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1-3【忍び寄る選択】

 初耳の情報だった。

 思い出すのは、アデルと出会う前日に交戦した名も知らぬレイヴンのこと。あれは機械翼――リィングラビティだったか――も万全の状態で、エレンはフロートバイクなど持ってはいなかったけれど、それでもなんとか逃げおおすことだけはできた。

 もしもあのときの相手が万全のアデル、あるいは先ほどの【β】というらしい黒髪のレイヴンだったとして、逃走が成功するビジョンは正直まったく思い浮かばなかった。なるほど、高性能な特別機体というのならば納得がいく。

 それに、特殊機能。どうにもエレンの内の少年心が疼く響きだ。

「じゃあ、【加速ブースト】だの【電撃スティング】だのは、アデルしか使えない機能だったのか」

「否定。あれはそれぞれ戦闘用汎用機、および鹵獲用汎用機に標準搭載された機能。自分だけが使えるものではない……しかし、本来は一機体につき一種類しか機能の搭載はできない」

「つまり、それをいくつも使えるのが特殊機能?」

「肯定。他ナノマシンの中枢機構の複製、ライブラリへの記録、そこからの再現が自分の特殊機能。【deltaシリーズ】の一号目ゆえ、いろいろなことを検証するためにそうしたとログに記されている」

 新しく優れた銃を見つけたとして、まずはいつもと同じ使い方をしてみて性能を試すようなものか、とエレンは自分の中で納得する。初めからすべての能力を活かそうとするよりも、どこまでできるかを把握しておいた方がのちのち役に立つのである。

「……ん?」

 ひとつ、引っかかる点を見つける。

「アデルが一号目なのか? さっきの、ええと、ベータじゃなくて?」

「肯定、自分が一号目。【α】は数字の1で、【β】は2」

「なのに、二号目が司令塔なのか? 普通は年上が偉いモンじゃ……」

 返ってきたのは、もう何度目かになるか分からない呆れを含んだ説明だった。

「否定、レイヴンは合理を重んじる。製造年数や稼働期間など数字でしかない。司令塔に必要なのはスペックの高さと適正である」

「ぐっ……悪かったな、不合理な流民で」

 どの集落だろうと、たいていは年長者が重んじられてリーダーをやっている。エレンはガラクタ弄りの老人のことをいくらか尊敬していたが、その理由には少なからず年齢が含まれているだろう。

「説明……【β】は地上の調査をコンセプトとしており、あらゆる生命との交信が可能。判断能力にも優れ、他個体への指令が非常に適している。……優秀な個体。独力では帰還も果たせぬ自分よりも、よほど――」

「はっ、それはどうだろうな」

 群集した木の側を抜けながら、軽く笑い声をあげるエレン。

「エーテル切れでもあの災竜ドラゴンと殴り合ったアデルを追い出すなんざ、天からしてみても大損だろ。案外、判断力は大したことないかもしれないぜ」

「……そう、だろうか」

「そうだよ。現に今、俺はすっげえ助かってるしな」

 そうか、とアデルが呟くその声は、薄明のなかにすうっと溶けていった。少し震えた声だった。

 そうだよ、とエレンはもう一度言った。返事はなかった。少しずつ明るくなる世界の中を、二人は真っ直ぐに進んでいった。


 †


 アデルは、余りの服にくるまるエレンをじっと見つめていた。

 【β】と接触した、その夜である。出発が早かったためにエレンはいくらか寝不足だったようで、前日までの平均よりおよそ百分早い時間に移動をやめて、夕食を食べるなりすぐに寝入ってしまった。

 その体が呼吸によって穏やかに上下するのを、アデルはじっと見つめている。


――『言ったでしょう、あなたグラナド様より『不良品』の烙印を押されたのだと。戻れば処分されるだけですよ』


 早朝に投げかけられた【β】の言葉を思い出す。

 グラナドとは、レイヴンの管理者たる天人の名だ。彼から不良品だと認定されるのは、道具にとって死刑宣告にも等しい。

 実際、今のアデルは酷い有り様だった。

 片目のナノマシン結合が崩壊した理由は分からないし、それ以外のあちこちにも危険なレベルの異常数値が出ている。これを修理するとなれば、天の技術でもかなりの労力がかかるだろう。

 deltaシリーズの試験機でしかないアデルには、果たしてそこまでのコストをかける価値があるのだろうか? 調査は二号機、戦闘は三号機が特化しており、アデルはちょっと便利な汎用機に過ぎないのだ。【β】の言う通り、処分して素材にしてしまったほうが早いのではないか?

 怖い、と。

 アデルははっきりそう思った。

 死ぬのは怖い。悲しい。寂しい。そういうものだと、災竜の弔いによって知ってしまった。もう、忘れることはできないだろう。

 ――『俺はすっげえ助かってるしな』

 今度はエレンの声が浮かぶ。片目を失い機能を大幅に落としたアデルに対し一切迷惑がるそぶりすら見せず、あまつさえ優しい言葉をかけてくれた流民の言葉を。

 縋りたくなってしまう。レイヴンの暗視能力をもって尚、闇夜はまるで北風のごとき冷たさで体に染みた。

 これ以上、故障を進行させるわけにはいかない。しかし、故障の原因が分からない。

 ――『せっかく余剰エーテルがあるのなら、簡易メンテナンスくらいしたらどうですか? 得意分野でしょう』

 また浮かんだ【β】の言葉に、アデルはそうだったと自身の仕様書を確認する。設備がないためにメンテナンスを諦めていたが、アデルにのみ可能である特殊な方式もあったはずである。フロートバイクに充填されたエーテルは用途に対して明らかに過剰であり、少量ならば消費しても問題はないだろう。

 アデル……【α-delta】は、他のナノマシンが持つ中枢機構をコピーして再現ができる。

 ナノマシンの本来の姿は、あの溶けた目のようなどろどろの液体だ。中枢機構はそれに形や性質を持たせるための設計図、あるいは骨のようなものであり、なくなればレイヴンだろうとバイクだろうと同じどろどろに還ってしまう。

 本来は、他の中枢機構を取り込むこともできないのだ。生物とて、他の骨格を取り込めば出鱈目なキメラになることだろう。ナノマシンで形成された道具のかたちは全て中枢機構に依存しており、他のものが混じれば道具は己のかたちを忘れてしまうのだ。

 しかし、アデルは特別だ。

 強力な自己同一性があるために、いくら他の中枢機構をコピーしようと、アデルが己を忘れてしまうことはない。アデルはあくまでアデルのままで、他のナノマシンの持っている性質だけを部分的に再現して利用することができるのである。

 そしてその延長線上の機能として、きちんとした設備がなくとも崩壊の心配なくメンテナンスができる、というわけだ。

 とにかく、アデルは自身のモードをアブソーブ吸収に切り替えて、フロートバイクのバッテリーへと手を振れる。

 やはりバイクの中の燃料は過剰なようで、丸一年走らせ続けても問題なさそうだった。アデルはその内のいくらかをメンテナンス用にちょうだいする。本当は活動用にも充填したいが、乗り物バイク兵器レイヴンでは消費するエーテルもけた違いだ。全部貰ったとしても数時間分にしかならないだろう。

 アデルの高い処理能力もあり、簡易メンテナンスはものの数分で終わった。

 やはり片目の異常は原因不明だったが、平衡感覚や出力調整部分など、簡単な数値は正常の範囲内へと修正することに成功した。これだけでも随分能力が向上したはずだと、アデルはいくつかの神経回路へ余ったエーテルを巡らせた。

 ちか、ちか、という感覚が全身を巡る。エーテルに反応した各所のセンサーが発する通知のログを眺める。何の意味もない、人間でいう鼻歌にあたるであろう高揚に身を任せただけの行動。

 視神経へと、僅かなエーテルを通したその瞬間。

 アデルのメモリ内で、大量の情報が飽和した。

 それは、今もアデルが見つめたままの先にいるエレンについての情報だった。

 ナノマシン偽装を看破。鹵獲対象としての適合値が最高に近い。ただちにRaSSへと連れていけ。そういう意志の介在しない命令が、どんどんとメモリを覆い尽くしてく。アデルは慌てて通知を切った。

 ――それは、つまり。

 目の前の流民は……エレンは、天が求めてやまない因子を強く強く宿した個体である、ということだった。今までは、アデルがエーテル切れをしていたために気が付かなかっただけで。災竜のときも変幻武装メルトと出力向上にリソースを注ぎ込んでいたために、目のほうまでエーテルを回していなかった。

 程なくして、ほんのささやかなエーテルは完全に消え去った。それでも、ログには先ほどの通知がはっきりと残っている。

 しかし――しかし、エレンは協力関係なのだ。それをまさか、天に差し出すことができようか? 約束を反故にすることになるのではないか。

 ……否。協力はあくまでRaSSに辿り着くまでの話であって、それ以降の行動を制約するものではない。

 アデルがエレンを天人に渡せば、それは功績として認められる。有用なレイヴンであると判断され、問題なく修理をしてもらえることだろう。

 でも。

 エレンは、この青年は、アデルにとってどうしても特別だった。その言葉に縋りたくなってしまうほどに。

 ずっと、一人でからっぽの都市を歩いていた。寂しいという感覚すらなかった。ただ錆びついた使命感だけが、アデルを――否、【α-delta】を彷徨わせていた。

 エレンと出会ってからすべてが変わった。彼は最初に、アデルを食事へと誘ってくれたのだ。まるで人間を相手にしているかのように。

 失ったはずの左目が、強く疼く感覚。

「んん……ぅぁ……」

「っ!?」

 呻き声に、アデルは身を強張らせた。が、どうやら寝言であったらしく、エレンはごろんと寝返りを打ってまたすやすや寝息を立て始める。

 なんだ、と肩を撫で下ろしたところで。

「――アン」

 エレンが、彼の妹の名を呼んだ。眠ったままに、しかしひどく愛おしそうに。

 燃える氷のような、冷たい炎のような、今までにない感覚がアデルの回路へと侵食する。怒りのようで悲しみのようで寂しさのようで、そのどれでもなかった。

 認めよう。アデルにとって、エレンは特別だ。

 けれど、エレンにとってのアデルは、特別なんかではないのだ。

 優しい言葉をかけてくれはした。しかしこの流民は、出会って一日の相手を助けるために災竜の口に飛び込むくらいのお人よしなのである。相手が誰であろうとも、きっとエレンは慰めただろう。

 エレンが特別に思っているのは、天に攫われたという妹ただひとりで。

 自分が何か大きな岐路の前に立っているという予感を、アデルははっきりと感じ取った。

 つまり、エレンを天に引き渡し、自身はレイヴンとしての役割を取り戻すか。

 エレンが天の目に留まらぬよう庇い、自分は不良品として処分されるか。

 選べそうになかった。少なくとも、現状では。片方はアデルとしての死に等しい。片方は【α-delta】としての死に等しい。しかし、もうバベルはほとんど眼前まで迫ってきている。

 ……せめて。

 せめて残りの時間だけは、今まで通り過ごそう。そういうことを、アデルはエラーだらけの思考回路で結論付けた。

 決めるのは最後でいい。

 それまでは、この温もりがある時間を過ごしていよう。

 東の空に、ゆっくりとオレンジが染み出していた。黎明はすぐそこまで迫ってきていた。


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