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4-1【揺蕩う青に浮かぶふたつの】

 深夜。

 月と星、それからライトベルトの細い明かりが窓覆い布の青い色を通し、ぼんやりと部屋を照らしていた。深い深い、揺蕩うような静寂の色だった。

 その中にひとつ、赤く光るもの。

 眠るエレンをじっと見つめるアデルの隻眼であった。

 ちらり。

前触れもなく、その瞳が側方のドアへと向けられる。家主たるルクスが眠っているはずのリビングへ続くドアだ。

 数秒して、それが音もなく開きだした。同時にアデルが動く。開いたドアが遮蔽になる部屋の角へと。

 すぐに侵入者が姿を現す。暗い青に包まれた部屋でもその温もりを損なうことのない、陽光を編んだような金の髪の持ち主。

 とん、とアデルがその肩に指を触れさせた。

「――っ!?」

 驚愕で叫び出そうとする口をそっと抑える。それは、日中にアデル自身がやられた動作の真似事だった。

 振り向いた侵入者――ルクスに向け、黒い防塵装備に包まれた指を口元で一本立てる。

 ――静かに。

 幸い、天由来のデータベースに記されたそのジェスチャーは、地上においても有用なようだった。ルクスもまた同様に口元で指を立て、二人の意志はしっかりと伝わりあう。


 †


「す、すみませぇん……」

 小型照明のオレンジが光る食卓で、ルクスはこれでもかと頭と肩を下げる。

 対面しているのは、今日――日付としては昨日だが、就寝を挟んでいないルクスからして――このパライソに訪れたばかりのお客さん、その内のひとりだった。アデル、というらしい。

「否定、非難の意志はない。あまり推奨されない行動だとは思う、けど」

「夜中にお部屋に忍び込んだのに……?」

「敵意も害意も観測されなかった。だから、別に」

 そこまで言うと、彼女はルクスが詫びとして淹れたハーブティーをひと口飲む。

 不思議なひとだな、と思った。

 整った容姿のひとだ。髪は計算式で埋め尽くす前の無垢紙よりなお白く、瞳は警告ランプよりもなお赤い。片方は黒い眼帯で隠されていたが、その理由を追求しようとは考えていなかった。怪我も喪失も、この世界にはありふれている。それを、ルクスはよく知っている。

 むしろ整い切った顔立ちにひと匙の危うさを付け足すそれによって、同性のルクスでさえどきりとしてしまうような魅力を滲ませていると言ってもいい。

 しかし、なんとも不思議な話し方。それに、どこかズレた態度。男という男を惹きよせてもおかしくはない――というのは、恋愛ものの娯楽情報にかぶれたルクスの偏った主観も混ざっているが――容姿とは反対に、まるで自分よりも年下の、どころかまるで物ごころついたばかりの幼子のようなあどけなさが混じっていた。

「質問。どうして侵入を? あなたの益になるような物品は特に所持していない」

「ちがっ、泥棒じゃないです……! 信じてもらえないかもしれないですけど……」

 あわあわと意味もなく両手を動かすルクスとは対照に、アデルは眉ひとつ動かさない。

「先の通り、参照されたバイタルデータに悪意を示すものはなかった。つまり、エレンに用事が?」

「そ、それは、その……」

 なんと言いわけしようか、もごもごと口を動かしているうちに、アデルが「やっぱりか」と首を縦に振った。

 まさかヨコシマな動機がバレてしまったのか、とルクスが身を固くするその前で。

「人間の言う、夜這いというもの?」

 アデルは表情ひとつ変えずにそう言い放った。

 口をふさぐ役の彼は、隣の部屋ですやすやと穏やかな寝息をたてている。

 一瞬の沈黙。意味を理解したルクスが目と口をまんまるに開いた。真顔で何を言っているのだ、このひとは!

「いやいやいやいや違いますホント違います違います違いますよ!?」

 一息で言い切った。

「心音、呼吸などが乱れている。慌てているときの反応」

「そりゃ慌てますって、もう! 違って、用事があったのはお兄さんではなくて……その、お兄さんの銃なんです」

「窃盗?」

「違いますってばあ! ただ、初めて見る子だったからメンテしたいなあ、なんて……」

 というのも、ルクスの趣味のことである。

 機械をいじったりバラしたり組み立てたり、そういうことばかりしているし、食い扶持もそれで稼いでいる。しかし最近はパライソの機械もあらかた検分し終わって、目新しさに欠けていた。

 そこに自動補修機能付きなんていう素敵な銃が現れたものだから、いてもたってもいられず。夜中にこっそりメンテナンスしちゃおうかな、なんて魔が差してしまったのだ。

 そういうことを説明した。そして幸い、アデルは納得してくれたようだった。

「そう。……こちらの早合点だった。謝罪する」

「いいえ、忍び込んだのはホントですし、勝手にメンテも冷静になるとダメすぎですし、謝るのはわたしのほうです」

 そうしてやり取りにひと段落がついた。しかし、まだカップの中にハーブティーが半分ほど残っている。

 誰かとの夜は久しぶりだ。だからだろうか。もう少しお喋りをしたいな、なんて思った。しかし問題は、相手に応じてくれる意志があるかどうか。

「あの」

 恐る恐る、声をかけてみた。アデルは嫌がることもなく、「なに?」と小首を傾げてみせる。

「お付き合い、されてないんですよね。お兄さんとお姉さんは」

「肯定。あくまで目的を同じくした……利害の一致、で協力をしている」

 合成音声のようになめらかな物言いに、少しぎこちなさが混じった。そこに違和感を覚える。

「もしも、もしもなんですけど。さっきの……ええと」具体的には口に出せず、「お姉さんの質問に、わたしが『はい』って答えてたら、どうしました……?」

「どう、と言われても。自分にはエレンの交友関係に口を挟む権利もいわれも持ち合わせない」

「じゃあ、権利があったとしたら止めていた?」

 ぴたり。

 カップを持ち上げかけていたアデルの動きが止まった。

 かち、かち。どこかの機械が鳴らす、低い秒刻みの駆動音。電気残量が少ないのか、ちらちらと揺れる小型照明の灯り。窓の外は静寂に包まれていて、この部屋だけがささやかな光と音を湛えていた。

 オレンジに照らされたアデルの顔が、少し俯けられる。白い髪が目元を滑る。

「……歓迎されない事態だ、とは感じた」

「ふわあ」

 間の抜けた音が喉から洩れた。

「それはどのような意図の反応?」

「すすすみません、勝手に嬉しくなっちゃって……。あのあのっ、わたしはお兄さんのこと、いい人だなーって思ってますけど、それだけですからねっ。お姉さんのこともいい人だなーって思ってて、それとおんなじです」

「自分は、『いい人』などではない。決して」

 急に、言葉に宿る温度が低下した。まるで冬空に放置した金属のように冷たい響きに、ルクスは何かまずいことを言ってしまったかとぱちくり目を瞬かせる。

「姉がいた、でしょう。……大切だった?」

「は、はい。お姉ちゃん……ミリお姉ちゃんのこと、今でも大好きで、大切です」

「なら、自分と親しくなるべきではない。自分は……自分という存在は、それに値しない」

 アデルの言う意味が、ルクスにはよく分からなかった。

 ただ、彼女が自分自身を卑下しているのだろう、ということはなんとなく分かった。

「わたし、孤児だったんです」

 だからルクスは、先に自分の中身を示すことにした。

「孤児っていうか、捨て子っていうか……あんまり覚えてないんですけど。ただ、暗くて寒いところにいたら、ミリお姉ちゃんが助けてくれたっていうのは、なんとなく覚えてます」

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