「仕事。……役目?」
「そう、役目。アデルにしか頼めない役目がある。大事な役目だ」
どうやらアデルの琴線に触れたらしい単語を強調し、話を続けるエレン。
「俺たちはこれから一週間弱、ここの世話になるわけだろ? でも、やっぱり余所者っていうのは警戒されちまうモンだ。ほら、昨日も膝とか飛んできたし」
「なるほど……提案、不穏分子を制圧する?」
アデルがぐっと握った拳を下げるように促す。
「いや暴力はダメだぞ。向こうの視点で考えてみろ、外から来たヤツが急に身内をブン殴ったとしたら」
「推測……推測……敵意があるとみなされ、攻撃ないし追放される」
「正解。じゃあどうしたらいい?」
ムム、とアデルはうっすら眉間に皺を浮かべた。
「データベースを検索……完了。制圧ではなく、懐柔? 不穏分子の警戒を解くのがいい、と」
「大正解。ってなワケで、その懐柔をアデルに頼みたいんだ。ほら、アルカのときみたいになったら目も当てられないし、目的地まで穏当に辿り着けるように、な? 頼めるか?」
つまりは、このパライソで住人と仲良くしておいてくれという頼みだ。
昨日の膝……もといファナゼットの襲来に関しては、向こうに非があると言っていい。エレンとアデルはきちんと許可をもらってここに滞在しているのだから。
しかしだからといって、無視するわけにはいかないのもまた事実。あれほど直接的じゃなくたって、素性の分からぬ旅人が居座るのをよく思っていないパライソ住人は少なくないだろう。危険性のほどが分からないという意味で、悪意ある人間は変異生物よりもたちが悪い。
大事なのは、互いを知ること。自分たちがどういう人であるかを知ってもらうこと。同じ価値観を共有する人間であるとさえ認めてさえもらえば敵意や警戒はなくなってしまうものだ、というのは集落から集落を巡るキャラバンで教えてもらった処世術のようなものである。
これまで三つの集落を渡り歩いてきたわけだが、まっとうに落ち着けたのはこれが初めてだ。過ごし方を学ぶのは、今後のアデルのためにもなるだろう――。
(……いや。何考えてんだ、俺は)
違う。アデルは天に戻り、そこで修理され、また兵器としての本分を果たすようになるのだ。流民との関わり方を学んだって、何かのためになるはずもない。
つまり、エゴである。アデルに何かしてあげたい、と言えば聞こえはいいが、その実エレンの自己満足でしかない。
でも、仕方がないじゃないか、とも思うのだ。
アデルと過ごせる時間は――あるいは、アデルがアデルとして過ごせる時間は、もう一週間もないのだから。それを思って焦りが生まれてしまうのは、どうしようもないことだ。
「把握、提案を了解した」
幸い、アデルはこくりと頷いた。
「しかし、ひとつ条件」
かと思えば、ぴんと指を立てて。
「帰還を確約してほしい。また、自分が迎えにいかねばならない事態にはならないよう」
「ああ、分かったよ。大丈夫、日暮れまでには帰ってくるから」
エレンは笑い、装備を確認し、受け取った食料の分だけ牙蟻を倒すべく部屋の外へと出て行こうとして――寸前、立ち止まり。
「いってきます」
アデルはきょとんとしたあと、十数秒ほど考える仕草をしてから返した。
「いってらっしゃい」
†
自分たちはなんなのだろうか、と考える。
協力関係。アデルは戦闘力と旧文明の知識を、エレンは地上を進む術とその知識を。それぞれに与え、受け取り、共に遥かな天を目指している。それだけの繋がりだ。
エレンには、ただひとつの希望がある。妹のことだ。だからそれ以外を望むのは、ただのワガママでしかない。
それでも、できるだけ良い思い出を作りたいと、そう思っている。
果たして、そのささやかな望みすらも身の程を違えたものなのだろうか?
分からない。分かるはずもない。エレンは空っぽなのだから。
†
光弾が、艶めく黒褐色の外郭を打ち据えた。
堅牢そうな見た目のそれはぐしゃりという音とともに潰れ、中から酸っぱい臭いの体液がどばどばと洩れる。
脇を固めていたもう二体は同族の頭が爆ぜたのに怯える様子もなく、がちがちと大顎を振りかざしながら襲い掛かって来た。
「十二匹、目――!」
エレンは機敏な動作で光子銃をホルスターに戻し、しっかりと両手でバイクのハンドルを握った。アクセルを蹴り飛ばすように踏むと、車体は一気に加速して接近する牙蟻の群れを引き離す。
もう追いかけてはこないだろう、というところまで逃げ延びると、エレンはバイクを停止させて大きく深い息を吐いた。
「ラクショーすぎるだろ、これ」
まだ数時間しか経っていない。だというのに、もうとっくにノルマを片付けきってしまった。
理由ははっきりしていた。ひとつ、とんでもなく足の速いフロートバイク。もうひとつ、やけに偏差の少ない光子銃。
牙蟻は群れる変異生物だ。しかし図体が大きいので、本物の蟻ほどは数が多くない。一度にでくわすのはせいぜい五匹程度である、しかし無線のような通信網があるのか、立ち止まって相手をしているとどんどん援軍が集ってくるのだ。
それを駆除するとなれば、いわゆるヒット・アンド・アウェイが基本線となる。足の速いこのバイクならば余裕も余裕だ。
そして、光子銃。実弾ではないために重力や風の影響は受けないものの、磁場や拡散によって撃つたびに多少のバラつきが出る。それを読み取ってうまく手なずけるのは使い手の腕の見せ所なのだが、なぜだか腕を見せるまでもなくバシバシ当たる。
いや、なぜだかというか、ルクスのメンテナンスによるものなのは間違いない。間違いないが、ここまでとは思っていなかった。
「こんなに精度出せたんだな、お前……こんなに長い付き合いなのに、何も知らなかったよ……」
しみじみとしたその言葉にも、光子銃からの返事はない。ただ、バッテリー残量が少なくなっているというランプが瞬くのみである。不愛想だな、なんて軽口を頭の中に浮かべつつ、エレンは予備バッテリーを装填し、空になったほうを急速充電モジュールに突き刺した。
「しかしこうなってくると、問題はどこまで深追いするか、だよなあ……」
約束していた十体はとっくに倒してしまっている。しかしまだまだ日は高く、エレンの体力にも余裕があった。そもそも今から帰還したところで、本当にノルマを片付けたのだと信じてもらえるかどうか。
牙蟻の根絶は難しい、というか不可能である。地上に出てきた個体を狩るのはそう難しくないが、巣の中となれば話は別だ。広がる暗い迷宮は、人間が足を踏み入れられない魔境にも等しい。
けれど、それはいくら倒しても意味がない、という話ではない。減らせば減らすだけ奴らの縄張りは狭まってくし、また広がってくまでの時間も稼げる。パライソを縄張りから外すためには、地道に間引き続けるしかないのである。
「まあ、もう少しくらいは頑張るか……っと、んん?」
ちりり。
首の後ろに妙な気配を感じ、エレンは素早く振り向いた。
しかし、そこにあるのは茫漠とした荒地ばかり。牙蟻が身を隠せそうな障害物すらない――というか、牙蟻にそんなことをする知能はない。敵を見つけたら真っ直ぐに襲い掛かる、それだけが行動理念なのだから。
災竜以外の変異生物は空を飛ばない。災竜がそうあちこちにいるはずもない。
「気ぃ張り詰めすぎ、か。ちょっとは肩の力を抜かねえと、ミスっちまいかねないな」
ぶつぶつと呟き、また討伐に戻ろうとするエレンは気が付かない。
はるか上空、雲の影に紛れるようにして飛翔する紫紺をしたその人影に。