、確かにレイヴンだった。【deltaシリーズ】ではなく、ただの一般レイヴンである。リィングラビティの出力――つまり空を飛ぶ能力に特化した種類で、唯一母船を途中離脱して単身着陸ができる先遣用の機体だ。

 頭上にはゆっくりと母船が近付いてきているのも見えた。恐らく、あれが着地をする前に周囲の偵察をするべく来たのであろう。

 アデルにとっても不可解なことがあった。先の通り、天にはまったくと言っていいほどに資源が足りていないのだ。だというのに、この集落には多くの物資が現存するのが見受けられる。ならば、どうして見逃されているのだろうか?

 もしも――もしも、見逃されていたのではなくて、ただ、天がこの集落の存在に気づいていないだけだったとしたら?

 推測が正しければ、ここは軌道エレベーターの保守点検用に作られた施設であり、元々正規の街でも外部の人間が訪れるような施設でもないのだ。それに比較的新しい。だからただ、天の保有する地上の地図にここが書かれていなかっただけなのかもしれない。

 地上には何機ものレイヴンが遣わされている。見つかるのは時間の問題だったはずだ。

「クソッ、バケモンが! 自分らの場所に土足で上がり込むんじゃねえッ!!」

 パライソの住民たる若い男性が、怒声と共にレイヴンへと襲い掛かる。知っている顔だ。毎日アデルとエレンのもとに食料を届けてくれていた彼である、どこから入手した物か、火力の高そうな機関銃型の光子銃を抱えていた。

 速い。それに、うまいこと不意を突けている。あれなら或いは、レイヴンに一撃を入れることも可能かもしれない、とアデルは冷静に計算した。

 しかし――彼は、引き金を引き絞るのを、一瞬だけ躊躇ってしまった。レイヴンの見た目は、ただエーテルの光と機械翼があるだけの少女だ。それを迷わず撃つ、ということが彼にはできなかったのだろう。

 ダメだ、と思った。

 レイヴンが片腕を薙ぐ。それはいつの間にか、赤いエーテルブレードに変わっていた。変幻武装メルト、自分の肉体を一時的に他のもの――大概が武器だ――に変質させる機能によるものである。

 彼女にも、レイヴンにも、理解はできていたはずだ。目の前の流民が己を傷つけるのを躊躇したことを。しかし、その瞳には一切の感慨がなかった。敵がいる。敵は処理する。あるのはそんな使命感だけで、それ以外が介在する余地はない。

 超高出力のその刃は、あっけなく男性の持つ銃を斬り裂いて、それからその奥にあるものまでもを両断した。

 ぱっ、と鮮血が舞う。

「アレイッ!」

 その悲鳴には聞き覚えがあった。

「ファナ、ダメッ!」

「アンタ、よくも、よくも……!」

 ファナゼットが声に溢れんばかりの怒りと憎しみを込め、レイヴンへと銃を向けていた。護身用にもならなそうな、小さい拳銃である。仮に命中したとしても、動きを鈍らせるのが精々だろう。しかも、それを握る腕はがくがくと震えていた。

 アデルはとっさに跳躍し、ちょうどファナゼットとレイヴンの中間に着地した

「……確認、確認。認証。【α―delta】? その流民は敵対個体。排除を要求」

 アデルが同族なのを看破した相手レイヴンが、一切抑揚のない言葉を放つ。

「拒否する。この場にいる流民に手を出さないで」

 そう要求しつつも、無理だろうなとは思った。アデルは【β】と違って他個体への指令権限を持ち合わせていない。相手のレイヴンははっきりと命令を請けているはずで、それは他の何よりも優先される。

 案の定、レイヴンは邪魔をしてくるアデルを敵だと認識したようだった。言葉もなく、ブレードをアデルへと向ける。かと思えば、それはいつの間にかガトリングガンに変形していた。

 まずい、とアデルは相手の適切な武装選択を見て歯噛みする。あれは連射性能が非常に高い。リィングラビティの使えぬ身ではファナゼットごと回避することは難しいが、喰らえばアデルはすっかりスクラップになる。

 単身であれば避けられもするだろう。しかし、アデルの中にそんな選択肢はなかった。

 盾がいる。何か頑丈で、壊れても問題がないような。周囲には瓦礫のひとつもないけれど、アデルにはひとつ心当たりがあった。

「何――あんた、なんで当然みたいな顔でレイヴンと話してるわけ!?」

 問いかけに応じるメモリの余剰もないまま、アデルの背中がかたかたと音を立てる。まるで時計の動くようなその音に、ファナゼットも気が付いたらしい。

 カタカタ。

 アデルの背中から、無骨で流麗な一対の機械翼が――レイヴンの証たるリィングラビティが、姿を現す。

 瞬間、相手レイヴンの銃が激しい唸り声をあげた。秒間十何発の速度で襲い掛かる弾丸の全てを、アデルは左の翼で受け止める。

 リィングラビティはナノマシン製であり、可能な限り頑丈になるよう素材も調整されている。それでも薄い上に内部に脆い反重力機構を仕込んであるそれは簡単にひしゃげ、砕け、悲鳴のような粉砕音をあげながらぼろぼろになっていく。

 レイヴンにとって、リィングラビティは手足と同じ体の一部だ。疑似神経回路を鮮烈に赤い痛覚が覆っていく感覚に、アデルは少しだけ歯を食いしばった。

 幸いなのは、相手の武器が光子銃であることだった。これなら跳弾の心配はなく、ただ受け止めればそれで済む。

 ようやく光の驟雨が止んだ。光子によって銃身が加熱されすぎたのだ。しかし変幻武装は冷却の必要がなく、またもう一度腕の構成をし直すだけでまた撃ち始められる。体内のエーテルを使っているために、弾切れの期待もできはしない。

 アデルの片翼はすでに千切れて焦げて根元が歪んで、ほとんど元の形を留めていなかった。次はもう片翼で受け止められるかもしれないが、その次はない。

 つまり、変幻武装をやり直すこの瞬間だけが好機であった。

「コマンド:【加速ブースト】」

 唱える。

 瞬間、アデルの世界が超加速した。弾けるような勢いで地を蹴ると、そのまま拳を握って相手レイヴンの心臓へ――壊せば二度と動けなくなる中枢機構があるはずのそこへ、叩き込む。

 手ごたえはあっけないと言っていいほどになかった。

 軽く潰れるような音だけをたてて、相手レイヴンの上半身が消滅した。次の瞬間、真っ赤にその身が燃え上がる。敵にその身を解析されぬようにと仕込まれた、エーテルによる自壊装置が作動したのだった。

 消える。体が、アデルと同等に持ち合わせているはずの意思が、そのすべてが。

 燃える。崩れる。

 後にはひとかかえの灰だけが残った。

 ひとまずの危機は去った。しかし、アデルの心に安堵はなかった。

「アンタ……その、羽根。レイヴンの……」

 振り返る。ファナゼットが、信じられないと言いたげに目を丸く見開いていた。

 浅く頷く。

「肯定。当機の識別番号は【αーdelta】――RaSS、すなわち天より使わされた兵器、レイヴンである」

 告げる。はっきりと、自分自身のことを。

「……何よ。何よ、それ……何なのよ、アンタはッ!」

 憎悪の叫びだった。

 これまで過ごした一週間の経験から、半ば推測されていたことだった。この集落は、どうやらレイヴンのことを酷く憎んでいるらしい。天からの使いだと神聖視していたあのアルカとは正反対に、どうやら悪魔やそれに近しいものであると認識されているようだった。

 だから、正体を見せればどうなるかの推測はできていた。

 けれど――ああ、けれど。せっかく懐柔できたファナゼットがアデルに銃を向けてくるこの瞬間に自分の心をよぎる重苦しくて真っ黒なかたまりのことは、まったく推測できていなかった。

「ふぁ、ファナ! やめてよ、アデルさんに銃なんて……!」

「ルゥこそ目を覚ましなさい! コイツはレイヴンで――ミリさんを奪ってルゥをひとりぼっちにした、レイヴンの仲間で! あたしたちを、騙してたのよ! 今のレイヴンだって、コイツが引き入れたに決まってるでしょ!」

 そう叫び、ファナゼットは引き金に指をかける。相も変わらず下手な射撃体勢で、避けようと思えば簡単に避けられそうだった。どころか、接近して拳銃を奪ってしまうことすらできるだろう。

 けれど、アデルはそのまま動かないことを選んだ。そうするべきだ、と思った。

 高い、一発の発砲音。

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