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5-2【光を見送る】

 レヴィというこの集落……元・集落は、旧文明遺跡の残骸から湧き出る泉を一番の特色として成り立っていた。

 潤沢な水というのは貴重な資源である。それも、ろ過して浄化粉末を混ぜずに飲める綺麗なものとなれば尚更だ。

 いくら飲んでも尽きぬほどの水量をたたえたこの集落には、とんでもない名物があった。なんと体をまるごとぬるま湯に付けて洗うという、公衆浴場なる施設である。雨水タンクに繋がったシャワーすら数日に一度、基本的には濡らした布切れと消毒スプレーで清潔さを維持していた旧都市遺跡暮らし時代のエレンからしてみれば、そりゃもう考えられない贅沢である。

 さまざまな温度の泉の内、シャリーが案内してくれた適温のものに身を沈めるエレン。

「ああ……っつう、生き返る……」

 負傷している肩や全身の古傷にぬるま湯が沁みるが、それすらも心地よい。

 横のシャリーも、たくましい筋肉を湯に沈めながら頷いた。

「ほーんと。ココから出て行って最初に困ったのが、お風呂ナシ生活のストレスだったわねえ」

「俺も明日から耐えられねえかもしんないな。いや、マジで最高……」

「……質問」

 くぐもった声が、泉の中央に据えられた合金板越しに聞こえてきた。

「なぜ、わざわざ仕切りを? 視界が確保された方が安全では」

「悪いんだけど、俺たちの倫理と道徳の問題なんだ。……頼むから出てこないでくれよ?」

 アデルが服を脱げるのか、それともあれもまた肉体の一部なのかすら分からないが、少なくともエレンとシャリーは全裸である。アデル自身がどう思うかはさて置いて、異性の見た目をした相手との混浴はさすがに勘弁願いたい。

「不合理……会話による意思疎通にも適していない……やはり自分もそちらに」

「そういえばエレンくん! 急に空から降ってくるんだもの、アタシってばビックリしちゃったわ! どうやって降りてきたの?」

 ナイス、とエレンは心の中でシャリーに賛辞を贈る。この状況で、アデルに話題の主導権を握らせるのはマズい。

「いや! 大した話じゃなくってな。塔は鉄筋を組み合わせてただろ? それにワイヤーをこう、引っ掛けて、落下して、鉄筋の上に着地して、またワイヤーを……って繰り返しただけだよ」

「だけって……雷鳴塔の展望フロアから地上まで、何百メートルあると思ってるのよ。一発でも手なり足なり滑らせたら真っ逆さまじゃないの」

「だからって、待つだけってのは性分じゃあないからな。……いや、実際途中で二回くらい着地し損ねて死ぬかと思ったけど」

 そのまま命綱たるワイヤーガンを手放してしまっていたら、今頃エレンはコンクリートの染みになっていたに違いない。それでも、アデルが戦っているのを悠々と眺めていられるわけはなかった。

「訊きたいことといえば、こっちもなんだけどさ」

「ああ、はいはい。アタシのマヌケな自殺特攻のこと?」

「おう……まあ、そうなんだけど……」

 本人からそんな言われ方をするとは思ってもみなかったので、エレンは肯定すべきか否定すべきかともごもご言葉を濁らせる。

 シャリーは自嘲気味に笑う。

「ねえ、エレンくん。生きていくのに必要なものって、なんだと思う?」

「え? ……メシより寝床より大切な何か、ってヤツか?」

 いつぞやに老人から聞いた話を思い出して答えると、シャリーは軽く頷いた。

「アデルちゃんにはちょっと話したんだけどネ。アタシ、親父と大ゲンカして家出して、それでレヴィを飛び出したのよ」

「喧嘩? なんでまた」

「アタシが家業を継ぐのを断って、それにブチ切れたあの飲んだくれがアタシのバイブルをばらばらにしてくれちゃったの。こう、旧文明時代の分厚い本だったんだけど」

 太い指が宙に走り、両手くらいの大きさをした四角形を表す。

「表紙が破れて、中身もぶわっと舞い散って……今度はアタシがそれにブチ切れて家出。なんてったってアタシ、夢があったのよ」

「夢?」

「お姫さまになりたかったの。ステキな勇者さまが見つけてくれて、きらきらした物語の世界に連れて行ってくれるような……まあ、すぐに叶いっこないって分かっちゃったんだけど」

 それでね、と言葉を続けるシャリー。

「外に出て分かったのは、世界にもう夢なんてないってことだった。あるのは精々、酒やら幻覚剤やらで見る一時の幻くらいなもので……いつの間にか、アタシも親父とおんなじ飲んだくれになってたわ。でも、そこでまた一つ見つけたのよ。生きるための火を」

 シャリーが指さした先にあるのは、並べて置かれた荷物とバイク。その中、琥珀色の液体をたたえた現代において希少な瓶。

「旧時代のウィスキーなんて、飲んだくれには至高の一品だわ。それを持って帰って親父と呑んで、親父に謝って……でもやっぱり本のことは許せないから、謝るように言って。それで親子仲良く語り合えたら、どれだけ素敵でしょうって」

「それで……ここに?」

「ええ」

 すっかり滅びた集落の中、シャリーはふうっと嘆息する。

「この通り、親父はとっくに災竜の腹の中。そりゃショックだったわ――後を追おうと思うくらいには」

 でもね、とシャリーは空を見上げる。

「ほら。死んだ後に体を燃やしたら、煙と一緒に魂が空へと上って天国に行けるんでしょう? それならあのトカゲ野郎をやっつけて、親父を見つけて天国に送って、それを追おうと思ったの。天国で一緒に飲んだくれようって」

 それはシャリーにとって、残った最後の灯火だったのだろう。そんなことを、エレンは思った。

 生きていくために必要なもの。その意味を、ようやく朧げながら理解し始めていた。火が、熱が、光がいるのだ。この世界は終わりかけていて、未来なんてどこにもなくて、だからこそ、他に必要なものがあるのだ。暗闇に沈む道の先を照らす、明るいものが。

「だってのに、とうとう死体のひとつすら残ってないって分かっちゃった。あのクソトカゲ……じゃない、災竜は暴れてアタシの実家まで壊しかけるし、もう、どうしたらいいか分かんなくなっちゃってネ。……でも、アンタたちを巻き込むのはダメだったわ。それは本当にごめんなさい」

 深く、頭を下げられる。

 怒る気にはなれなかった。

「……でも、死ぬのはダメだよ、やっぱりさ」

 そういう、空虚な返しをすることしかできない。そうね、とシャリーもまた空虚に笑った。中身の伴わない、空っぽのやり取りだった。

 エレンにとっての光とは、アンと交わした約束のことだ。それが消え去ったとき、シャリーと同じ道を辿らないと言い切れるだろうか?

「……そろそろあがりましょ。のぼせちゃうわ」

 そうだな、とエレンは頷いた。


 そこらの空き家から、窓覆いの布を拝借した。

エナジー・バーの生産プラントに立ち寄って、タンクから数瓶分の機械油をかっぱらった。

 布に油を沁み込ませ、災竜の体を覆うようにしてかければ、準備は完了。あとは着火するだけだ。

 休憩を挟みつつの作業が終わったころにはもう、すっかり日が傾いていた。

 薄暗い中、エレンが災竜へと光子拳銃を構えると、アデルがついっとその袖を引っ張った。

「要請。自分にやらせてはくれないか」

「ああ。もちろん……撃ち方はわかるか?」

「肯定」

 アデルはよどみない動作で出力を弄り、安全装置を外すと、細い指をトリガーにかけた。

 乾いた音。

 ぱち、と油の染みた布に火花が散った――かと思えば、それはすぐに揮発した機械油に燃え移り、ごうっと高い炎をあげる。炎はすぐに鱗を焦がし、災竜まで達するだろう。

 黒煙が立ち上っていく。

 その先、はるか高みには西日に隠れかけ、ぼんやりとライトベルトが輝いている。

「……RaSSからも、この火は見えるのかね」

「不明。しかし、こちらからRaSSが視認できるのだから、望遠装置を使えば認識できるかもしれない」

「え?」

 エレンは目を丸くする。

「RaSSって天のことだよな。見えるのか?」

「肯定。正しくはRaSSより洩れる光ではあるが、今も見えている」

 そう言ってアデルが示したのは、星々に囲まれ地平から地平へと伸びる光の帯、ライトベルトであった。

「て……天って、ライトベルトのことだったのか。もっとこう、天国的な、概念的なものかと……」

「否定。RaSS――正式名称【Roundabout Space Station】は、黄昏以前に建設された環状宇宙ステーションであり、天国などではない。住んでいるのも神ではなく人間」


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