アデルが前衛、シャリーが後衛の並びで門をくぐり、レヴィの中に入る。
「……あら、襲ってこないわね。いつもならこの辺で体当たりかましてくるのに、どうしたのかしら」
「説明、災竜は睡眠中だった。負傷も激しい。まだこちらに気付いていないのだろう、と推測」
「寝首を掻く……ってわけにはいかなそうね、あの高さだと。でもまあ、楽に近付けるのはよしとしましょう――あ。アデルちゃん、そっち地盤が脆いから陥没したりするわ。こっちから行きましょ」
シャリーに先導されるままに、アデルは水場や増築された小屋の数々によって迷路のごとく複雑怪奇なレヴィ内を進んでいく。
中に入ってみて感じたのは、息遣いだった。
アデルはずっと旧都市遺跡にいた。あそこだって、昔はたくさんの人がいた場所である。しかしここは本当につい最近まで、誰かが住んでいた場所なのだ。
水場の側に、蓋の開かれた水筒が転がっている。
コンクリート壁に白い丸とバツの印が並び、つたない署名らしきものが添えられている。
小屋の戸が開け放たれ、室内の机では編みかけの繊維塊が製作者の帰りを待っている。
アデルは水を汲もうとする誰かを、丸バツゲームで遊ぶ子供を、編み物をする老人を、ぼんやりと幻視した。今はもうどこにもいない、誰かのことを。触れれば、温もりすら残っているような気さえした。そういう濃さが、未だ時間に希釈されきらず漂っていた。
自然、歩調が早まる。
「……変ねえ」
シャリーが呟くので、アデルは意識を彼へと戻す。
「がらんどうすぎやしないかしら。アタシ、知り合いの死体にごろごろ対面するくらいの覚悟で来たんだけど」
「喰われたのだろう」
「だったとしても、骨とか食べ残しくらいはあるはずじゃない?」
アデルは視線を下げ、沈黙する。【ニーズヘッグ】シリーズについてはデータベースに記載がなく、微かな断片を聞いたログを辿るしかない。
その間にもどんどんと進軍は続き、気が付けば遠かったはずの塔の根元が曲がり角の向こうに見えた。巨大な塔だとは思っていたが、近付くとさらに大きい。四つに分かれた基礎部だけでも、そこらの小屋の三倍は太いだろう。
そんなことを片隅で思考しつつ、アデルはログを処理しきった。
「――検索完了。アレは飛行のため、体内に小型の【炉】……エーテル、神の光の生成器官を持っている。それによって骨までの分解が可能であり、ゆえに死体は残っていないのでは」
「…………ンだそれ」
地の底から響くような声がした。
視線を戻したアデルは、不可解さを覚えて首を傾げた。
このシャリーなる流民は、こんなに凄まじい形相をしていただろうか、と。
それと同時だった。
『ギュオオオアアアアアッ!』
高く、咆哮が聞こえた。
「敵対存在の臨戦態勢を確認。戦闘準備を」
「……ええ、ええ。任せてちょうだい」
アデルは鞄に片手を添え、シャリーは背中の銃を抱える。災竜はもうひとつ濁った吠え声を放つと、ばさりと大きく翼を広げた。
「コマンド:【
唱え、左目を瞑る。視界がぐっと拡大され、遥か高みを飛ぶ災竜のウロコすら数えられるまでになった。
その前足にエレンはいない。まだ、塔の上にいるのだろう。
ならば、手加減をする必要はない。アデルはぐっと拳を握る。
「情報共有。自分が【
「作戦は? あるんでしょ、エレンくんが考えたのが」
アデルは返答に代わり、ずしりとした鞄の中身を取り出す。すぐに、むわっと生臭さがわだかまった。
「なにそれ、生肉? お弁当?」
「肯定、否定。これの内部にはアルコール飲料を封入している」
昨晩準備しておいた、エレンの提案による簡易的なトラップだ。たっぷり持っていた
「災竜と呼ばれるアレは、飢餓衝動に襲われている。特に蛋白質の不足が推測され、肉食の欲求が強いだろう」
「毒餌猟ってことね。食わせて弱ったところをアデルちゃんがブン殴ってゲームセット……あら、アタシ必要ない?」
丸太のように太い首を傾けるシャリーへと、アデルはかぶりを振った。
「敵は嗅覚を喪失ないし大幅に減衰させており、肉を視認させなければならない。援護を要求」
「なーるほど。じゃ、あの汚ねえツラに鉛玉ぶち込んでやりましょうか!」
光子銃なのだから放たれるのは鉛ではないのでは、という指摘は思考するに留め、アデルは体にめぐる代替エネルギーを足へと集中させた。
曇天で薄暗い中、ぬっとひときわ濃い影が二人へ落ちる。
『ギョギュギャアッ!!』
「遅い」
急降下ざまに叩き付けられた尾の一撃は、地面を舗装するコンクリートを放射状に叩き壊しただけだった。身構えていたアデルは軽く跳躍し、空中で一回転をして隣にあった建物の斜め屋根に着地する。そして、見せつけるように片手の肉塊を揺らした――が、災竜はすぐに急上昇をしており、興味を示した様子はない。
「地面舐めさせてやるわよっ!」
パララララ、と特有の軽い音が響き、まばらな光の粒がそれを追った。シャリーの光子銃による射撃だ。
それは腹と尾にいくらかヒットしてジュッと鱗を焼いたものの、ダメージになっている様子はない。災竜は苛立たしげに泡立つような唸りを響かせ再び急降下、今度はシャリー目がけて前足を振るおうとした。
「っ、させない!」
アデルと違い、回避もままならないはずだ。急いで間に入り、落下の勢いを乗せた蹴りを放つ。それは狙い違わず鋭い鉤爪に命中し、鈍い音を鳴らした……が、あまりにも質量差が大きい。【
膝を柔らかく曲げて着地したアデルに、今度は逆の前足が迫る――が、これは避けるまでもなく空振りだった。背後にある合金板を組み合わせたのだろう小屋の壁が、まるで飴細工のようにぐにゃりと捻じれて拭き飛ぶ。飛翔能力だけではなく膂力もエーテルで強化しているらしい、とアデルは脳内メモリに書き記す。
しかし、どうにも肉を食おうとする様子がない。
アデルは試しに、ぽーんと肉塊を放り投げてみた。山なりの軌跡を描いたそれは、十メートルほど先の地面にどさりと着地する。
投擲武器かと思ったのか、災竜は確かにそれを目で追った、が。
『ギョゥゥウウアアアーッ!』
「……っ、」
「うぎゃあっ!?」
爪も尾も使わない純然たる体当たりが降り注ぎ、アデルはとっさに自分の二、三倍は体重のありそうなシャリーを抱え上げ、飛び込むように回避をした。今度は着地も上手くいかず、ズザザと靴底が地面を削る。
「びび、びっくりしたあ! なによあのトカゲ、アタシたちばっかり追っかけてくるじゃないの!」
「……推測。できるだけ新鮮な肉を優先している?」
「新鮮な……アタシたちのこと!? ちょっと、アデルちゃん怖いこと言わないで!」
なんて悲鳴をあげながらもすぐに地面へと降りて巨大な銃を構えだすシャリーは意識からいったん追い出して、アデルはどうしたものかと思考を巡らせた。
もちろん災竜もゆっくり考えさせてはくれず、すぐに追撃が襲い掛かる。曲芸じみた宙返り飛行から、遠心力を乗せた尾の叩き付け。戦闘力を危惧したのだろう、狙いはアデルの方だ。
今度は塔の基礎部へ跳び、鉄筋を組み合わせたような構造の隙間に片足を引っ掛ける。そこを支点にもう一段ジャンプをして高度を稼ぎ、アデルは災竜の背中、首の根元あたりに着地しようとした。
そこならば攻撃を喰らわないのではないか、という推測のため――だったが、災竜はすぐに錐もみしつつ急上昇。跳躍を躱された上に翼で軽く弾かれたアデルはしかし空中でバランスを取り、転がるようにして衝撃を分散させながら着地した。……少々失敗したようでコンクリートがひび割れたが、自身にダメージはないのでよしとする。
体勢を立て直すと、偶然先ほど放り投げた肉塊がすぐ隣に転がっていた。それをまた拾い上げ、土埃にまみれてますます食欲の湧かなそうな見た目になったそれをどう食わせるか思案する。
自ら食べないというのならば、直接口に叩き込むしかない。二発限りの【
しかし問題がある。アデルはリィングラビティを使えず、空中での方向転換ができないのだ。
対して災竜は縦横無尽に飛翔をしているわけで、ただ突っ込めば先ほどのように回避されるだけなのは想像に難くない。
だからこそシャリーに援護を頼んだのだが、光子銃は牽制にすらならないようだった。
気を引くことくらいはできそうだが、それで無防備なシャリーが狙われては意味がない。自分が囮に、いや、それでは誰が肉塊を口に叩き入れるのだ。
ダメだ、とアデルは首を振った。レイヴンは単体運用を想定された設計をされており、誰かと連携して動くための戦略を作るための思考回路がないのだった。援護しろと言ったはいいものの、具体的にどう援護してもらえばいいかが分からない。
思えば
万全であれば、こんな、使命を放棄した蜥蜴風情に負けるいわれなどないというのに。他の手を借りねばまともに戦えもしない現状が、アデルはどうにも歯がゆかった。
災竜の突進が迫る。跳躍で回避する。体に隠れ、追撃の尾がしなった。
「――ッ!」
ギリギリ、空中で身をよじってそれを避けた。が、鋭い先端がフードを破いて頬を掠め、ぴ、と浅い傷を刻んでいった。赤い循環液が散る。目の奥に異常アラートが弾ける。軽微なものだ、通知を切って空きメモリを五感強化にあてがう。
もたない、このままでは。
動くことはやめず、時にシャリーを庇いつつ、アデルはじわじわとした焦りがにじり寄ってくるのを感じていた。
相手もこちらの動きに慣れてきていた。後はもう、時間の問題だ。いずれアデルの回避は見切られ、一撃で決着がつくだろう。そうなる前に、どうにかしないといけなかった。
何かがいる。何か、現状を打破するための鮮烈な一手が。