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3-1【飢エルモノ】

 ――ソレは。

 終わりのない飢餓を、身の内に抱えていた。


 嗚呼、腹が減った。

 腹が減った。腹が減った。腹が減った。腹が減った。腹が減った。腹が減った。


 ソレが元いた場所には、たくさんの同胞がいた。餌の出てくる光もあった。それは、かつての主人が《バイヨウニク》と呼んでいたもので、喰らい続けていれば飢えることもなかった。だから、ずっとそこにいた。

 何度も暗くなり、明るくなった。時には小さな動くものが侵入したから、それを喰いもした。

 気がつけば同胞の数が減っていた。身の内の光に侵されたのだった。どうでもよいことであった。生きている、餌はある、ならばここにいればいい。ずっと、ずっと。

 ソレは最早、自身のかたちを忘れかけていた。

 けれど、ふと思ったのだ。

 自分はただ肥え太るために生まれてきたのだろうか、と。昔には――ずっと昔には、何かが、餌よりも外敵の排除よりも大切なものがあったはずではなかったか、と。

 そうだ、主人。

 ソレは、とある存在を思い出した。自分や同胞よりもよほど小さく頼りない、しかし数多の光を従え操る――無論、光を身の内に飼うソレをも従える、唯一の絶対であった。

 思い出したとたん、漠然とした欠落が明瞭になり襲い掛かってきた。今までに感じたことがないまでの飢えに、ソレはたまらず住処を飛び出した。残った同胞が愚かであると嗤っていたが、気にする余裕さえなかった。

 探さなければ。

 己へ意義を与えてくれるものを。身の内の空虚を満たすものを。

 探して、探して、探して、探した。どんどんと腹が減った。小さな動くものを喰った。飛んで、飛んで、飛んだ。飛ぶと腹が減る。小さな動くものを喰った。飛んで、飛んで、小さな動くものがたくさんあって、喰って、何を探している? 足りない。腹が減った。餌の出る光がある。違う。足りない。腹が減った、腹が減った、嗚呼腹が減った!

 一度、飛べなくなるほどまで喰らいもした。しかし飢餓は消えない。否、むしろどんどんと広がっていき、己の全てを塗り潰していくようだった。

 視界は紅に染まり、何を求めているかも思い出せない。ただ足りない。そうだ、足りないのだ。それはつまり、何かを喰らえばいいということだ。アテならある。

 死の水を持つ、小さな動くもの。あれを喰えばいいのだ。

 しかし、死の水の臭いは強く、飢餓すらも突き抜けてくる。近づきあぐねていると、都合の良いことに別の小さな動くものが現れた。

 さあ喰おうとあぎとを開き――しかし、ソレは気づいたのだ。

 その小さな動くものこそが、己の内に燃えて燃えて燃え盛る、今なお全てを焼き切らんとする、強烈な空腹を唯一満たすものであると。

 嗚呼、嗚呼、嗚呼!

 無上の歓喜に打ち震え、ソレは腕を伸ばし――しかし、手に入れることは叶わなかった。小さな光持つ者が、ソレの片目を潰したのだった。その上、唯一は死の水の中へ入っていってしまった。

 しかし視界の半分が消失して、ソレは気がついた。

 そうか、目がなくなれば見えなくなる。ならば鼻を潰せば、死の水の臭いも分からなくなるではないか! 本能が忌避するあの強烈な臭いだろうと、感じなければ何の問題もない。

 素晴らしいアイディアだった。飢餓の消失を目前にして、深紅に滲んでいた思考がわずかに鮮明さを取り戻したからかもしれなかった。

 とにかく、ソレは高く高く飛び、顔をぴたりと地面へ向けると、翼に集う光のチカラを止めた。落下し、地面に鼻先が当たった途端、まるで動くものが潰れるときのようなぐちゃりという音がした。視界を覆う深紅のような水がまき散らされた。

 そして? そして、そして。

 暗闇に身を横たえ、数時間が経ち。夜明けが訪れた。

 曙光の中、ソレは再び身を起こす。その顔は半ばほど潰れていたが、しかし身の内に燃ゆる飢餓は変わらずソレをいていた。

 嗚呼。足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない。足りないのだ。何が? 何が足りない? 己を満たす、何もかもが。

 がちゃり、と翼を広げ。

 ソレは――流民に災竜ドラゴンと呼ばれ、それより前には《リィングラビティ及び特殊炉搭載型生物兵器試験機―Ω・第七号》と呼ばれていたソレは、空へと躍り出た。


 †


――ピィィィィィィィッ!


 明朝。

 エレンを起こしたのは、窓より注ぐ日差しでも空腹でもなく、耳をつんざくような高音だった。

「っ、何事だ!?」

 すわ襲撃か天変地異か、と驚愕しつつも、エレンの行動は早かった。

 被っていた毛布を高く跳ね上げ動きを攪乱しつつ、素早く一回転半して四つん這いに。片手で腰の光子銃を抜いて構え、親指で安全装置たる目盛りを弾き、油断のないファイティングポーズをものの二秒で完成させる。

 空気抵抗をたっぷりと受けた毛布が、ふわりとゆっくり着地した。そうしてようやく視界に入ってきたのは、

「……ええと、アデル?」

「ふぉうふぇい。ふぃふんのふぁりふぉうろくふぇいはあふぇる」

「その、何してんだ?」

「ふぃふぇのふぉうり」

「と、言われてもだな……」

 目の前に立っているのはアデルだ。それは間違いない。

 ただ、彼女はなぜだか自分の人差し指をがぷりと咥えて、ぷくりと頬を膨らませていた。爪の先に息を吹き込んでいるようだ。

 そして、自分を叩き起こした謎の高音――今なお鳴り響いてほんのりと頭痛を引き起こしているそれ――は、エレンの耳が正しければ、その指から鳴り響いているように聞こえる。

 ぷは、とアデルが指から口を離した。同時に、不快な高音がぴたりと止む。

「説明……レイヴンの示指は警笛の機能を有する。声帯部分や通信機能が破損しても簡易的な意思疎通が可能」

 こういう体のつくりの違いを見せつけられると……それもこう、『ナイフの持ち手部分に緊急用のライトとホイッスルも埋め込んでおきました』のごとき実に合理的なつくりを見せつけられると、アデルが自分と同じいわゆる人間ではないのだということが身に染みるようだった。

「ちなみに、どうして今それを?」

「レイヴン同士の意思疎通用の他、生物避けも兼ねている。極めて不快な高周波を設定されているため、起床を促すのに適していると判断」

「そうか、次から優しく名前でも呼んでくれ。とっさに転がったからすげえアバラが痛い」

 意識が戦闘用から平時のものに切り替わると、遮断されていた痛みが一気に降りかかってきた。一晩寝ても昨日の傷は治ることなく、むしろ今の無茶な動きでやや悪化した節がある。

「ム……了解した」

「頼むな。……ちなみに、その極めて不快な高周波っての、アデルは聞いても大丈夫なのか?」

「レイヴンは兵器。生物には該当しない」

 何度か聞いた、そっけない返答――かと思いきや。

「しかし、人間をベースにしているため、苦手とする周波数も近似している。ゆえに、長時間この警笛音を発していると、各所に拒否反応が発現する可能性があり……」

 そこまで言うと、アデルは大きくよろめいた。エレンは慌てて立ち上がり、それを受け止める。

「ム……平衡センサに異常値。補助に感謝する」

 幸い、すぐにアデルはしゃきっと体勢を立て直した。

「目覚ましごときにそんな身を削らないでくれ……そんでおっさん」――謎の寒気が背筋を這った――「違う、シャリーさんはどこに?」

 ああ、とアデルは軽く肩を揺らし。

災竜ドラゴンの様子を見てくる、と集落跡地へ向かった」

「一人でか? 危ないんじゃ……」

「アルコール飲料も携帯していた。前回の件からして、襲撃を受ける可能性は低いと推測」

「ならいいんだけど……ふあ」

 エレンは大きく口を開き、欠伸をする。

「生物の、倦怠時の行動。眠い?」

「多少は。大丈夫、動くのに支障はねえよ」

 肩をぐるぐる回して一通り調子を確かめると、エレンはぐっと拳を握った。

「じゃあ、俺たちも行くか。酒瓶を持っていったら襲われないんだよな? いくつか拝借してこう」

「提案。進言。そのことだが、退治する必要はない」

 急な方針転換に、エレンは首を傾げる。

「追っ払う手段が見つかったのか?」

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