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2-5【眠れぬ夜に】

 エレンは白バケツの中にドライミルクの粉と水を入れ、低出力で加熱をする。ほどよく攪拌していけば、簡単ホットミルクの出来上がりだ。

「……あれかしら? ガキはおうちでママのミルクでも飲んでな、みたいなイジメ」

 横からのよく分からないヤジは気にしないで、エレンは金属スプーンを取り出す。その上に固形砂糖を置き、アデルのグラスに入ったウイスキーを少しだけ垂らす。そして、腰の光子銃を抜いた。

 目盛りを一番端、つまりは最低出力モードにし、引き金を引く。火花のように小さな弾は、スプーンを溶かすことなく砂糖のみに火をつけた。

 ふわり、と強く酒が香る。度数の高い酒気によって、炎は青く燃え盛る。固形砂糖はじゅわじゅわと溶けて酒と混じり、透き通って、ぽたぽたホットミルクの中へと零れていく。

 数十秒で砂糖が全て液状になり、炎も消えた。エレンはスプーンを残った琥珀色の液体ごと白バケツに突っ込んでぐるぐるかき混ぜると、中身を新しいグラスに注ぎ直した。

「はい、これなら飲めるだろ」

「……これは?」

「眠れない日に、妹がよく飲んでたんだよ。大人用ホットミルクだっつって、まだ十歳とかそこらのくせに」

「あら? アデルちゃん、エレンくんの妹じゃあないの?」

 話を聞いていたらしいシャリーが、不思議そうに質問を挟む。

「ちげーよ、全然似てないだろ。色とか」

 エレンが自分の茶髪とアデルの白髪を示すと、彼女も言葉を引き継いで続ける。

「自分と彼は、利害の一致によって行動しているに過ぎない」

「そうなの? それにしては仲良しに見えるけど」

「否定。それは勘違い」

 やや不服そうに言いながら、アデルは湯気を立てるミルクを口に運ぶ。

「どうだ? 美味いか?」

「……通常のドライミルクに比べ味の要素が多く、複雑な風味がある。水のみで十分に溶けるものをわざわざ加熱するのも、砂糖に着火するのも、エネルギーを余計に損耗している。非効率」

「後半がなかったら褒め言葉なんだけどな……効率云々は味の感想じゃないし」

「エネルギーの補給には適している。追加を要求」

「はいはい」

 エレンが追加を注いでやったところで、シャリーが「うふっ」といかにも微笑ましそうな声を洩らした。

「ほら、やっぱり仲良しじゃないの。わざわざアデルちゃんのために、そんな飲み物を作ってあげるなんて。アデルちゃんだってお代わりしてるし」

「勘違いである、と進言。確実性の低い推測とは妄想であり、正常な判断に支障をきたす」

「あらあら、乙女心ね。そういうことにしときましょうか」

 アデルにホロモデルのごとき無表情で見つめられても、シャリーは一切気にも留めず……というよりむしろますます微笑ましそうニヤニヤした笑みを浮かべ、なぜか部屋の隅へと退散してしまう。

「アタシは酔ってきちゃったから、先に休ませてもらうわ。あとは若いお二人でごゆっくり~」

「表情、瞳孔、呼吸等のバイタルデータからして、酩酊度合いは浅いと推測……そもそも年齢の話ならば、自分は―ーむぐ」

 一歳、と言いかけたのだろうアデルの口に、エレンはすかさずホットミルクのグラスを押し付ける。

 シャリーがレイヴンをどう思っているかは分からないが、少なくとも災竜へは敵意たっぷりだ。正体がバレたとして、その敵意がアデルへも向く可能性は十分に考えられる。

「とりあえず食って、俺たちも早めに寝ようぜ。肩もアバラも折れてはなさそうなんだが、なんつーか、ミシミシいう……いででで」

「罅が入っている可能性もある。睡眠時の体勢には注意するよう進言」

「そうするよ。うっかり寝返りで折っちまったら困る。……ふわ」

 大きくひとつあくびをしたところで、どっと疲れが襲い掛かって来た。考えてみれば、ちょっとアルカまで行くだけのつもりで都市遺跡を出たというのに、砂呑蛇アンフィスに襲われるわレオ筆頭のアルカ住人に襲われるわアデルに気絶させられるわしまいには災竜に襲われるわで、ロクな休息を取れていない。随分と長い二日間だったと、エレンはぼんやりそう思った。アデルと出会ってからすら、まだ三日しか経っていないのだ。

 そりゃ三日でこなしていい出来事の量じゃないわな、とエレンは早々に寝てしまうことにした。アデルと出会ってから、もう半月くらいは経っているような気すらしてくる。

 完全食は味気ないが、料理をする気力も残っていないので、ゼリータイプのものをひとパック啜って終いとした。

 部屋の中はアルコール臭に満ちていたが、災竜避けになっているのだろうことも考えて、野営ではなく隅に毛布を広げることにする。

「じゃあ、俺は寝るから。おやすみ、アデル」

「よく休むといい」

 硬い床の上に横たわってすぐ、張り詰め続けていた意識がぷつんと切れるのを感じた。


 †


 何らのセンサーが備えられているのだろう。日が沈むと、インスタントハウス内の照明も消えた。

 闇の中、アデルはスリープモードに移行することなく、エレンの顔をじっと見つめている。

 レイヴンたるアデルにとって、睡眠は必ずしも必要な行為ではない。キャッシュの消去や自己アップデートのために少し眠ることはあるものの、それも長くて一時間程度で済む話だ。

 一応スリープすればエネルギーは節約できるが、シャリーというらしい流民の援助により、最低限の補給はできた。災竜だとかいう生物兵器の襲来を警戒したほうが良いだろうと考えて、徹夜をするつもりなのだった。

 エレン。

 彼のことを、アデルは不可解に思っている。

 行動目的は、アンという名らしい妹を探しに天……すなわちRaSSへ行くこと。流民のなかでは知識が豊富なほうであり、戦闘能力もそれなりに高い水準である――無論、戦うために生み出された兵器たるアデルには遠く及ばないが。

 そういうことは、分かるのだ。

 しかし、彼はおかしい。アデルのデータベース、あるいはRaSSで天人から語られた流民像とは、あまりにもかけ離れている。

 『流民とは、かつて天人の暮らしていた地上を破壊しつくし、その上丸ごと奪っていった、残忍かつ粗暴な人間もどきである』――そう、教えられてきたというのに。

 実際アデルは一人で旧都市を彷徨していた際に、そういう流民を目にしたことがある。幼い子供から資源を奪い、高らかに笑っていた者を。それにあの、レオだとかいう流民もそうだった。論理性に欠ける理屈によって他者を貶める、いかにも粗暴な行動をしていた。

 しかし、エレンはどうだろうか?

 アルカ……恐らく黄昏末期に建設されたのだろうアルカディア社製のシェルターに住まう流民から理不尽な目に遭わされても、報復しようとしなかった。アデルの燃費の悪いために食料が不足していても、文句のひとつも言わなかった。

 きわめて善良。……そう判断せざるおえない。

 しかし、困るのだ。

 なぜならアデルは、エレンを――。


「あら、眠れないの?」

 背後から投げかけられた囁き声に、アデルが驚くことはなかった。呼吸の具合によって、彼女が起床していることは明らかだったからだ。

「質問……何の用?」

「用って程じゃあないけどね。アデルちゃんがずーっとエレンくんのことを眺めてるから、つい」

「…………」

 用がないならば応じる必要はないだろう、とアデルは口をつぐんだ。

 エレンのことは善良だと判断した。しかし、他の流民のことまでそう思っているわけではない。アデルが寝ずの番をしているのは、このシャリーなる男性を警戒するためでもあった。

 しかし、彼は構わず会話を続けてくる。

「それにしても……ただの協力関係、ねえ。うふっ、青いんだから」

「…………」

「正直なところ、エレンくんとはどこまで進んでるの? ラヴ的なイベントはあるわけ? せ・い・しゅ・んなんだからっ」

 やけに巻き舌で発音された『ラヴ』に対して、アデルは自身の精神回路が僅かにささくれ立つのを感じた。人間風に言うと、ややムカついてきた。

 一体、この流民は何度言えば分かるのだ。

「……否定。何度も言うが、自分とエレンは協力関係であり、特定の親しい間柄にはあたらない」

「誤魔化しちゃって~。トカゲ野郎に連れ去られるエレンくんのこと、必死に助けてたのに?」

「彼が死亡すれば不利益である、それだけ」

「ふ~~~~ん? 代わりに、危うくアデルちゃんが殺されちゃうとこだったのに?」

「…………」

 これ以上の対話に意味はないと判断して、アデルは口を閉ざした。そして、代わりにエレンが枕元に置いた光子銃に手を添えた。

 屋根には透明な箇所があり、そこから星やライトベルトなどの光が差し込んできている。ゆえに、完全な暗闇ではない。シャリーからもアデルの動きは見えたようで、「あら」という言葉を最後にして沈黙した。

 鬱陶しい問答から解放されて、アデルは軽く息を吐く。


 ――実際のところとして。

 合理的判断ができていたかと言われれば、怪しいかもしれない。それは、アデルも自覚するところだった。

 災竜からエレンを解放させようとした、それはいい。しかしあのエネルギー残量で特殊機能を使用すればガス欠になることは目に見えていたし、リスクとリターンは天秤にかけるべきだったろう。

 あのときのアデルは、そういうことを全く想定に入れずに、ただただ飛び出しただけだった。

 ……冷静に判断して、認めるしかなかった。

 自分は、エレンを好ましく思っているのだ。理由は分からないが、事実として。

 しかし、その事実は歓迎できるものではない。アデルにとっての第一は、天から与えられた命令なのだから。それの他に執着する先を作るべきではない。

 なぜならば。

 アデルはいずれ、エレンを裏切らねばならない。

 アデル――delta系列という天人の総力を込めて製造された特別なシリーズに属するレイヴンたる己は、人類を救うためにこの地上へと降りてきた。そう説明された。

 今も、体の内から声が聞こえるようだった。早く条件に適合する流民を見つけ、RaSSに戻れ、と。

 それに反する行動――つまりは流民であるエレンを助けたり、あるいはあの不合理の塊たる彼の料理を食べるたびに、何かがおかしくなる感覚があった。

 平衡感覚の乱れ。視界に走るノイズ。全体的なスペックの低下。等々……。

 今この瞬間も、アデルの視界には時折ザザ、ザ、と黒い雨が降り注いでいる。視野の一部が一瞬ブラックアウトすることによっておこる異常だった。

 アデルは、ほとんど確信している。

 自分はほどなくして完全に壊れ、地上に転がるスクラップの仲間入りを果たすだろう、と。ならばそうなる前に、RaSSへと戻らねばいけないのだ。

 修理を主人に頼むための手土産はある。エレン……の持つ、いくつかの装備だ。エーテルが枯渇しているために細かい鑑定はできないが、光子銃などは恐らく資源として有用である。

 エレン本人が天に上ったとして、天人の出す条件に適合していない個体であるから、地上に叩き返されるだろう。そのときに彼の装備を差し出せば、アデルはきっと天人から有用であると評価されるはずだ。

 それが、自分兵器の生まれた理由。

 それが、自分道具の生きる理由。

 信念を固めるごとに、視界を走る黒い雨が減っていく。それはきっと、アデルがレイヴンとしての形をいくらか取り戻しているからなのだろう。

 そんなことを考えながら、アデルは朝までエレンのことをじっと眺め続けていた。


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