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1-1【クリームシチューと星空と】

 褪せた色をした大地の上を、一条の赤い光が真っ直ぐに進んでいく。エレンの運転するフロートバイクの軌跡である。

 日の傾きかけた夕方だった。

 夜の運転は危険だ。だからそろそろ今日は休んだ方がいいな、と考えていたエレンは、前方に何やら人工物らしきシルエットを発見する。近づくにつれはっきりと見えてきたソレは、斜めになって半ば地面に埋まっている巨大な板だった。すっかり錆びついていて何が書いていたかは分からないが、恐らくは旧文明時代の看板だろう。

 アクセルを緩め、徐々に減速する。地面との摩擦がない、どころか向かい風までも何らかの超技術で防いでしまうこのバイクは、反面急ブレーキが不得意なのだった。

 シュゥゥン。

 穏やかな音に、バイクはしっかりと看板脇に停車する。

「今日はここに泊まろう」

「了解」

 アデルがバイクを降りる気配。エレンもすぐそれに続く。

 敷布やランタンなど野営の道具を一通り広げると、二人は向かい合って腰を下ろした。

「やっぱ早いなあ、このバイク。ほら、もうバベルがあんな位置だ」

 言いながら示す先には、黒々とした影がまっすぐにそびえている。山よりも高いそれは遥か空の上まで伸び、やがて暮れの藍に滲むようにして消えている。

 こくり、とアデルが頷いた。

変異生物モンスターと遭遇した際に足止めを受けない点、疲労の蓄積が少ない点なども含め、徒歩と比べ約二十倍の速度が出ている」

「そんなにか? ……いや、確かにそんくらいにはなるか」

 走っている途中、牙蟻メコレオの群れに出くわした。

 猫くらいの大きさをした蟻の変異生物で、その強い顎にさえ気を付ければ人の子供よりも弱いくらいだが、とにかく数が多い。知能が低い割に縄張り意識が強く絶対に逃げるということがないし、その上倒しても可食部位がひとつもないために見返りもなく、襲われるとかなり厄介な相手である。

 しかし、フロートバイクは牙蟻が走るよりずっと速い。衝突しないよう脇をすり抜けてしまえば、あとはぐんぐんと引き離すだけだった。

 徒歩であれば応戦するか、あるいは牙蟻の縄張りを大きく迂回するしかなかっただろう。ただ単純な速さ以上に、バイクは便利なものだった。

「じいさんは確か、歩いて百日っつってたよな? てことは二十倍なら……五日? え、明後日くらいには着くってことか?」

「肯定。このままの速度で進行した場合、恐らくは」

 はあ、と驚きやら感慨やらが混じった息を吐きながら、荷物を漁って夕食を取り出す。

 まず、肉。砂呑蛇アンフィス――のものではない。あれは痛む前にレヴィで食べ切った。そうではなく、前日にエレンが狩った岩鼠グレイブの肉である。血抜きをしてさばいての処理は終えているために、火さえ通せばそのまま食べても問題ない。

 それから例の白バケツも取り出して、さて、どう調理しようかと頭の中のレシピをめくる。岩鼠の肉は臭みが強く、ただ焼いただけでは美味くない。揚げれば多少はマシなのだが、毎日それでは飽きてしまうし、なによりまだ昨日の油で胃がもたれていた。

 しばらく悩んでいる内に、今ある材料でなんとか再現できそうなものを発見。必要な材料――ゴドリックから譲り受けたウイスキーの酒瓶、フル・ペーストのパック、ドライミルク粉末入りの容器を取り出し、敷布の上に並べた。

 水とドライミルクを白バケツに入れたところで、ふと、アデルの視線がじっとこちらの手元に注がれていることに気が付く。

「見ててもつまんないだろ。ちょっと掛かるから休んでてくれ」

「レイヴンに暇という概念はない。また、エレンの不合理な食料加工は理解の及ぶ行為ではなく、分析するに値する」

 料理をする様子が物珍しいため見ていて楽しい、という意味であると解釈しておく。実際、エレンはレヴィでの休息中も移動中も毎晩なんらかの料理を作っていたのだが、日に日にアデルからの文句は少なくなっているのだ。

 ともかく、エレンは愛用の高周波ナイフで肉を適当なサイズに切り分け、そこにウイスキーをだばだばとかける。臭み消しだ。ついでに軽くもんで、筋が切れるように祈っておく。エレンは正確な肉の下ごしらえの仕方を知らない。すべてアンの見様見真似である。

 こんなことに貴重な旧文明産の酒を――という気持ちもないではないが、まさかこんな強い酒を飲んで運転するわけにもいかない。それにアデルは飲まないわけで、そうなると自分ひとりで楽しもうという気にはならないのがエレンという青年だった。

 処理が終わったころには、白バケツの中身がぐらぐらと沸騰している。そこに肉、それからフル・ペーストを入れた。

 温度が高すぎると肉が硬くなる……というのを聞いたような記憶がぼんやりとあるので、多少出力を下げる。

 そうしたらもう、あとは煮えるのを待つだけ。

 立ち上る湯気をぼんやりと眺めているうちに、自然とエレンの瞼が重くなる。

 運転には慣れた。徒歩よりもよほど体力を使わない。

 そうはいっても、いつ逃げられないような変異生物が現れないとも、あるいは今風除け代わりにしている看板のような障害物がないとも限らないのだ。当然エレンの神経は張り詰めているし、それが緩めば眠くもなる。

「――エレン。肉は十分に加熱殺菌できていると進言」

 はっと、アデルの言葉で目を覚ます。言葉の通り、白バケツの中身はすっかりよく煮えていた。居眠りしていたのは、およそ十数分といったところか。

「悪ぃ、ちっと疲れてたみたいだ」

「……否定。フロートバイクの操縦をエレンに一任している自分に非があり、謝罪は不要」

「別に、歩きよりは全然ラクだよ。戦闘はアデル任せなんだから、俺にもちょっとくらいは役目があっていいだろ」

 荷物から皿を――レヴィで調達したものだ――取り出し、料理の大半をそちらに移す。なみなみと作ったので、大食い、もとい高出力のアデルでもひとまずは足りるだろう。スプーンも添えて、ほら、と差し出した。

 アデルは受け取るべく腕を伸ばし、しかし、手は皿の手前ですかりと空を切る。

「ム……」

 今度こそしっかりと皿を受け取ったのを確認してから、エレンは手を離した。


 人間は……否、人間に限らず大概の生き物が、二つの目を使うことで遠近感を把握している。思い返せば、あの片目が潰れた災竜の攻撃は空振りが多かった。

 アデルには今、片目がない。

 それが、フロートバイクの運転をすべてエレンが請け負うことにした理由である。障害物があったとして、現状の彼女はそれとの距離を正確に把握することができない。

 とはいえど、そこまで悲観的な話でもない。フロートバイクのおかげで変異生物との戦闘は避けられている。それにアデル曰く、万が一なんらかの戦闘が発生したとして、災竜レベルの相手でなければ【加速ブースト】で突っ込むだけで終わるのだから多少立体視に問題があろうが関係ない、という話であった。

 そして、アデルの目は天にさえいけば治るという。


 いただきます、とエレンひとりが両手を合わせる。

「……質問。この料理の名称は?」

「えっと……確か、クリームしちゅうだな」

「支柱……? 検索……完了、クリームシチュー」

 皿の中にスプーンを突っ込むと、中の液体にはどろっとした粘性がある。溶けたフル・ペーストのためである。

 食べてみれば、岩鼠肉から出た旨味、フル・ペーストの塩味がじわりと口いっぱいに広がる。例の苦みもさっぱり消えたとまではいかずとも、ドライミルクのまろやかさが半ばまで覆い隠してくれていた。

 悪くない。悪くないが、どうにもいまいち味のまとまりと奥行きがない。野菜でも入れたらマシになるだろうかとも思うが、生憎と荒野に生えているのは捻じれたかたちのまばらな木だけである。

 とはいえど、パサパサのフル・ペーストやら妙に淡白なドライミルクやらをそのまま飲み食いするよりは断然良い。というか、今回のこれは今まで作った料理の中でも結構な上位に入るんじゃなかろうか。

「どうだ、美味いか?」

「湯煮は生肉の加熱法として安全性が高い」

 お、とエレンは片眉を上げる。内容はともかくとして、珍しく高評価だ。

 が、アデルはスプーンを動かす手は止めないままに続けて、

「レイヴンは流民と違い非加熱の肉もエネルギーに変換可能だが」

 がくり、と肩を落とすエレン。

 一度くらいはアデルに『美味しい』と言わせたいが、残り三日ともなるとそれは叶わぬ夢かもしれない。

 そう、あと三日。あと三日で【バベル】に着く。

「もうちょっとだな。いや、アルカを叩きだされたときはどうなることかと思ったが、無事着きそうでよかったよかった」

「視力ゆえ、自分の戦闘力が低下しているのが懸念点。……兵器として非常に重篤な欠点にあたる」

 いや、とエレンは首を横に振った。

「もう戦う予定なんてないし、それこそおっさんの言ってた【死神】なんかに遭わなきゃ大丈夫だろ、別に」

 ム、とアデルが眉根を寄せた。

「進言、あれは信ずるに値しない。恐怖心による愚かな妄言であると推測」

「一人二人で集落の外を出歩いてると、死神がやってきて冥府に連れ去られる……だったっけか。まあ、ありきたりというか、子供が寝る前に聞かせる空想っぽいっていうか、俺も似たような話を百回は聞いた気がするけどさ。おっさん――ゴドリックさんがやけに真面目だったから、ちぃっと気になってな」

 それは、パライソ――バベルにほど近い集落に向かう、という話をした際に受けた助言だ。曰く、ここ一年ほどの間、パライソ付近で流民の失踪が頻繁に起こっているのだという。

 しかし、アデルはふるふると首を横に振った。

「推測……流民は戦闘力が低く、少数で変異生物と接触すれば当然敗北ないし死亡のリスクは極めて高い。そこに妄想が付随したのだろう」

「それにしちゃ、地域が限定的なのが気になるけどな。よりにもよってパライソ周辺っつー話だっただろ?」

「仮に事実だとして、警戒のしようがない。ゆえに考察する必要性は皆無。だいたい、あのゴドリックなる流民はパライソ付近を一人で通過したという話だった。死神には襲われていない」

 そりゃそうか、と肩をすくめた。エレンとて本気で信じているわけではなくて、ただ、厄介な変異生物でもいたら嫌だなあと思ったくらいだが――よくよく考えれば、災竜以上に厄介な変異生物などいるはずもない。

 すっかり夕食も食べ終わると、日はもうとっぷりと暮れていた。

 何とはなしについ、と空を見上げたエレンは、やはり何とはなしにぽつりと呟く。

「今日も星が綺麗だな」

 事実、いつかと同じようによく晴れた日だった。空気も澄んでいて、満天の星と月、ライトベルトの三つが燦然と輝いている。

 ひとり言のようなものだったが、それを聞いたアデルがぱちくりと瞬いた。いつかと同じように話を流されるだろうな、とエレンは予測した。

「……質問。綺麗、とはどういう感覚か」

 軽く、目を見開く。

「光っているものが好ましい、ということか。推測……流民は昼行性、暗所での活動を不得手としているから?」

 アデルが彼女なりに、エレンの持つ感性に寄り添おうとしてくれている。それに嬉しさと一抹の寂しさを覚える。

 ゴールは、別れは近い。エレンがアンを連れ戻して、アデルは天に迎え入れられて――その後も、アデルはエレンのことを覚えていてくれるだろうか?

「そうだな……」

 慎重に、エレンは言葉を選ぶ。しかし困ったことに、なぜ星空を綺麗だと思うかを言い表せるほど自分は口が上手くない。

「アデルの言うことも正解かもしれない。満月の日は明るくて安心するしな。でも、それだけじゃなくて……ええと、こう、普段使いのライトはそんな綺麗じゃないっていうか……誰が作ったわけでも命令してるわけでもないのに光ってて……星は綺麗だって思われるために綺麗なわけじゃなくて……」

 ああダメだ、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた、と、エレンの声がだんだん小さくなっていく。

 ふむ、とアデルは首を傾げた。

「重ねて質問。エレンにとって一番に好ましい天体はどれか」

「一番? 考えたこともなかったけど……強いて言うならあれかな」

 指さす先は、遥か北の空。

「ほら、あの導き星。ずっと同じ位置で光ってて、助かるってのもあるけど、カッコいよな」

「カッコいい?」

 ああ、とエレンは頷く。

「データを検索……完了。あの星の正式名称はこぐま座α星。地球における北の極星にあたる、と」

「アルファ? へえ、アデルとお揃いだな……ふぁ」

 じわりと忍び寄ってきていた眠気に抗えずあくびをすると、アデルが毛布を投げ渡してきた。

「忠告、そろそろ睡眠状態へ移行したほうがいい」

「そうだな、そろそろ寝るとするか……」

 ランタンを消し、防風防寒機能を備えた特殊繊維の毛布を広げ、耳まですっぽりとそれを被る。夜は冷える。野ざらしならば尚のことだ。

「じゃ、おやすみ、アデル。また明日」

「おやすみなさい、エレン」

 睡眠の必要はないからと座ったままのアデルが、数日前に教えたばかりである人間流の挨拶を口にする。それが妙にこそばゆくて、エレンはこっそり毛布の中で笑みを浮かべていた。

 ここ数日は、移動ばかりで代り映えというものがない。けれど、エレンは日が昇るのが楽しみだった。


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