「ファナ……ファナゼット・パライソ、あの子はわたしの友だちです」
届けられた食料を検分する傍ら、申し訳なさそうに目じりを下げたルクスがそう説明する。
「
「はい。よくご存じですね」
「ここ、前に一回来たことがあるんだ。それで教えてもらった」
大昔、名字というのは高貴な者のみに与えられた特権であったという。
そもそも名前を呼ぶ相手すらいないことも珍しくない今でこそすっかり廃れた概念ではあるが、最も巨大な流民の寄り合いであるパライソで最も偉いリーダーはこの世に生き残った数少ない人々のうちで最も偉い存在なのだから、うんぬんかんぬん。つまり、集団を纏めるために内うちで祀り上げられた権威の象徴だ。
「悪い子じゃないんです。ただちょっと、思い込みが激しいっていうか」苦笑い。「特に、わたしのことになると。でも、あれはいくらなんでも失礼すぎます。まさか飛び蹴りなんて。ほんとにごめんなさい」
ルクスは本当に申し訳なさそうだが、なにかと場数を踏んだエレンからすれば小動物に吠えられたようなものである。特に不愉快だとは思わなかった。それこそ、アルカでの歓迎に比べれば可愛いものだ。
「いや、こっちは泊めてもらってる立場だし、警戒するのは間違っちゃないしな。それに……なあ、本当にこれ貰っていいんだよな?」
「? はい。お兄さんとお姉さんのぶんですよ」
さすがパライソ、さすが生産プラントのある集落。何百年前に作られたのかも分からない化石のような保存食しかない都市遺跡とは大違いだ、とエレンはしみじみボックスの中身を取り出していく。これが貰えるというならば、どんな無礼を働かれようと笑顔で受け流せる気がした。
「芋……培養肉……プラントブロック……ん、この赤いボトルは初めて見るな」
「あ、着色しただけの抽出調味料ですね。赤は酸味強めです」
ふむ、とエレンはボトルの中身を指先にすくってちろりと舐めてみる。抽出元がなんらかの植物なのだろう、酸味と塩味に負けない独特の旨味が舌を刺激した。
「なるほど。なあ、余ってる耐熱素材とかあったりしないか? 金属でも樹脂でも」
「それならそのボックスが耐熱ですし、分解し直せる範囲なら自由に使っていいと思いますが……」
食料の入れられていた箱をためつすがめつして、エレンは「いけそうだな」と呟いた。
「ルクスのぶんも作っていいか? 泊めてもらう礼、にはならないかもしれないけど。でも、汎用加工よりは面白いモンが作れると思うぜ」
「お兄さん、お料理できるんですか? わあ、お姉ちゃんもお料理得意だったんです! わたしは教わらなかったので、もうずっと食べてないですけど、作っていただけるならぜひ!」
同意も取れたので、エレンはすっかり武器というより包丁としての役目が板についてきた高周波ナイフを取り出して、器用に食材を切り分け始めた。
と、そこで部屋の中のもう一人がやけに静かなことに気が付く。
「アデル? どうした、黙り込んじまって。疲れたのか?」
「否定。ステータスに異常はない」
違和感。なんというか、いつもより距離が遠い気が――。
その正体に辿り着く前に、アデルがエレンの手元を指さした。
「質問。その植物根が直方体なのは生産空間効率だとして、なぜ食用作物が食欲減退色をしている? 用途に適していない、かも」
「え? この芋のことか?」
ナイフを入れている途中だった真っ青なブロックを持ち上げて、エレンは首を傾げる。
「芋は生だと青いモンだろ? んで、加熱したら白っぽくなる」
「……そう」
アデルは何か言いたげだったが、しかし質問を重ねることなくまた黙り込んでしまった。いつもなら、非効率だなんだこれだから流民は云々といろいろ言ってくるのだけれど。
ただ、この場にはルクスがいる。彼女に正体がバレないようアデルなりに気を遣っているのだろうと判断して、とりあえずは作業を続けることにした。
切り分けた芋とプラントブロックをいつもの白バケツの中へ。上から刻んだ培養肉に少量のプラントブロック片を入れると、上から抽出調味料と、それからもう一つ、とっておきを乗せる。
「あれ? それ、ウチで生産したヤツじゃないですよね」
頷く。なにせ、それはゴドリックからのもらい物だ。
「持ち込みの私物だ。ドライミルクの亜種みたいなもんだな」
あとは耐熱だというボックスに白バケツを入れ、少しだけ蓋を開けた隙間から光子銃を差し込んだ。それから本来は暖房装置なんかに使う大型バッテリーの端子を繋ぐ。
光子銃というのは、電気を元として高エネルギー荷電粒子を――平たく言えば熱線を放つ銃である。消費電力にさえ目を瞑れば、高熱を継続的に放つことも可能だ。
安全装置を兼ねた目盛りを弄って引き金を絞ると、すぐに銃口から拡散された熱が放射され始めた。
「……無茶な使い方しますね、その子」
「子? ええと」ルクスの示す先を見る。「銃のことか? 暴力に使うよりはいいと思うんだが」
「でも、その子はあくまで弾を撃つための構造ですから、長時間照射し続けたら内部機関がへたっちゃうでしょう」
「お、詳しいな」
実際、その通りだ。実のところ、これはあまり良い使い方ではない。寿命を大幅に削ることになるだろう――普通の銃だったのであれば。
「大丈夫、こいつは……なんだったか、自動補修? ができるらしくて、一晩も寝かせたらすっかり元通りになるんだよ。人から教えてもらったんだけどな」
ナノマシン製の銃なら都市遺跡にごろごろ転がっているが、その中でエレンがこれを愛用している理由である。さすがにいつかのような真っ二つになったらどうしようもないが、小さな消耗のたぐいなら自動ですっかり直ってしまうのだ。
へえ、とルクスは興味深そうに銃を見た。
「バイクもすごいの持ってましたもんね。やっぱり西の都市遺跡ですか?」
「いや、ずっと東のほうだ。歩いてざっと……百日? だったけか。なあ、アデル」
話を振られたアデルはしかし、浅く頷いただけだった。瞳の上にはなんの表情も浮かんでおらず、まるで精巧な人形のようだ。やはり疲れているのかもしれない。
程なくして香ばしい匂いが漂い始め、加熱の具合を確かめるべくエレンは箱を開ける。
「わあっ」
「……ゎ」
ルクスの歓声。ごく細いアデルの声。
レア中のレアものである長期保存チーズのとろけた中を掘り返せば、旅のさなかにはお目にかかれない臭みのない培養したての肉やらさまざまな食用植物を固めたプラントブロックやらは抽出調味料でてかてかとした赤色の光沢をまとっている。
それを一皿ずつ二人分よそったあと、残りを白バケツごとアデルの前に置いた。スプーンはルクスの家に備えられたものを拝借する。
「ドライミルクのしちゅうがホワイトなんだから……ええと、レッド――まあいいか。好きなだけ食べてくれ」
料理名を言おうとしたが、二人が――程度は違えど――目をらんらんと輝かせて皿を見つめているのが目に入り、話を切り上げる。部屋はすぐに咀嚼音やら喜びやら賞賛やらで満たされ、温かな香りと湯気は換気装置を通って近隣の部屋にまで届き、パライソ住人の空腹を大いに刺激したという。