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3-2【陽光を守る月】

「変異生物のコロニーに有毒エリアもある荒野を突っ切って来たんだ、腕に自信はあるんだろう? ここの連中は平和ボケ――とまではいかないが、まあなんだ、あんまり怪我をしたがらなくてな」

「そりゃ怪我したいヤツなんていないだろ。俺だってしたくない……けど、荒事の予定があるんだな? 食料と消耗品の補給をしてくれるんならやってもいいぜ。人相手じゃなければな」

 エレンとしても、何かしら仕事なり交渉なりをしないといけないと思っていた。なにせ、残りの食料はたった数日分だ。それが向こうからやって来たとなれば大歓迎、引き受けない理由はない。

 おお、とリーダーの男は安心したように頬を緩ませる。

「いや実は、近くで変異生物のコロニーができていてな。定期的に数を減らしてやらにゃいかんのだが、三日前の討伐で一番の腕利きが腕ナシになっちまった」

「なんつー言い回しだよ」

 顔を顰めたエレンの脇から、アデルがすいっと顔を出す。

「質問。そのような危険な場に、自分たちを向かわせようと?」

「強制はしねえさ。ただ、最近はプラントの調子もやけに悪い。変異生物に壊されたのもある。働かざるものなんとやらってな……つってもまあ、別に嬢ちゃんに戦えって言ってるワケじゃあないんだが。あくまでそっち、野郎のほうな」

 ム。

 表情のごく薄いアデルの目が、ほんの僅かに細められた。ほんの微かに首が傾げられた。それが意固地な彼女の表す不満の動作であることを、エレンはなんとなく把握している。

「戦闘力という話ならば、自分のほうがエレンより優れている。討伐ならば自分が行く」

「はあ!? 嬢ちゃんが?」

「悪りい、そいつ負けず嫌いで……ええと、具体的になんの変異生物なんだ? 出現場所は?」

牙蟻メコレオだ。コロニーはここから北に数キロ離れたあたりだが、最近じゃこっちまで遠征してきて、多分だがもう少しで集落の北端が縄張りの中に入っちまう」

 うげ、とエレンの口からあまり上品ではない声が洩れた。

 牙蟻。猫ほどの大きさをした蟻の変異生物。そこまで強いわけではないが、縄張り意識が強い上に数も多い。しかもいくら倒そうが巣の中には残党が控えていて、厄介なことこの上ない相手である。

 そして、その縄張りの広さは群れの規模――すなわち、個体数に依存している。

「ここに来なくなるくらいまで減らしてこい、っつーことか」

「そうなるな。ざっと、一日に十匹ってところか。どうだ、請けてくれるか?」

 少し考え、エレンは頷いた。レヴィで休んだのと、【β】の件以外は穏やかな移動が続いたおかげで、体の調子はかなり良い。むしろ動かないと勘が鈍りそうだな、と思っていた。

「いいぜ、明日からなら。あと、今日の分の食料も報酬に含めてくれるか?」

「よし、すぐに届けさせよう。二人分でいいんだな?」

 頷きかけてから、アデルの食べる量を思い出す。特殊機能とやらを使わずとも、常人の三倍くらいはぺろりなのだ。

「できれば三、いや四人分くらいくれると……」

「別にケチろうなんざ思ってねえぞ。片方は嬢ちゃんなんだし、二人分で十分だろう」

 いやその嬢ちゃんがとんでもなく大食らいなんです、とは言わず、エレンは「最近食料不足で」と言って誤魔化した。幸い、リーダーの男は納得したように頷いてくれた。

「そうなのか? まあ、男にしちゃあ細身だな。戦闘中に倒れられてもコトだし、仕方ない。加工済みのでいいな」

「加工前のほうがいい。こっちで処理するから」

 そうして交渉が成立すると、リーダーの男は他に仕事があると言って去っていった。

「お兄さん、牙蟻をやっつけてくれるんですか!?」

 ドアが閉まってすぐ、ルクスがきらきらと目を輝かせてそう言った。

「『くれる』ってことはないな。補給は必要だし、等価交換だ」

「でも、やっつけに行くんですよね! よかったぁ、これで――」

鈍いノックの音がした。

「ああ、食料か。早いな、さっきの今で」

 四人分ともなれば重量もあるだろうし、それに自分たちへの用事だ。今度はルクスではなくエレンがドアを開ける。

「――不審者成敗ィッ!」

 膝だった。

 不意打ちで放たれた膝が、腹部にクリーンヒット――する寸前、エレンの体が危機に反応してとっさにそれを対処する。つまりは体を逸らして急所を守りつつ、素早く地面を蹴って横に跳び退く。今まで幾たびもエレンの命を救ってきた、お手本のような回避行動。

 襲撃膝、いや襲撃者は、想像していたよりもずっと勢いがなかった。そのままへろへろと部屋の中に吸い込まれていくと、すぐにごちーんと痛そうな音が響く。

 少しの沈黙。

「……ええと。大丈夫か?」

 部屋の入口にうつ伏せで倒れる小柄な襲撃者に向けて、エレンは純度百パーセントの心配を込めた問いを投げかける。すると相手はばっと起き上が――ろうとして、ぶつけたのだろう膝が痛んだらしくたたらを踏み、結局正座を崩したような座り方に落ち着くと、キッと鋭く振り向いた。

「アンタね、ルゥの家に押しかけた不審者男は! 何するつもりだったのよ、この野蛮人!」

「……女の、子?」

 そう、女の子だ。ルクスと同じくらいの歳に見える。走って来たのか顔は上気し、丁寧に編まれた金髪は乱れ、緑の瞳にはいっそ清々しいまでの敵意が浮かんでいる。

 髪の色からしてルクスの姉妹か何かか、と一瞬思ったが、多分違うなと切り捨てた。同じ金髪でも色合いが違う。ルクスのそれが陽光を紡いだものだとしたら、目の前にいる少女のそれは月光を梳いたかのように冷え冷えと澄んだ色あいだ。

 慌てて中から飛び出てきた家主、ルクスはこの惨状にざっと目を通すと、当の少女へ非難……というか、悲鳴のような声を放った。

「ちょ、ちょっとぉファナ! 何しに来たの、っていうか何してるの!?」

「あたしが【学舎ムニン】に行ってたらヨソモノが来たって、しかもルゥの家に押しかけたっていうから退治しに来たの! 覚悟しなさいよこの不審者、あたしがすぐに――」

「すぐに、何?」

 すっ、と。

 足音もなく少女の背後に近寄ったアデルが、静かな怒りを湛えた声音で問う。機械翼こそ出してはいないが、いつぞやの言い争いを思い出すような威圧感だった。

 端的に、ブチ切れている。

 少女はヒッと短く悲鳴をあげたが、しかし驚くべきことに逃げたりへたり込んだりもせず、気丈にアデルを睨み返す。

「だ、誰よアンタ! ……女のひと? 綺麗な目……じゃなくって、そう、ルゥの家で何してるワケ!? 泥棒? 強盗?」

「それどっちもほぼ一緒だよ、じゃなくて、違うよファナ。お兄さんもアデルさんも、押し入って来たんじゃなくてわたしが誘ったの。それにお兄さん、牙蟻を退治してくれるんだってよ? 【学舎】、壊されなくて済むよ?」

「はあ? こんなひょろっぽいのが変異生物退治なんて……だいたい、ヨソモノなんて信用ならないのよ!」

 集落ではよく聞く排他的な定型文に、なぜだか住人であるはずのルクスがしゅんと俯く。

「そんなこと……もしかしてファナ、わたしのことも信用してないの?」

「えっ」少女は目を見開く。「ち、ちが、ルゥは別にヨソモノなんかじゃ、」

「ちわーっす、お届け物でーすっ!」

 突如飛び込んできた若い男の声に、その場にいる全員の視線が向けられた。

 その主は、にこやかに清涼感のある笑みを浮かべ、車輪付きのボックスを引いた男だった。

「持ってきましたよ、お客さん方のメシ! リーダーから聞いたッスけど、牙蟻を駆除してくださるんスよね? いやあ大助かりってなモンですよ……え? どうしたんスか、この空気」

「ちょっとアンタ!」

「うおっ!?」

 張り詰めているようなそうでもないような状況を目の前にして困惑する(リーダーからの使いだろう)若い男が、突如少女に詰め寄られてのけぞった。

「何スかお嬢さん、つかなんでお客さんのトコにいるんスか」

「あたしがルゥの家にいたってなんにもおかしくはないでしょう! それより何、本当にこの不審者が牙蟻を退治するっていうの!?」

「ちょっと、いくらなんでもお客さんを不審者呼ばわりは、お父様に叱られるッスよ? 激おこですよ激おこ」

「質問に答えなさい、あたしが納得できるように」

「ええメンド……そんな疑うなら、そのお父様に訊いてみたらいいじゃないッスか、指示したんだから」

「ぐっ……」

 少女はルクスの手を借りながらよろよろと立ち上がると、もう一度ぐっとエレンを睨んで。

「ルゥに何かしたら承知しないんだからね!」

 そう叫び、だっと走り出していってしまった。

 開け放たれたままのドア、警戒姿勢を崩さないアデル、へにゃりと眉を下げたルクス、それにボックスに手を添えたまま唖然とした男。それらを順繰りに見まわしてから、エレンは呟く。

「……なんだったんだ、今の」


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