「どうして、自分にその話を?」
「お姉さんと仲良くなりたくって。つまり、わたしも立派なひとなんかじゃないんです。実の親に捨てられちゃうような、悪い子です」
カップを傾ける。しかし、中身はもうすっかりなくなっていた。まあいいか、と机の上に置き直す。喉が渇いているわけではなくて、ただ少しの間を作りたかっただけなのだから。
「でもね、お姉ちゃんが言ってくれたんです。そういうのは――つまり、自分がどういう生まれだとかどういう生き方だったかとかどうでもよくって、ルクスはルクスなんだから、精一杯がんばってルクスをやりなさいって」
にっこり、笑みを浮かべる。
「わたし、お姉さんと……ううん、アデルさんと仲良くなりたいです。お手伝いしたいこともあります。ダメ、ですか?」
「ダメではない……が。しかしあなたは、」
「ルクスです。ミリお姉ちゃんの付けてくれた名前です」
「……ルクスは、何を手伝う? 推測、あまり戦闘経験はなさそうだが」
「ふふ。それはナイショです!」
アデルが少しだけ目を細めた。多分、なんだそれはどういう意味だ、なんていう問いかけの表情なんだろうなと推察する。
しかし、言ってしまっては面白くない。なにせ、どうやらアデルは自身の気持ちに気が付いてもいないようだ。それを急かすのは野暮というものだろう、なんてルクスは少々品のない笑顔を浮かんでくるのを抑えられない。
つい、とアデルが立ち上がった。かと思えば隣の客間に行ってしまう。
寝てしまうのかとカップを片付けかけたところで、しかし何かを手にした彼女が戻って来た。何かというか、エレンの光子銃である。
「メンテナンスをするのだろう。貸与する」
「えっ、いいんですか――じゃない、ダメですよ! 大事な武器、他のひとに触らせたくないて方もたくさんいますし! さっきのはちょっと、ダメな感じに盛り上がっちゃっただけで」
「ルクスの腕なら問題は起こり得ないし、武器のたぐいの判断は自分が最も優れている。推測、確認……抽出ハーブティー、あれはマニュアル打ちだった。違う?」
「それはまあ、そうですけど……」
抽出液というのはつまり、余った植物やらを機械に入れて成分を分析して、その一部だけを上手いこと組み合わせることで無毒だったり香りのよかったりする別のものを精錬しようというシロモノである。
この材料を入れてこの液体を作る、というオート設定のものは二つほどパライソに存在するが、ルクスの使ったあれは、入れた材料から何を何パーセント取って掛け合わせるかをその都度手動で操作せねばならない難解なものだった。姉たるミリとルクス以外に使えた人は今までいない。
確かに、ルクスは地上の全てを見回しても指折りの技術者で間違いはないのだった。
「それでもエレンが怒りを示したら――」
「示したら?」
「自分も謝罪しよう。質問、それでは受け取りに値しない?」
それが真面目極まりない言い回しだったものだから、ルクスはついつい軽く噴き出してしまった。
「分かりました、お借りします。ゴミも回路歪みもさっぱり取っちゃいますから、任せてください」
「明日、エレンの生命を支えるものだ。語彙を構築……よろしく頼む。武器には適切なメンテナンスが必要、だから」
「はいっ!」
もちろんですよとルクスは心の中で腕まくりして、早速工具とオイルを取り出しにかかった。
あくる朝。
目が覚めたエレンが枕元に置いてあったはずの光子銃がないことにすぐ気が付き、すわ襲撃かと一気に銃ナシの戦闘態勢を整えたところで、
「自分がルクスにメンテナンスを要請した。ゆえに隣の部屋にある、はず」
というアデルの言葉にどっと肩の力を抜くなどした。
最低限の身だしなみを整え、言われた通りに隣のリビングへと入ってみると、
「ふへ……ふへへ……こっちのレゾナンサ、ツインかと思ったらデュアルツイン……うわあ、これでリジェクタがフラクタル式って銃身への負荷が許容外、ああいや自己修復できるから、ふへへ……」
金属とオイルの臭気に囲まれ、ルクスがまるで邪教の儀式のごとき様相で銃の分解清掃をしている真っ最中だった。
「……ええと、ルクス。それ、メンテは終わったのか?」
「ひゃああ!? あっ、お二人ともおはようございます! すみません勝手に弄って、はいメンテナンスは完璧です! お返しします、すぐ!」
いかにも徹夜明けらしい勢いでがーっとまくしたてると、ルクスは目にもとまらぬ早業で銃をすっかり組み立て直した。心なしか、見た目も前よりぴかぴかしているような気がする。
「いや、いままでちゃんとした整備は他のヤツに頼んでたから、正直助かった」
「勝手に触って、怒ってない……ですか? その、わたしみたいな子供に弄られて」
「勝手も何も、アデルが依頼したんだろ? なら大丈夫なんだろ、多分」
アデルが兵器というアイデンティティを持っている以上、それに連なる武器への造詣はエレンのそれよりも深いはずだ。はずだというか、前に一度エレンの簡易メンテナンスへと次々指摘を入れてきたことがある。そのアデルが託したのだから、問題があるはずはないだろう。
ルクスはほっとしたような、少しがっかりしたような表情で息を吐いた。かと思えば「すみません、寝ます……」といって部屋の隅のマットレスに倒れこんで、すうすう寝息を立て始める。
「……失念していた。流民には、それも年の低い個体には十分な睡眠が推奨される。だというのに、自分はルクスへと夜通しの覚醒を強いてしまった」
ちらり、エレンは横目でアデルを窺う。昨日の時点ではルクスを名前で呼んでいなかったはずだけれど、どういう心境の変化だろうか?
「まあ、楽しそうだったし、別にいいんじゃねえかな」
ルクスを起こさないように気を付けつつ、エレンは朝食と行動食を準備した。昨晩余らせておいた食材を使った簡単なものではあるが、その食材が上等なのだからマズくなりようがない。
そうして、さて牙蟻退治に出発するぞとなったタイミングで、ひと悶着が発生した。
「今回は俺一人で行くから、アデルは留守番しててくれ」
「なぜ」
鋭い赤の視線がエレンを射抜く。
「なぜって……牙蟻の数を減らすだけなら、そう危ない仕事じゃない。ほら、移動途中に見ただろ? 変異生物の割には小さいし柔いんだ、撃てば倒せる」
「あなたは戦いに銃を持って行かないのか、と質問」
「そりゃ持っていくよ、ルクスにメンテもしてもらったし」
「ならば自分を連れて行かない理由もない。自分は戦うための道具」
エレンもその反論は予想していた。しかし、だからといってはい分かりましたと連れていくわけにもいかない。アデルは片目を、そして遠近感を喪失しているのだ。牙蟻はとにかく数が多く、【
けれどもそれをそのまま言えば、アデルのアイデンティティを大きく損なうことになる。レヴィでの言い争いを、エレンは深く反省していた。同じ事態を引き起こしてはならない。
とにかく、『合理的』に説得できそうな材料を頭の中で取りそろえる。
「ええと、ほら。アデルはバベルと通信中で、遠くには離れられないんだよな」
「……肯定。安定した無線通信が担保されるのは、対象との距離が十キロ以内である必要がある」
「んで確か、牙蟻のコロニーは北――バベルとは真反対だ。もしかしたら通信が切れちまうかもしれないし、それなら他の仕事を頼みたい」