彼方に飛び去る災竜を、アデルは睨みつけるようにして見上げていた。
己の中のバイタルデータをセルフチェックする。視覚、聴覚、平衡感覚、その他数十に渡る箇所に軽度ないし中度の異常あり。しかしこれは定期メンテナンスをしていないことや、ここ数日の不明なエラーに起因するものである。【加速】のミス、及びそれによる地面への突撃による追加の故障はない――現状確認できる範囲内では。
それはつまり、あの失敗兵器を追跡、および討伐せしめるにあたって、何の問題もないということだった。
早くしなければ。早くエレンを救出しなければ、取り返しのつかないことに――
「――ちょっと、アデルちゃんったら!」
大きな声が、アデルのメインメモリに割り込んできた、
振り向く。呼称・シャリー、正式名・ゴドリックなる流民の男が、アデルの側まで近づいてきていた。
「ショックなのは分かるけど、ぼうっとしてる場合じゃないわよ! こうなったら、一緒に今すぐレヴィに乗り込むっきゃないわ」
何を言っているのか、とアデルは視線に力を込める。流民にしては高出力そうな見た目であるが、災竜になすすべもなく飲んだくれていた弱者である。
「自分のみで十分。同行は必要ない」
「もう、一途なのはカワイイけど、今はそんな場合じゃないでしょう。だいたい、レヴィがどこかとか、災竜の根城はどこかとか、アデルちゃん一人で分かる?」
「……訂正。確かにあなたの知識がいる。謝罪、および同行を要請」
セルフチェックに引っかからなかったけれども、どうやら思考用の処理系列がエラーをきたしているようだった。その通り、アデルのデータにレヴィなる場所の情報は存在しない。案内役は必須である。
「いいわよ、そんな。アタシは装備と、急ぐならバイクもいるわね。取ってくるから、アデルちゃんは準備運動でもしててちょうだい」
そういうなり踵を返すシャリーを見ながら、アデルは自身の背を確認した。機械翼――半重力機構たるリィングラビティは収納済みだ。荷物、つまりはエレンに渡された肩掛け鞄も持ち出している。問題はない。
少ししてキュインと高い駆動音がし、シャリーが姿を現した。フロートバイクの運転席にまたがり、テント内のどこに置いていたのか、アサルトライフルタイプの光子銃を背負っている。
促されるよりも早く、アデルは後ろのタンデムシートに座る。
「席の横にレバーがあるから、振り落とされないように掴んでね。あ、アタシの腰に捕まってくれてもいいけど?」
「要請。発進を」
「まだエンジンにエーテルが回りきってないのよ……よし。行くわよ!」
フロートバイクは地面にタイヤを接触させない都合上、加速が素早い傾向にある。逆に急ブレーキは苦手なのだが、とにかく急がねばならない今この時は好都合だった。
まるで一条の矢のように真っ直ぐに、二人を乗せたバイクが赤茶けた地の上を疾駆する。なだらかな丘のようになっている場所を上りきると、その高低差によって隠れていた先の景色が姿を現した。
「……質問。あれが、『レヴィ』?」
「そうよ。アタシの愛すべき故郷!」
速度とそれによる強い向かい風に負けない声量でシャリーが叫ぶ。
まず目に飛び込んでくるのは、曇天の下でもわずかな光を反射する大きな水たまりだった。それらは灰色で平べったくて屋根だけ斜めに傾いた、二ダースほどの建物の群れ――旧文明遺跡だろう――に囲まれて、そこかしこに太かったり細かったりするパイプが這っている。狭い隙間を縫うようにしていくつも並ぶ不格好な真四角の小屋、こちらは後から流民が廃材なりで建てた居住スペースか何かだろう。それらはこれまた灰色の厚い壁にぐるりと囲まれており、手前と奥の二カ所だけ門らしきものがあった。
「コマンド:【
小声で呟くと、アデルの右目がキュィンと音を立てた……が、左目は沈黙している。どこか故障しているのだろう。そう思ったところで、視界半分が一気に拡大された。特殊機能【
何度か左目の再稼働を試みたが、今も視界を走り続ける黒い雨のようなノイズが増えただけだった。問題は疑似神経回路か画像処理域か、とにかく壊れているのは現状どうしようもない。これ以上無理に負荷をかけ続けたら、完全な視力の喪失もありうる。
アデルは仕方なく左目を瞑り、細かくレヴィの様子を確認した。どうやら、元は何かの生産施設だったようだ。張り巡らされたパイプは冷却水を運ぶためのもので、しかしあちこちで割れたりひしゃげたりしている。いくつか見える水面も、冷却水が漏れ出たものだろう。建物の屋根や壁もひび割れ、隙間からひょろりとした草木が生い茂っている場所さえあった。半ば倒壊して瓦礫と化しているものもある。あの【アルカ】と比較するとずいぶんボロボロだ。
門の上部に、天の文字が書かれているのが見えた。【第――番――――力発電施設】。半分ほどが雨風のためか潰れていたが、アデルはどうにかその文字を読み取った。
三百前後の人間が働いていた、そして同数程度の流民が住んでいたのであろう規模だな、と面積や生産プラントの形式からアデルは推測をする。
それらに囲まれた中央には、色あせた赤と白に塗り分けられた三角形の建築物がある。上から四分の一ほどの位置に四角い出っ張りが突き出ていて、その上には巨大な爬虫類のシルエットがあった。
アデルはさらに左目の視野を狭め、拡大し、細かく様子を見る。やはり鼻面はぐちゃぐちゃ、潰した片目だけでなくもう片方の目も硬く閉じられていた。寝ているようだ。それはそうだろう、と思った。あの大怪我では、不調どころの話ではないだろう。放っておいたらそのまま衰弱死する可能性も十分にある。
しかし、そんな悠長を言っていられる場合ではなかった。災竜の鉤爪の隙間に挟まるようにして、ひとつの人影が見える。
それの胸が上下しているのを確認したところで、アデルは左目を開いた。同時に右目も通常モードに戻す。地味にエネルギー消費が馬鹿にならないのだった。
「災竜及び救助対象の生存を確認。中央、元電波塔と推測される高層建築物の上部」
「雷鳴塔ね。馬鹿と煙とクソトカゲは高いところが好きなのよ」
シャリーが頷いた。
「あそこに陣取ってるから、たとえアタシがたんまり酒瓶を背負って喧嘩売りに行ったところでちっとも手が届かなくってね、ムカつくったらありゃしねえわ」
「質問。だから、離れた位置に拠点を?」
「それだけじゃなくて、レヴィに入ろうとすると襲ってくるのよ。なんていうの、死に物狂い? さすがにウイスキーを直接ぶっかけてやったら逃げたけど、それだって近くでじーっと見張ってくるもんだから実は一度も里帰りできてなくってネ、こんな近いのに。何か致命打を用意しない限りはどうしようもなかったわ」
「今、その致命打を用意した、と」
「そ。アデルちゃんがブン殴ればなんとかなる。でしょ?」
生物兵器は素体がある分安価だが、レイヴンのほうが全体的なスペックは高い。
そうなると結局、どうやって空の上から引きずり下ろすかがが主題となってくるだろう。
アデルは背中側に回した鞄に視線をやって、それを落としていないことを確認する。