アデルは、エレンより請けた命令――否、指示――否、要請のことを再確認する。
この集落での滞在を安定したものにするため、ここに住まう流民の警戒心を解く。なるほど、今までにない役割だ。
再三主張してきた通り、アデルは兵器である。
兵器にだって、たとえば使用者認証を誤魔化して敵のシステムに侵入するものだとか、防壁に干渉しないよう見た目を誤魔化すものだとか、そういう懐柔の要素を含むものはたくさんある。しかしアデルはどちらかといえば殴り壊したり殴り飛ばしたりするタイプの兵器なので、あまり適性のある要請だとは言えなかった。
けれども、他ならぬエレンからのものだ。無事に完遂させたい、とアデルはさっそく外に繰り出す。
しばらく歩いてみてから、なるほどな、と納得した。
あちこちから流民の気配を感じる。それは急いで建物の影に引っ込む誰かだったり、微かに聴覚センサを揺らす囁き声だったり、あるいは様々な要素を複合しての総合的な判断だったりした。明るいこの時間は誰しもやることがあるだろうに、少し場所を変えてみようともその気配は薄れず、どころかますます強まってアデルを取り囲んでいる。
――どうするべきか。
これが変異生物相手であれば、気配を感じた瞬間【
いいアイディアの思いつかぬまま、とにかくいろいろとデータベースを漁って考えてみる。漠然と指針を固め始めたところで、覚えのある足音が聞こえた。推測される歩幅や体重からして、アデルよりも小さな体格の誰かである。
追跡を振り切るための移動法をいくつか検索したあと、今の目的は戦闘ではなかったと思い返し、むしろその足音へと近づいた。
「追跡を確認。質問……自分に何の用事、なの?」
「うぎゃっ!?」
建物の間にある細い道に挟まるようにしていたそのお相手は、まさか自分が声をかけられるとは思ってもみなかったようだ。にゅっと顔を出したアデルを見て、大きく体をのけぞらせた。
「確認……この流民コロニー――否、集落の長にあたる人物の一親等直系卑属?」
「ちょ……ひ、え?」
「訂正。パライソのリーダーの娘?」
うっかり参照したデータベースからそのまま引用してしまった語句を直すと、目の前の彼女はこくりと頷いた。
「ルゥから聞いたのね。そうよ、あたしはファナゼット・パライソ。パライソリーダーの娘なんだから、つまりあんたを泊めてあげてる立場ってこと。感謝するがいいわ」
緑の瞳にこれでもかと得意げな色をにじませた少女――ファナゼットへと、アデルは素朴な疑問を口にする。
「滞在許可はリーダーが、宿泊場所はルクスが提供した。あなたは関係ないのでは」
「な、なによ偉そうに! ってうか馴れ馴れしいわね、ファナゼットさまって呼びなさいよ、ヨソモノなんだから!」
「七音節はとっさの呼称に適さない。ファナ、ならば対応可能」
「ぐぎぎぎぎ……!」
唸り声をあげるファナゼットを、アデルは興味深い心持ちで見下ろした。この流民、ずいぶんと感情が豊かだ。次にすることの予測がまったくつかない。
「っていうか、何の用? あたし、これから【
「……? ファナ」「次その呼び方したら叩き出すわよ」「あなたはこのおよそ十分、自分の尾行を続けていた。用があったのはあなたでは、と質問」
「き、気づいてたの!? い、いやでも、話しかけてきたのはあんたじゃない!」
確かに、とアデルは頷いた。実際、用事があるのは間違いない。
その反応を見て、ファナゼットは「ほらぁ!」と勝ち誇った声をあげた。面白い。
「何の用? 言ってみなさい。ちょーっとなら聞いてあげるから」
「懐柔しに来た」
「……えっと?」
「あなたを懐柔しに来た」
「……は?」
なにせ、そういう役目である。
パライソの住人は多い。その一人一人に声をかけて警戒を解いていくのは、さすがに現実的なプランではないだろう。それだけで滞在期間を大幅に超過してしまう。
では、攻略対象が――今までのそれはすなわち敵という意味合いだったが――大きな群体である場合、最も有効な手段は何か? 簡単だ、頭にあたる個体を潰してしまえばいい。
目の前にいる少女、ファナゼットは、いの一番に警戒心を叩き付けてきた。リーダーの娘、という立ち位置も悪くない。ここを懐柔できたとしたら、多くの下位個体がそれに続くに違いない。
なかなかに応用の効いた良い作戦だ、とアデルが満足に思うその前で、ファナゼットはまずぽかんと口をあけ、次に疑うかのように眉根を寄せ、最後にはぷるぷると全身を震わせ始めた。
意図が上手く伝わらなかったか、とアデルは言葉を重ねる。
「なので、警戒を解かせる方法を教えてほしいと要請。どうやったら懐柔できる?」
「ぶはっ!」
たまらずといった勢いで、ファナゼットは大きく破顔しながら噴き出した。
「か、懐柔って! あはっ、それあたしに訊くことじゃ無、ふっ、あっはは!」
「……質問。なぜ快楽感情表現を?」
「あんた、交渉に向いてなさすぎでしょ! っ、ふふ……ああもう、しょうがないわね。次期リーダーのあたしが、直々に! 交渉術を教えてあげてもいいわよ」
ふむ、とアデルはその提案を受け取るか考える。
実際、自分と流民とのコミュニケーションに難があるというのは、アデル自身も自覚するところである。流民でないのだから仕方のないことであるとはいえ、今後一週間足らずの行動のためには付け焼刃だろうと身に付けておきたいスキルなのは確かだ。
「……要請。ぜひ、流民との交渉術を教授願いたい」
精一杯の丁寧さを込めた言い回しだったが、ファナゼットから「そういうのが違う!」とダメ出しが入った。
「まず、なんで最初に質問とか要請とか付けるのよ」
「解説、発言内容の意図を――」
「ほら今のも!」
「……発言内容の意図を分かりやすくする、ため」
言われた通りにしてみてから、確かにこのほうが大部分の流民がやる話し方に近いんじゃないだろうかと納得した。なるほど、不合理な流民らしいコミュニケーションだ。
続けて質問しようとしてから、ふと、今いる場所について思い出す。そこは道にもなっていない、建物同士の隙間である。
「提あ――訂正。ここよりも広い場所のほうが話に適しているのでは?」
「あ、それはそうね。じゃあ向こうの広場に――ううん。特別に【学舎】に案内してあげましょうか?」
「フギン? データベースを検索……完了。太古の神話における知恵を司る鳥類?」
「そういう由来なの? 物知りね……じゃなくって! 情報メモリのある旧文明遺設備よ、なーんでも調べられるんだから! あんたの懐柔もうまくいくようになるんじゃない?」
「神話のデータはないのにか」
「……まあ、ちょっとはロストしてるデータもあるわよ、ちょっとは。でも、本当にすっごい設備なのよ。ふふん、ルゥが復旧したところなんだから。あんたもルゥに感謝しなさいよ」
足早に歩き出したファナゼットのあとを追い、アデルはその斜め後ろに並ぶ。
「ルゥ、ルクスのこと? 付き合いが――訂正、交友が長いのか」
「まあね。ルゥがここに来たときからだから、もう八年にもなるかしら」
じろり、ファナゼットの緑をした瞳がアデルへと警告のように向けられる。
「一応言っとくけど、ルゥに何かしたら承知しないんだからね。ぎったぎたにしてやるわよ、ぎったぎたに」
「無理、では? 自分のほうが戦闘力は高い」
「じゃあ追い出す」
それは困るな、とアデルは口をつぐんだ。実際ファナゼットにどれだけの権限があるのかは分からないが、不合理な流民のことだ。まだ判断能力の十分に成熟していない個体に不相応な立場を与える、という可能性は十分に考えられる。
互いに無言のままでしばらく歩いて行き、辿り着いたのは集落のほぼ北端に位置する場所だった。まだバベル――【Bifrost】のエラー解析無線の許容距離としては問題ないが、確かにこれ以上離れるとなれば危ないかもしれない。アデルは内心、ひそかにエレンの判断を賞賛する。
【学舎】なる施設は、てっきり建物のたぐいだろうと考えていたのだが、どうやらそうではないらしい。というか、
「どこに該当の設備が?」
目の前に広がる、アデルにもなんだか分からないスクラップだけが転がる平坦な景色へと、片の瞳を巡らせた。集落外にあたると判断してもおかしくないほどに、そこは何もない場所だった。
「ふふん。こっちよ、こっち」
ファナゼットが示したのは、地面にあるハンドルの付いた円盤だった。既視感を覚える――そう、アルカとかいう愚者の巣窟においても、アデルは似たようなやり取りをした。
しかし、今度はホロキーボードが出てきたりはしなかった。ファナゼットは実に直接的にハンドルを掴むと、円盤をぐるぐる回す。すぐにかぽんとそれは開き、下へと続く階段――梯子ではない――が、おもむろに姿を現した。
一応、毒物などへの簡易センサを起動してみる。空気中に妙な成分は検知できたが、有害なものではなかった。二酸化炭素濃度も問題ない。単にこもった場所だから、ということだろう。
「早くしなさいよ」と促すファナゼットに続いて階段を降りる。降りる。降りる。……想像していたよりも長い階段にアデルは多少の警戒を抱いたが、どうやら杞憂のようだった。ほどなくして、二人は広い空間に辿り着いた。
円形をした部屋で、壁にはぐるりと背の高い棚がめぐらされている。棚に刺さっているのは、紙の書籍を模した情報メモリカバーらしい。
手の届かなさそうな高い場所のためだろう、蜘蛛のようなマニピュレータ付き小型機械が棚をぐるぐると這いまわり、床には赤の合成繊維製絨毯が敷かれ、真ん中には十数人が同時に座れそうなソファが置いてある。
データベースで検索した記憶のある、非常に古い施設だった。いや、それは情報メモリを置く場所ではなかったはずだから、正確にはよく似ていたという表現になるだろう。
「……図書館?」
「トショカン? なにそれ。ここは【学舎】、貴重な旧文明施設よ。ヨソモノが入れる場所じゃないんだから、せいぜい感謝しなさいよね!」
得意げに腕を組むファナゼットへ、アデルは真っ直ぐにいま適しているであろう言葉を放った。
「非常に興味深い。感謝する」
「なっ……ふ、ふんっ。まあまあ良い態度じゃないの」
続けて何かを言おうとしていたファナゼットは、しかし勢いをそがれたかのようにもごもごと口を動かしたあと、諦めたように棚へと向かっていった。
「じゃあ、あたしが直々にメモリの再生方法を教えて――」
「コマンド。システム起動、検索。人間同士のコミュニケーションについてのメモリを要請」
『了解シマシタ』
「うひゃあっ!?」
機械にアデルが
かと思えば、そこから二つの情報メモリを二対の足で器用に取り出して、背中の固定具にかちゃんと取り付けた。そのまま、またすいすいと棚面を降りてくる。
『コチラ、リクエストサレタ資料ニナリマス。破損・紛失ニハ十分オ気ヲツケ下サイ。レンタルノ処理ハ、地下二階ノカウンターニテ行ッテオリマス』
「了解した。要請の受領に感謝する」
『オ気ニナサラズ』
そう合成音声を発すると、小型機械はまた棚の周回に戻っていった。恐らく清掃や警戒も兼ねているのだろう、とアデルはそれの動きを眺める。人間とのやり取りを前提にした機械なだけあって――合成音声のクオリティはともかく――自分よりもコミュニケーションが上手そうだ。少々、尊敬の念が湧いた。
「な、ななな、ななななな……」
聴覚センサが妙な音声を捉えた。首を巡らすと、そこにはわなわなと震えるファナゼットの姿がある。
「……どうかしたか?」
「な、なんで初めて来るあんたが、機械蜘蛛と仲良くお喋りできてんのよ! あたしは追っ払われたことしかないのに……!」
「ええと。アレはセキュリティ設備としての機能を兼ねているゆえ、メモリを施設外に持ち出そうとしたら制止する、のでは?」
「分かんないけど、びーびー鳴きながら襲ってきたのよ! だってのに、あんたは使役するなんて、ヨソモノのくせに……っ」
またわなわなと震えたファナゼットは、きっとアデルを睨みつけた。その瞳には、なぜだか猛然とした対抗心がはっきりと浮かんでいる。
「ふん、これで勝っただなんて思わないことね!」
「思っていない」
「余裕ぶってっ」
おかしい。
結構懐柔できたかな、と思ったのだけれど、何がいけなかったのだろうか。
やはり流民の反応はよく分からないな、という困惑をいったんログの中へと放り捨てて、アデルは情報メモリの閲覧に注力するべくケースの『再生』をタップした。
「なんで再生方法も知ってるのよーっ!」